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“できる”の線引きに悩める人へ

「あなたは何が“できる”人ですか?」

いつも“できる”という言葉は、捉えやすくて掴みづらい。

誰がどこで、どの範囲で、どの程度、どのように…。ひとくちに言っても、たくさんの“できる”があります。

自分が「できる」と思っていても、誰かには「できない」。ある環境では“できない”。いま仕事で学生の声を聞いていると、まだまだ自信のない青年たちの線引きが見え隠れします。

これは社会人になったとて変わらない話です。「できる」と思うものの、思ったようにうまくいかない。自分より他に理由を探してしまう。活かせない。成長できない。時折、ネガティブに陥る瞬間はありませんか?

そんな状況を捉えて、適応的な思考や行動を探ってみます。
※個人の考えなので参考程度にしてください。

1 “できる”は事実と範囲を求める

まずは個人の視点から。

自己紹介や部活、サークル、試験、就活サービスのスキル登録といった場面で、自分の“できる”を書く機会があります。ここで自信をもって書ける人がいれば、そうでない人もいます。その違いは何か?

ひとつは経験の有無でしょう。経験したことであれば、できた事実を根拠として自己肯定感や自信が持てます。またそれに、具体的な例を示せるならより良いでしょう。逆に経験がなければ、“できる”の根拠がなく自信も持ちづらいものです。

もうひとつは線引きの曖昧さ。どこまでできる、という基準があれば、できる範囲をより明確に認識したり伝えられます。しかし“どこまで”の範囲を知らない場合は難しい。そんなときは“できないこと”を探してみましょう。漠然と自分だけで抱いている“できる”の範囲が、少し明確になるかもしれません。

適応的思考
・できた事実を表現する
・できることは具体的な技術例や事例で程度や方法を伝えたい
・できる、と同じぐらい、できないことを探してみる

1:1 他者は鏡

他者の視点が入ってくるとどうか。

他者に“できる”を話すとき、たとえば面接、レビュー、評価面談といった場面があります。そんな場面で話す“できる”は前項とは違いそうです。どんな違いがあるのでしょうか。

全ての人(人工的に作られた機械も含めて)は主観的にモノゴトを把握しているので、厳密に客観性というと「何?」って話なんですが。他者の持つ、また別の視点が入った“できる”あるいは“できない”は大きく違ってくるはずです。

他者は鏡です。どんな自称コミュ障、陰キャ、つながりの弱い人でも、他者がいて自分がいます。違いを捉えることは他を知り、自分を知ること。

特に正面から診てくれる人の視点は貴重なもの。自信をもっていることを“できない”と言われて凹んだ。自信がないことを“できる”と評価してくれて嬉しかった。先の通り、自分が考える“できる”と他者のそれは異なるので、過大解釈や言い訳はいりません。言われてすぐに見出せなくても、わざわざ伝えてくれる視点の中に、きっと大きな気付きが眠っています。

逆に他者の視点が捉えられないと、言い訳に首をしめたり、関係悪化、最悪の場合は事故につながることもあるでしょう。専門性のある観点からの指摘は、個人ゴトを超えて重要なアラートかもしれません。

だから、まずは他者の視点に敬意を。たとえ言葉に表さなくても、その気持ちを「なるほど〜」とか「へ〜◯◯さんはそう思われるんですね」といったリアクションの弾みに他者の視点を捉え、まずは態度で聞く姿勢を示したいところです。

適応的思考
・他者の視点をまずは聞く(過大評価も言い訳もしない)
・真剣に診てくれる人に感謝する(態度で示す)
・個人ゴトを超えた重要なアラートかも?と捉えてみる

1:N ある場所の“凡人”が別の場所では“スーパーマン”(あるいはその逆も)

ある場所で“できる”ことも、別の場所で“できる”と限りません。当然ながら学校も会社も、その場所と瞬間でやっていることも人も、シチュエーション次第で何もかもが違ってきます。そんな中で“できる”に好都合もしくは不都合が生じることも少なくありません。

で、どうすればいいでしょうか?
これはストレス対処と似てるのかもしれません。

ストレスにはそれを感じさせる原因となるストレッサーがあります。自分とストレス、ストレッサーの関係を絵に書いてみると、何にどう対象したらよいか分かりやすく把握できます。

①ストレスそのものに対処する
②ストレスの原因(ストレッサー)に対処する
③ストレッサーから距離を置く

“できる”ことも似ていて、場所と、そうさせる環境的な要因(例えば、その場所での役割やキャラクター)もあるはず。自分からできるようになるのか、他の人とできる条件を変えるのか。場所を変えるか、場所に合わせるのか。場所なんてそうそう変わるもんじゃないですが、これによって人の見えない部分や得意も見えてくるかもしれません。

現に私事ですが、先月から10年ほど続けた職種をジョブチェンジしました。前職の人と話してみたら案の定ビックリされて、わりと意外性があったようです。おそらくは、その場所における環境・人員・必要な仕事内容・人としてのキャラクターや役割が固定化されて見えたため。前職には感謝しつつ、これも環境が変わって当然発生したものと捉えています。

適応的思考
・場所とその場所での自分を捉えてみる(役割やキャラクターを演じてないか?)
・場所に合わせる、場所そのものを変える、場所を離れることを想像してみる(自分や特定の他人でどうにかならない要因がないか?)

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3つの視点から“できる”について綴ってみましたが、人には人の思考や行動があります。あなたにはあなたの事情があります。自己解決できない状況に陥ったなら、相談する、放念する、時に逃げることも真っ当な行動だと思います。少し本題とはズレますが。

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今もし、“できる”で悩める人がいたら、まずは自分に立ち返って考えてみたい。自分の“できる”“できない”、他の人との間での“できる”“できない”、環境における“できる”“できない”。その線引きの、どれもが違うはずです。そして、難しいことがあれば、他者や場所(環境)に頼りましょう。

ほんの小さなことでも自信のタネが見つけてほしい。将来に悩める学生を前にして、今そういうふうに思います。

もし、サポートいただけるほどの何かが与えられるなら、近い分野で思索にふけり、また違う何かを書いてみたいと思います。