見出し画像

003 一番嫌いな人事制度は何ですか?

人事制度に好きも嫌いもないんじゃないかと思われがちですが、私たちも人間ですので好き嫌いはあるわけです。制度設計・運用側である皆さんが好きな人事制度、嫌いな人事制度は何ですか。今回は一番嫌いな人事制度を考えましょう。
私は、間違いなく「役職定年制度」です。数年前に人事部長7~8名で逗子で合宿をやった際に、某企業がこの制度を入れる入れないという検討をしている話をきいて、とても盛り上がりました。ちなみにこの時のメンバーとっても仲良しで、さきほど新地で〆の麻婆豆腐を食べている時に、次の呑み会が決まりました。で、その時のメンバーの中でも反対派は多かったですね。でも、なぜ一般的に流行ってしまったのでしょうか。
「役職定年制度」とは、中高年層が増大した企業において若手中堅にポストを譲るために、定められた年齢で例外なく役職を罷免する制度です。課長50歳、部長55歳等と、職位に紐つけて年齢を決めているケースが多いかと思います。
で、なぜ私がこの制度を嫌いなのかというと、これって制度化しなくても意思の力で運用できるんじゃないかなぁと思ってしまうからです。大げさなことをいうと、人事部の運用責任の放棄、楽をしたいという本音が表出された制度だと、どうしても感じてしまうのです。まあ、中高年があまり多くはない企業にしばらく居続けているからかもしれません。でも、ある人の役職をはずしたいと思えば、一般の人事権の中で会社はいくらでもはずせるんですよね。「本当はまだやって欲しいんだけど、会社が役職定年制度ってのを入れちゃったんで、本当に申し訳ないけど仕方がないので今期一杯で課長をはずれてもらうね」なんて会社側がいいやすくするための制度に見えてしまうのです。これって「本当は高い評価をつけたかったんだけど、部長が相対的に評価して僕の評価を下げちゃったんで今期はB評定でごめんね」といっている無責任課長と近いものがあるように思ってしまうのです。これではメンバーは成長しません。責任放棄ですよね。許し難い行為です。でも、それでも何となく役職定年制は許されちゃっている、このあたりもそこはかとなく気に入らないのです。
そもそも人事部の中には、制度至上主義と運用ロマンティズムの二極対立があります。がちがちに制度を細部まで作り上げて、運用の番人になるというのが前者。制度はある程度緩く創っておいて、運用であとはどうにでもできるよというのが後者。もちろん、どちらも超極端はいけません。そして、この対立は一人の人事パーソンの中でも常に起こっています。
大企業になるとある程度は前者を取らざるを得ないですが、私が後者の凄さを知ったのは、海外駐在員人事を30歳くらいで担当したときです。単体3000人くらいの企業にいた頃です。海外駐在員は、海外駐在員規程にて様々な制度が適用されています。本国の就業規則がそのまま適用されるのは雇用・退職あたりどまりで、ほかはすべて薄っぺらい海外駐在員規程で運用されるのです。本国の就業規則と比べると、1割もルールのボリウムはありません。となると、ルールの決まっていない残りの9割は運用判断で決めるしかないのです。さらには、駐在国・都市によって事情はまったく違います。まだ、円が強く、日本の相対的地位が高かった幸せな時代です。担当として各地に出張に赴き、現地の住居・病院・学校事情をみさせていただきました。そうしないと、リアリティをもった運用ができないのです。本国の就業規則と比較して、担当者の運用判断の幅が圧倒的に広いため、実に勉強になります。現場を押さえて、1人ひとりの社員と対話をして運用を考えていくという今の仕事のスタイルは、ここである程度創られたのかなと思っています。そうなると、今度は本国においては、細かい規程の定めが邪魔になります。規程通りではなく運用した方がよいケースにしばしば立ち会うこともあります。とにかく、ルールを創ればつくるほど不毛なやりとりが増えるのです。信頼されている人事部であれば、極端な話として規程なんかなくても社員はついてきてくれるはずです。会社を信頼できないから、細かいルールがないと社員は安心できないというのが真実でしょう。このあたりをテーマに人事パーソン同士で話し合いをしたら、夜更けまで対話ができそうです。逗子で合宿がしたいなぁ。
連載している「酒場学習論」で以前に『「都橋商店街」「折尾」のRのある世界と、人事制度の運用』という記事を書きました。全文、引用しますね。人事制度設計をスクエアにせずに、Rを適度に施す。自動車でいえば、いわゆるハンドルの遊びを上手に創ることです。これが制度設計の醍醐味のように感じています。

