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連作から落とした歌③(1×7首)

 タイトル通り、短歌連作を組むにあたって、諸々の理由からやむなく落とした短歌について、当時のエピソードに触れながら書いていきます。
ぜひ気軽にご覧下さい。(①と②もよろしくお願いします。)

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21

幽霊に何されたって構わない大親友にさせられたって

2022.5「うつくし」の頃。
 ここ一年くらい暇さえあれば怪談を聞いているので、幽霊について考える機会が多いんですが、幽霊はいったいどこまで主体的に意識を持って行動できるんだろうと気になっています。目の前の男の人をおどろかせたいから、あの人が角を曲がった瞬間に姿を見せようとか、公園にいるあの子と遊びたいから近くまで行こうとか考えて動けるものなのか。もう自動的にそこを反復運動するようになっているのか。意思があるのかないのか。
 この歌では、主体がかなり幽霊を舐めてかかっています。取り憑かれて死ぬとか、苛まれて病むとか、色んな場合があるだろうところを「何されたって構わない」とまで言っています。幽霊なんてどうせいないんだから何されても変わらないよ、というスタンスです。調子に乗って一発目に「大親友にさせられる」というひとボケを入れています。(''一発目''というのは、取り憑かれたって襲われたっていいし、もちろん親友にさせられたっていい、という普通なら三手目くらいのボケなはずなのに、という意味です。)「ご飯なにがいい」→「なんでもいい」→「じゃあキュウリだけでもいいの?」的な、''夕食何でもいい''の流れを一人でやっているようなものです。

 切った理由としては、連作の「うつくし」が美を多面から見るというテーマで組んでいたので、これは美からは漏れるなと思って、他の連作に使えるかもと思ったから。結局使いどころが難しくこの記事に回すことになりました。個人的には幽霊も親友も美的なものだと捉えているんですが、「大」がお笑いすぎたかもしれません。あと、本当に幽霊に「大親友にさせられた」ら、地味に怖すぎる、という奥のオチみたいなものがあるのが、連作よりも一首独立の方が映えるかも、と思っていたのもあります。
 幽霊のことについて考えれば考えるほど、幽霊をばかにしてはいけないのかもしれない(というか、それは自分にも幽霊にも得はない)と感じ始めていて、幽霊詠はもっと真摯に行こう、とこの歌を落としたことをきっかけに思い始めました。


22

未来でも思い出している気がする集合写真を撮りそうな四人

2022.5「夏的憂い」の頃。
 単純に、伝わらないかもなと思って落としました。もしくは、伝わりすぎて、そこでストップするかもしれないと思って。経験上、短歌は、伝わりやすいことはいいことだけど、伝わりすぎることは不利にはたらきます。
「夏的憂い」は、夏のキラキラ詠、みたいなものを終わらせたくて作った連作で、だからこそ、夏の恋人たち、みたいな典型的な型を敢えて踏んでいこうと思って登場人物を絞りました。なので4人居る体で''友だち''のラインを引っ張ってきても良かったんですが、30首くらいを目処にしていたのでちょっと混雑するなあと思い、潔く。別に50首くらいに伸ばして書ききっても良かったんですが、アンチっぽい立ち位置だとしても夏について短歌を50首も作っていたら流石に夏の恩恵を受け取りすぎるかも、と思うので、これくらいでちょうど良かったなと思います。
 僕は基本的に虚構というか、仮の世界を想定して、ときに現実と重ねながら書く書き方で作っていますが、この歌に関しては半分僕の実体験も込みで、それが恥ずかしくてというのも一因でした。
 高校の卒業式の日、式が終わったあと仲良しだった親友たちと歩いて中華料理屋に行き、ご飯を食べて、ゲームセンターで遊んで、じゃあ元気で! みたいな別れ方をしました。全員写真を撮ることをそこまで好んでいないタイプで、結局卒アルに何か文字を書き込むことも、集合写真を撮ることもせず、サラッと解散しました。それが僕たちのちょうどいい距離感だったので写真が無いことは逆に嬉しいこととして記憶しています。なので、実際未来の今思い出している状況がやや気恥しい感じです。

