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連作から落とした歌②(1×10首)

 お世話になっております。丸田洋渡と申します
①に引き続いて、短歌連作を組む際に最終的に落とした歌を、落とした理由や創作時のエピソードともに触れていきます。

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殺人鬼/天真爛漫/友だちが誘いを断ったコンサート

──2021.4 ①で説明した「ラウンドアバウト」の頃。四字熟語を入れることにややハマっていた時期。''友だち''というのも良く書くモチーフのひとつです。
「天真爛漫」は、殺人鬼にも、友だちにもかかっている、という構造のつもりで書きましたが、おそらくそこまでは伝わらないだろうし、伝わったとてそこまで面白くもないか……?と思い直して落とす。「友だちが誘いを断った」のが、もし自分(主体)から友だちへの誘いであったなら、自分は一人でコンサートに行っているということになります。殺人鬼がそのコンサート会場に闖入してきたのか、はたまたその友だちが殺人鬼そのものなのか。いかんせん説明が無さすぎる一首だったなと思います。
 加えて、下の句を七七で発音しようとしたとき、〈さそいをことわ/ったコンサート〉になりますが、僕はこのパターンになるのをできるだけ避けるようにしています。促音で一カウント、というのは、話し言葉上では若干無理があると思うんですね。57577で読もう、という意識の上で、拍を思いながら読もうとする非常に短歌に友好的な(?)読者が読んで始めて成り立つもので、一般の方がこれを読んだ時に「っ」は一にカウントできない気がします。0.7くらいの。句またがりをするときとかは特に、促音や言葉の流れ、発音していて気持ちいいかどうかを気にしています。
 これは余談ですが、僕の名前にも促音が入っていて、保険証でも住民票でもセンター試験のときでも、つ、ツは大文字で書かれていたりします。(住民票とか銀行関係は、こちらから言えば小さいつの表記に変更して貰えた気がします。)なので、病院とかでたまに、何も考えてない人に当たったら、「よつと さん」と発音されてしまいます。これには何度も苦しめられました。


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客よりも機長の方が感じてる 墜落したくない!ってね……

──2022.1 賞の応募作「Acceleration」の頃(①参照)。これも飛行機パートのひとつの予定。ちょうど正月に地元に帰省しまして、飛行機を利用しました。そのときぼんやりと思っていたことを短歌にしたという感じです。
 知人に墜落が怖いから飛行機は嫌だという人がいて、気持ちはわかるんですが、でも多分、本当に誰よりも墜落を怖がっているのは機長だろうな……と思います。車もバスも電車も同じですが、運転手の手と機敏さに人の命が預けられているという状況、まともに考えてしまったら操縦なんて出来ませんね。忘れるか狂うかしない限り。
 落とした理由としては、「ってね……」の口調の面白さが連作内で浮くと思ったからです。「機長の方が墜落したくないと思っている。」みたいな自由律気味の散文的な歌にすることも出来ましたが、これはこれで、動かせないひとつの形になったなと思っています。この「ってね」、ふざけた言い方にも見えるし、ブラックジョークみたいにも聞こえるし、人によって聞こえ方がだいぶ変わってくるだろう点も(賞に応募する連作、ということを考慮すると)マイナスポイントでした。主体は機長経験者だ、という読み方も可能だし。簡単な形に見えているのに、読みの選択肢が多い歌は、それがメリットにならない限りあまり得はしない、というのが経験で得られた勘です。

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祝祝と涙を流す 祝祝襤褸襤褸 襤褸襤褸祝祝 壊れゆく小屋で

──2021.11 「Stir/Scarlet」の頃。まあ一目見てやりたいことは伝わるかと思うんですが、涙の流れる様子「しくしく」「ぼろぼろ」に、意図的に違う漢字を当てて表現した歌です。
 落とした理由は、歌のオチ、落とし所を完全に見失ったのが一番です。「何故泣いているのか」のwhyは連作で背負うとして、どこでのwhereに繋げれば面白いかなと思って、「襤褸」の響きから、壊れかけの小屋に繋げてはみましたが、せっかくの突飛な擬音の表現がハマっていないなと。「どのように」のhow一発勝負にすると、結句の締め方が本当に分からず。一応三ヶ月くらいずっとメモに入れていてたまに練ったりしましたが、半分諦めの気持ちでここに載せました。推敲例として思いつくのは、結句を「みんなの前で」にして、祝という文字の印象を回収しに行くか、「頬へと消える」「涙が消える」「頬を揺れうごく」とかにして涙を流すことだけに集中させる、などですが、どれにしても祝とか襤褸とかの表現の方に目がいって、話が入ってこないですね。
 あともう一点、これは僕の完全なオリジナルの発想ではなくて、「祝祝」でしくしくと読む例が詩集か何かであって(それは涙の様子ではなかった)、そこから襤褸襤褸を思いついて書いた記憶があります。基本的に自分のオリジナルの発想でないと僕は納得できなくて(リスペクトしている、好きな作品を強烈に意識して、詞書にも入れたりして書く場合はOK)、この祝祝に関しては誰の詩集から見つけてきたかすら覚えていないので、そんな失礼な状態で発表は出来ないと思ってこの記事に。
 あと普通に、襤褸ぼろ、って凄い難読漢字なので、ルビが必要になります。でもこの歌でルビを振ってしまうと「擬音で面白いことをしてみました」感が露骨に出るので、それを避けたのもあります。


