JBという人格

僕は、多系統委縮症(MSA)なる名前の進行性・致死性の難病患者である。

多系統委縮症は、3つの病気のグループ名であるので、正確に言えば、僕の病名は「オリーブ橋小脳委縮症(OPCA)」というのだそうだ。
以前、この病が全国的に有名になった時期があった。
その頃は、脊髄小脳変性症の一種に分類されていて、当時15歳だった少女・木藤亜也さんが記した手記「1リットルの涙」が話題を呼んだ。
映画化され、さらに2005年10月11日から12月20日まで毎週火曜日の21時にテレビドラマとして放映された。
主演は沢尻エリカ、共演に陣内孝則や薬師丸ひろ子、錦戸亮、成海璃といったそうそうたる面子であった。
こう説明すると、「ああ、あの病気」とうなづかれることが多い。

オリーブ橋小脳委縮症という病は、人が本来持っている機能をひとつづつ失ってゆく。
ジャンプしたり走ったりできなくなり、歩くのが難しくなり、バランスを崩して転倒することが頻繁になり、寝たきりになり、表情を作れなくなり、言葉が出なくなって、手が思うように動かなくなり、コミュニケーション手段を失う。物が飲み込みづらくなり、誤嚥性肺炎の危険性があるため、食事が制限されるか、口で物を食べるということはなくなる。そして、最後に呼吸するという機能を失う。
小脳は、委縮して行くが、大脳は健全なまま保たれる。嫌でも自分が崩れて行く様を全て認識するわけである。残酷な病のひとつに数えられるのは、そのためである。周りで何と囁かれ、どんな視線が突き刺さっていて、そうなってまで何故生き続けているの?なんて言葉も・・・
この病の発症確立は10万人に2人から7人と言われていて、平均余命は7年から10年、10人に4人の確立で突然死するといわれている。数値に大きな差があるのは、症例研究が少なく、よくわからないのだそうだ。ゆえに、治療法はなく、現状をいかに永く維持できるかがキーポイントとなる。
僕は、そんな病の6年生である。進行は、極めてゆっくりだ。稀なケースで、幸運なのだそうだ。(こんな病になって、幸運もないもんだよね。)
病院で主治医から、常に「死」を背負い、絶望と未来への恐怖を隣り合わせの人生になったことを知らされた時、女房殿と自宅に帰ってから泣き崩れたのを覚えている。
その日から、未来を見れない、前を向けない日々が始まった。
「今なら、まだ、脳のダメージは少ない。今なら、まだ、自ら終止符が打てる。」
どれほどの時間、こんなことを考えてただろう。
女房殿に支えられ、「生きなきゃ」って思えるまでの時間的な記憶はほとんどない。
おそらく、この時現れたのが「JB」という人格であるのだろうと、今更に思う。
以前の自分はどんなだったろうか?
こんな時は、どういう行動をしてただろうか?
今日という日を「笑って」生きる為に、職場に笑顔で向かう為に「再構築された人格」が「JB」という人格なんだろうな。
主人格の「僕」はというと、絶対的な恐怖や悲しみと日夜対峙している。
そう、その役割は主人格「僕」が引き受けれいる。(んっ、押し付けられてる?)絶対的な恐怖や悲しみを、僕は「鬼」に例える。その鬼を心の深淵部に閉じ込めて、出て来ないように見張りを押し付けている。だって、主人格なんだから。その「僕」という主人格の代わりに、「JB」という人格が日夜「僕」を演じる。
むしろ、世間との接点の99%くらいは「JB」が担当している。
時折、ひとりでポツンとテレビなどを見ていると、主人格の「僕」が出てきて、無言で涙を流したりしている。ようだ・・・
ことあるごとに、「もう止めよう、こんな人生・・・」と投げかけてくるのも、主人格だろう。
と、冷静に分析しているのが、もしかすると主人格「僕」なのかもしれない。
自分でも、よくわからないといったほうが正確なのだろう。
人格なのか、夢想なのか、葛藤なのか・・・
とにかく、今日という日を、笑って、花丸に生きたい。
「僕」は「JB」にその役割を任せているのである。

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