 こういう、「四人」みたいな、必然性のない数字(僕の体験談をオープンにするなら実際に意味のあった数でしたが)を登場させたときは、それを連作で回収しない以外、取り扱いが難しいですね。特に「撮りそうな」以外が淡白な味の薄い言葉で並んでいるので、すーっと終わってしまいそうです。この一首を救うにはこの一首のための連作を用意してあげる必要がありましたが、その時間はありませんでした。残念。


23

草原と言われて思いつく場所に花は何本咲いていますか?

2022.6「Blue, Blue, Diamond」の頃。
 読者に、色々な想像をして欲しかった期、の作品です。ただ短歌が出てきて、それを読んで、80%くらいを理解して、自分が好きだと思ったらいいなーと思って、嫌いだったら無視して次の歌に移って……みたいな流れを、全員であと何十万回繰り返すんだろうか、と思ったときに、「全く読まない」or「読み尽くしたい」or「分からないから分かりたい」かの段階に移したいと考えるに至りました。中途半端に褒められて中途半端に無視されるものを作っていても、特に面白いことは起きない、どっちかに振り切った方が多分面白いんじゃないかと思って、見るからに考えてほしそうな連作を作ることになりました。結果的には予想通りの反応で、すごく読んでくれた人と、全く読んでくれなかった人の二通りになったので、この連作については(企図した通りになったという点で)満足しています。
 この歌を落としたのは、混線するからです。さっきの22も同じでしたが、この連作上で考えて欲しいのは光景や主体の心理の話なので、この歌における''言葉とそのイメージ''の、どちらかと言えば書くという行為そのものに近い側の問いは、邪魔になるだろうと思いました。考えることが多すぎて、短歌から気持ちが離れすぎるとそれはそれで良くないので。
 またこの「問い」パターンの歌は、主体が連作内のキャラクターに言っているのか、主体が読者に言っているのか、連作内のキャラクターが主体に言っているのか、連作内のキャラクターが主体を通り越して読者に言っているのか、とかなり分岐してしまいます。誰が誰に、というのを増やしすぎると取り扱いが難しくなります。
 でもこの心理テストみたいな聞き方は気に入ってはいて、江戸川乱歩「心理試験」をどっかで掠めて作りたいな〜と試行錯誤している最中です。これを尋問みたいな形にしたら、もしかしたらこの連作でも拾えていたかもしれません。


サムネイル。好きな絵。分割されてノイズのようになっているのが空の本質を照らしている気がします。
Eero Järnefelt《Heaven/Cloud Study》1885


24

Cat-and-Mouse Game 生んでは殺されて突然文通が始まって

2022.6「三十首」の頃。
 この連作は、無の状態から急に核のところだけ思いついて、急いで作って35くらいにして、そして要らない5を削って出来た、かなりハイスピードな創作でした。歌と歌同士に若干の繋がりがあって並べられているので、自然と居心地の悪いこの歌は外れることになりました。
 作った瞬間は、かっこいいものが出来たと思ったんですが、時間をあけるとスカスカに思えて、これは見せられないかもと思い。cat-and-mouse gameは、イタチごっこの意味。人は人を産んで、その人が誰かを殺して、急に改心して手紙を刑務所から送り始め、また新しい人が人を殺して……という、人が人を殺すということについての歌でした。僕は推理小説が好きなこともあり、かなり頻繁に(この要素がない連作は長らく作っていないと思う)、人が人を攻撃する、人が人に攻撃される、攻撃する人の心理、攻撃された人が攻撃してきた人を排除しようとする心理、などなどを日々考えながら短歌を作っています。
「生んでは」という言い方も、刑務所からの手紙を「文通」としているのも、敢えて意地悪に言っています。この世で一番したくない文通です。
 