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でね、後ろ、振り返ってもそれらしきものはひとつも無いんですよ(震)

──2021.9 「HorrororroH」の頃。俳句で〈怪談がいよいよトンネルに入る〉(「Ghost in the Flower」2021.3)を作ったり、とにかくホラーや怪談が好きで。数年前からアツい怪談界に短歌で応援できることはないかなと思って怪談っぽい短歌を作りまくっていた時期の歌です(もちろん倉阪鬼一郎『怖い短歌』は何度も読みました。伊舎堂仁さんの対向死線の歌、高柳蕗子さんの沼から出てくるオーケストラの歌が強く印象に残っています)。
 この歌に関してはひとえに僕の努力不足で、それこそ怪談する主体、の連作を組めば解決する話でした。でももうHorrororroHを書いたし、これ以上はとりあえずいいかなと思って温存した結果使わず。まあこの一首が単体で誰かの記憶に残る事はなさそうなので、いいかなと。今後また怪談をメインにした作品を作るかもしれません。
 ''振り返る''や''後ろ''(または''向こう'')も、僕の中では良く書くモチーフのひとつです。中澤系の〈知る? きみは少し先回りしたあと後ろ向きでそれを見ただけだ〉が好きな歌で、これも影響しているかもしれません。背後、というのはつねに暗闇で、何が広がっているか分からない。壁の向こう側、とかも、持っている知識や情報で想像できるだけで、実はプレデターとかエイリアンとかがいるかもしれない。今現に自分が見えている世界ですら危うい(ex.錯視、幻覚)のに、今見てない世界なんてもっと、信頼できないものです。
 自分の向こう、うしろ作品だと、〈ふと 自分の気配がして振り返る 玄関が岬になっている〉(「Collapse」第三滑走路9号)、〈襖から立方体が見えている〉(「眼と蝶」、4回全国俳誌協会新人賞準賞受賞作)、〈出始めのシャワーが冷たくてドアの向こうの短歌の名前を呼んだ〉(「Fluffy Bullet」)、〈雪の渦……窓の向こうを占めている淡い時間のslow speed〉(「Slow Speed」)など。


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何でも天使に例えればいいと思うな 津々浦々ダンスをして回る

──2021.5 「FRIENDS」を出したあとくらいの頃。これは私がたまに行う、自分自身に攻撃するというパターンの歌です。自己批判を歌を使ってするという、かなりセコい作りです。
 天使、という素材は、使っただけで聖的なイメージが付与されて、綺麗に見えます。どこまで作り手が天使や天界、それらを信じる宗教のことを学んで、その上で自分の態度を決めて、その上で使えているか、という審査(審査?)が、つねに作品には向けられていると思います。本当にその「天使」は天使なのか? 可愛くて綺麗、というのを言いたいがために持ってこられた、おもちゃみたいな天使ではないか?
 もちろん、残酷性を引っ張ってくるためだけに用いられる天使、にも同じことは言えます。「残酷な天使のテーゼ」とか。
 でもこれを言い出すと、全ての単語について同様のことが言えます。が、本当のことを言えば、全ての単語についてそういう審査を自分なりにでも行うべきなのだろうと思います。天使、みたいな一目見てわかる素敵ワードに限らず。