*************************************************************
「酒場学習論」
【第3回】「都橋商店街」「折尾」のRのある世界と、人事制度の運用

とある4月の午後、北九州エリアの角打ち巡りをしている中で、折尾駅に降り立ちました。駅からさほど遠くないところに、堀川と呼ばれる小さな川があります。この川沿いには酒場が立ち並んでいるのですが、この風景が言葉にならないくらい美しい。この美しさを醸し出しているのがRです。Rとは川のつくる曲線を意味します。建築物や機械などの角の部分に丸みを持たせることを「Rを施す」などといいますが、この街はまさに、Rが施された世界なのです。この曲線が街の美しさを際立たせています。
この日は夜まで時間があったため、川沿いの店々がネオンを輝かせるまで待てず、最高の角打ちである「宮原商店」で2杯ほど呑んで、Rのある街を後にしました。
Rのある川沿いの風景を観ていると、デジャヴのような感覚に襲われました。野毛の「都橋商店街」のRが脳裏に浮かんだのです。横浜の酒都・野毛。ここの大岡川沿いに建つ2階建のビルが「都橋商店街」です。今や多くの飲食店が入り、たくさんの人が訪れる人気スポットです。そして、ホッピー好きの聖地ともいえる「ホッピー仙人」が拠を構えるビルでもあります。この建物のRがまた素晴らしいのです。これを観るだけで心が震えます。

これらのRのある世界に対して、私たちの住む都会は、ほとんどがスクエアでデザインされています。直方体のビルが乱立する中で、あくせくと私たちは働きます。そんな中でのRの存在は、人間として生きるなまめかしさを感じ、したたかさ、原始的な力、不条理な魅力、優しさに満ちた包容力、怪しげな期待感、心の機微、そんなさまざまな情念を発信します。おそらく人は、スクエアばかりの世界では生きられないのではないでしょうか。近年では建造物をはじめとして、さまざまなデザインの世界でRを持つものが増えているように感じます。そして、徳利も一升瓶も平盃も、すべてRをいにしえの時代から持っています。

今、仕事で人事制度についていろいろと考えています。私が人事制度を構築するときのポリシーの一つに、適度に「Rを施す」ということがあります。スクエアばかりの制度ではなく、要所要所に「Rを施す」わけです。

人事制度における「スクエア」とは、制度の絶対性のことを指します。つまり、制度に照らし合わせて明確に白・黒をつけられるようにする方法、細部に至るまで制度で縛り、ガチガチの運用を実現させるやり方です。それに対して「Rを施す」とは、制度のさまざまな部分に運用の幅を持たせることを意味します。スクエアな人事制度は、運用者を楽にさせます。制度の基準でスパッと物事を決め、「制度だから仕方がない」というあきらめ的な納得感を万人に与えます。ある意味、平等ですし、運用負荷がかかりません。わかりやすい例として、役職定年制があげられます。一律に「部長職は55歳で全員退く」という人事制度をつくれば、役職からの退任を内示する上長も「制度だから、ごめんね」と言い切れば、それで済むわけです。

それに対してRを持った制度は、基本は制度で決めるのですが、ケースによっては、最終判断は運用に委ねられます。一人ひとりの社員の事情を理解し、本当に必要性があると判断したのなら、例外をつくったり、新ルールを講じたりするのです。しかし、これには高い見識と清らかな倫理観が求められます。また、場当たり的にならない運用マネジメントをできる力が必要です。運用する側には大変な苦労が強いられることもあります。しかし、社員は一人ひとり違う人間です。効率性や秩序のために、ある程度は制度で割り切らなければならないことは間違いありませんが、本当に必要な場合であれば、きちんと個をみた人事をするというのが、Rを施す人事の本質なのです。

都橋商店街や折尾の街の美しいRは、さまざまな思いを私たちに呼び起こさせてくれるのです。

この記事が参加している募集

人事の仕事

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?