 これは、23とは逆に、言葉の面で考えさせる連作だったので、こういう''意味''で考えるものは邪魔だなと思って落としました。殺人犯からの手紙みたいなのは誰もが一回は考えたことのある(?)要素だし、言われなくても考えなければならないことはわかっているだろうことを、改めて読者に押し付けるもので、かなり負担も掛けることになります。その場合、この一首について考えることが、連作全体を考えることと繋がっている方が、良いんだと思います。引いて見たらイタチごっこのようにも思える、人の誕生と殺人の発生と反省、という構図や要素が、連作読解に繋がっている、そのときは負担が良い負担になると思います。
「三十首」(30首連作で「三十首」という題名で、しかも一首目で短歌の単位「首(しゅ)」と生首の首をかけているものを出している、露悪的ともいえる面白を前面に出している連作)の中にあると、この歌の悩みがこの歌単独になり、30の大きな構成はまた別に理解しないといけなくなるので。
 書いていて分かったことですが、読者に不必要な負担をかけない、かけるときはそれが更に短歌や連作の理解に繋がるように用意することを心がけているなと自分で改めて発見しました。親切。とは言いつつ、''負荷がかかった短歌''(構成が複雑で読み解くのに時間がかかるもの)を読むのも作るのも好きなので、無意識に変なものを作っているかもしれません。読みづらかったらすみません。

25

変わらないでいて欲しいと思った矢先彼にアップデートが入る

制作日不明。
 基本的に、僕は作った句や歌を作品発表時の日時と合わせて全て記録していて、発表はしていないメモのものは、その時点で作っていた連作とセットで記録しています。ごく稀に、こういういつ作ったか分からない、メモし間違えたものがあり、どうしたものか悩んでいたので、この記事がちょうどいいと思い発表しました。この記事の趣旨からは若干逸れるかもしれませんが、多分何かの連作から落としたものだとは思います。
 落とした歌①-4〈口を開けて電気プラグを差し込んであなたに光る充電のサイン〉と同じように、ちょっと電子機器っぽい感じを、自然に人間に繋げるというのにハマっていた時期の作品です。おそらく「矢先」という日本語を使いたいだけで作った歌です。
 ''アップデート''や''インストール''という言葉がもうすっかり定着しきっていると感じますが、「思考をアップデートしなさい」的なことを言われたときにいつも違和感がありました。
 それは、アップデートした後、ダウングレードは可能なのかということ。新しくするのはいいけど、それが適合しなかったりバグが多かったりしたとき、前のバージョンに戻りたいと思って戻れるものなのか。もし戻れないとしたら、もう少しこっちに選ぶ権利があってもいいんじゃないか。自動更新されてしまうのはやや怖い、みたいなところがあります。
 そのアップデートへの不安を一首にしたらこうなる、というところです。本来「彼」に「アップデートが入る」と、よりよい彼になって、より良くなっていくはずなのに、主体はまるで嫌がっている様子。Twitterとか特に、更新する度に使いづらくなっているような気がしますが……。アップデートが「入る」という言い方も、かなり否定的な言い方です。
 やっぱり、ロボット連作を作るしかないのかなと思い始めています。が、ロボット系の知識が全然無いので、まずはSFを読み漁るところからしようと思います。


26

天然水は改行のない一行詩 読みすぎた一日の終わりに

2022.6「Eternity」の頃。
 まずはネットプリントを印刷していただいた方、ありがとうございました。DMで連絡して下さった方、ありがとうございました。現在もTwitterのDMで言っていただければPDFファイルをお送りします。(ほぼ機械的に返信しますので安心してご連絡ください。)
 この「Eternity」は、もともと連作の「opaque」と「translucent」が出来上がっていて、別々にnoteで発表する気だったんですが、ここまで来たらまた大きく組んで、以前の「Ephemerality」100首と繋げた方がいいなと思って、「transparent」の章を作って、整えて作りました。生死、永遠と一瞬、ハイスピードとロースピード、一年以上取り組んできた色んなテーマをある程度形にできたと思っています。「多重露光」というタイトルもそうでしたが、生はつねに死を、死はつねに生を、永遠はつねに一瞬を、一瞬はつねに永遠を、自身のうちに重ね合わせているものであって、色んな可能性は、同じところに重なったり透けたりして存在していると思っています。なので単なる悪、単なる善、みたいな作品は作っていないと自分では思っています。その透け感、がテーマのネットプリントでした。