 で、この歌に関しては、そういうのを安易に軽率に使ってしまうことのある自分に対して(何首か、天使という単語を用いただけで人から持ち上げられている安直な他人の短歌を思い浮かべつつ)、それでいいのかと責めるために作ったわけですが。結局下の句でふざけてしまった(①でも書きましたが、すごく真面目なことを言ったらそのバランスを取るためにあえてふざけた振りをするというのが半ば癖になってしまっています)のと、この歌も結局「天使」を良いように使っているだけだな、と思って、メモに留めていました。
「Ephemerality」にはその辺をすごく意識した、あえて過激に書いた天岩戸イメージの一首を入れています。あの歌も、こういう説明がなければ、ただの神話の利用になってしまうのかもしれないなと反省していたので、ちょうどいい機会だと思って。

サムネイルの絵。静謐かつ動的で好み。
''A Backwater, Calcot Mill near Reading'',
John Singer Sargent, 1888

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大合唱のパート変更 肉じゃがの気持ちでカレーライスを食べる

──2021.9 第三滑走路12号「Spill over」の頃。「FRIENDS」に〈ぐうぜん白いルーを入れるとシチューになり驚くマーメイドとマーマン〉という歌を入れましたが、それと同じ発想です。トロッコのように、ほんの少し向きを変えるだけで、物は、人生は、大きく変わっていきます。逆に言うと、人生が変わるその岐路の寸前までは、同じ状態であったということです。よく学生とかに「君たちには未来しかない!君たちは今から何にでもなれる」みたいな応援メッセージをする場面がありますが、そんな感じです。公務員になる可能性も、パティシエになる可能性も、YouTuberになる可能性も、宇宙飛行士になる可能性もある。あらゆるものになる可能性がある、という状態。
 カレー、シチュー、ハヤシライス、肉じゃがとかはそのわかりやすい例だなと思います。ナポリタン、チキンライス、オムライスとかもそうですね。途中まではだいたい同じ。

 この歌については、それを活かしながら、逆のことを言うという変てこなことをしました。人という素材までは同じで、パートという操作が入って、大合唱という料理が出来上がる。が、(この歌については学生の文化祭レベルの大合唱を想定して作っていましたが)一人パートが変わったところで、おそらく大合唱という料理にはさほど変化はないと思われます。アルトが一人減ってソプラノが一人増えたところで。それが10人くらいの編成ならダメージは大きいでしょうが、大合唱となると。
 この歌だと、パート変更を告げられたのは主体、という設定でした。なので、主体は、パート変更を伝えられた、でもそれが大合唱全体にさほど影響を与えるとは思えない、だから、「あなたはカレールーに成ることはできない、取るに足らない存在だ」と言われたようなものだと、主体は受け取っている。そのショックを引きずりながら、カレーを食べている。
 自分でも言っていることが合っているか分からなくなってきましたが、元の素材→完成した料理、のルートを、上の句下の句ともに逆に辿っている(大合唱(完成形)→パート変更(素材)、カレーライス(完成形)→(透明なカレールー)→肉じゃが(素材))という、かなり理解が難しい形になっていました。
 類似点から、意味が分かる人にはさっと分かるでしょうが、分からない人には本当に分からない形になっただろうと思い、省くことになりました。連作でサポートする必要がある歌でした。

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エクレアとオルレア 僕らは雰囲気で音楽の良し悪しを決めてる

──2021.9 「Spill over」の頃。エクレアはスイーツのエクレア、オルレアはセリ科の白い綺麗な花です。オルラヤ、と言ったりもします。花が咲くまではほとんど見た目が雑草です(初案ではオルレアではなく「アキレア」にしていました。これも花で、鋸歯が特徴的な花ですが、オルレアの雑草っぽさが欲しくて変えました)。
 これはドストレートに言いたいことを言っています。雰囲気で決めてるんでしょ?という。繰り返し書いている通り、この批判は作者である私自身にも、当然向いています。
 で、「当然向いています」を露骨に伝えるために、「エクレアとオルレア」を配置している、というこれまた物凄くあざとい作りです。エクレアとオルレアという若干の音の類似に、「音楽」的な語感の良さをつくる。読者に対して、「あなたたちはこの短歌ですら、音感で、乗れるかどうかでだけで、判断するでしょ?」というメッセージを込めています。
 落とした理由は、流石にあざとすぎるというのと、この歌を読んで読者は''反発するしかない''(気づかない人は何にも分からないでしょう)というのが、あまりに意味の無い負荷をかけるなと思ったのと、エクレアとオルレアの間に音以外の共通点がないのが技術としてあまり美味しくないというのと、最後の「決めてる」のい抜き言葉が気に食わなかったというのとでした。
 僕は、言わずに言う、という短詩の美学をある程度信奉してはいて、その仕組みって、美そのものにも近づいていると思っていて(美そのものが、直接的ではなく間接的に生まれるものだと思う)、しかも、この形は皮肉とぴったり重なるなと思っています。はっきり悪口ではなく、裏で言う、皮肉。直接批判しても、聞く耳を持たない人には効かないですから、一見ふつうの見た目をしていた方が、本当に言いたい相手に伝わるのではないかと。皮肉でしか届かない相手に、しっかりと皮肉を届ける。僕はほとんどの歌が皮肉で、だいたいは裏に別のメッセージがあったりなかったりします。ただ、ずっと怒っているという訳ではなくて、皮肉という言語の行為、それすらも、美、なのではないか、という持論があり(汚い皮肉もあるので、一概に皮肉というものは美しいとは思いませんが)。言葉が、そのまま表すものへ直通していない状態、その詩的さに惚れています。
 なので、この歌は皮肉としても三流だったなと思います。