 この歌は、落とそうと強く思って落とした歌ではなく、なんとなくで外しました。まず「読みすぎた一日」というフレーズが思いついて(飲みすぎた〜とかから)、読みすぎたのならそれを抑えるものがいるなと思って、(ここで「飲みすぎた」を敢えて分かりやすく透かして、酒に対する水、をここでも持ってこようと思い)水、を配置しました。で、読みすぎ状態には、普通の水じゃいけないなと思ってミネラルウォーターにしようとしたものの、音数の拘束をどうしても受けて泣く泣く「天然水」に。
 ここで自分の悪い癖が出て、どうしても理屈っぽくしてしまって、読みすぎ状態でも入る水は、たぶん改行が少ないだろうな〜とか、小説みたいな水よりは詩みたいな水の方が飲みやすいよな〜と思って、上の句が出来上がり、詩で一日を締めたいよな〜とか適当なことを考えて「の終わりに」を付けました。
 言いたいことは言えているような気もしますが、結果、改行がないし一行詩だから飲みやすいという設定が「天然水」の「天然」とダブり、飲みやすい水の過剰な設定が「読みすぎた一日」のパワーを減じていて、惜しい状態で終わっているなと思います。読みすぎたから読みやすい水を飲んだ、だけでも充分効いたんじゃないかと。でももう既にこの発想に自分で飽きているので形にすることもなく。僕はかなり自分自身や自分の作品に飽きるスピードが早いので、作ったそのときに満足して出すもの以外は、もう一回拾い直してというのはかなり腰が重いです。


27

仲良くね 一人漏らさず全員と 仲良くしなさいね 全員と

2022.7 新連作落ち
 今後発表する連作から落ちた作品。まだ発表していないから別の連作にして出せばいいわけですが、こういう一撃必殺系の歌は一回落とすと新しい連作に入れるのがなんとなく億劫になります。

 僕はそもそも、全世界の人と仲良くなるというのは不可能なんだと思います。絵画の、松井冬子《世界中の子と友達になれる》2002、のタイトルを思い出したり。相容れない人や思考、というのは絶対に存在して、その数を出来るだけ減らすように努力はしていますが、やっぱり難しい問題です。個人的な意見ですが、相容れないものに対して、排除や拒絶という反応をするのは、とても簡単なことだと思っています(考えて考えた挙句拒絶、というのも体力がいることですが……)。
 その相容れないものを自分の中に吸収しようとする、むしろ同化しようとする、''友だち''になる、ということが一番、気持ち悪くて重要なことだと考えています。
 ''一人漏らさず全員と仲良くする''。学校やテレビや色んな場所で、他人と仲良くしなさいとか、他人のことを理解しなさいとか言われますが、社会を眺めてみても、それが十分に実行されているとは到底思えません。

 僕は、友だち、の''友だち性''が好きで、よく短歌に友だちという単語を入れています。この''友だち''観についてはまたいずれ書く機会があるとは思います。ただの人が友だちになること、友だちが友だちであること、友だちの知らないところを知ること、友だちと仲良くすること、ただの人と仲良くすること。みんなが仲良くならずして平和は成り立つのか、平和というのはそもそも仲良し状態とは違うもののことなのか。
 どれだけ考えてもピンとくる解決が出来ていませんが、とにかく仲良くすることの気持ち悪さと重要さを作品にしたくて作ったものでした。
 何故落としたのかは、次に上げる連作を見て推測していただければなと思います。日は未定です。

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 落とさなかった方の連作も、ぜひご覧下さい。以後も何卒よろしくお願いします。


夏的憂い

うつくし




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