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Flowers どこからともなくセーブするよう呼びかける声が聞こえる

──2021.11 「Whisper/Wistaria」の頃。2021年の頃から、英単語を積極的に入れる試みをしていました。(個人的には、短歌内の英単語の挿入に関しては誰よりも色んな形を研究した、し終えた、と自負しています……。まだまだ出来ることがある水脈だと思います。誰にも負けません。)
 その中でもこれは圧倒的に弱いな〜と思って落としました。まず、Flowers、がそれ以外の要素との連関があまりない(英単語と他の単語や景色と繋がっていないと、あまり意味が無い)。そして「呼びかける」の時点でほとんど次に「声」「聞こえる」が来るのが予想出来てしまうのが勿体ない(予想できる、というのは読みやすさに繋がるので時と場合によりますが、特に''結句が予想出来る''のは後味や主導権が読者に引っ張られたまま終わるので、歌自体の屹立を考えるとマイナス)。
 イメージとしては、花畑の中で主体はもう死にそうになっていて(もしくはもうすぐ強制的に死が訪れるようなイベントが控えていて)、天啓のように空から、セーブしますか?とか、セーブをおすすめします、とかの文字が現れている(もしくは頭に聞こえている)、という景色です。
 だいたい表せてはいるものの、ボス戦前とかエンディング直前のセーブ推奨って既にどこかの短歌で詠まれていそう(ネタツイ的な共有財産として既に流布している)だし、この歌が新しく出来たことって何一つないな、と思ってやめました。あと10点ほど、英単語を使う際の自分なりの基準やコツがあり、そこから漏れたというのもありますが、そのコツは今のところは秘密にしておきます。


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塾講師とスタートダッシュについて話す 夜のグラウンドで走りますか?

──2021.12 「MOONLIT」の頃。塾講師からくる「スタートダッシュ」の意味が、「グラウンド」によって変化するという、僕がよくやる手法の、転換の仕方です。前半に出てきた単語が、下の句では意味が反転して見える。〈薔薇と蜂/製氷室に蜂がいる/薔薇の溢れる製氷室に〉(「水天」第三滑走路9号)もそうです。これは語の意味ではなく景の次元で起こしました。〈甘い記憶と辛い記憶が混ざりあう手羽先の甘辛い思い出〉(「Fluffy Bullet」)は、初めから読むと「つらい記憶」で、「手羽先」の登場によって、「あまからい」になるという単語遊び的な歌です(蛇足ですが、つらさ、って、甘さと密接に関わっていると思うので、単なる言葉遊びに見られると困る歌です)。
 この塾講師の歌は、あまりにも''塾講師''を道具として使ってしまっている点が最後まで引っかかって、やめました(道具というか、「スタートダッシュ」について滔々と語るうさんくさい塾講師の動画を見かけたので、それを面白がって書き始めたので、道具でいいっちゃいいんですが)。
 それに、夜のグラウンドで走る、という展開は、僕が頭の引き出しの一番取りやすい場所から適当に引っ張ってきた話で、それも深水黎一郎の短編「人間の尊厳と八〇〇メートル」から来ています(怒涛の展開の、最高級の短編です)。やっぱり安易に癖で楽して書いていたらすぐ人の作品に影響されてしまいますね。詩である以上オリジナルを志向したい、と僕は思っています。

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徒長する枝の  すぐそこに宇宙旅行がすぐそこに来ている

──2022.4 「Heart Loop」の頃。これは、空中飛行の技術(マニューバー)のひとつ、ハート・ループに、''心''を重ねた連作でした。連作内に登場するインメルマンターンも技のひとつです。
 その中にこの歌を入れるとなると、飛行機-空-宇宙のラインが強くなりすぎて、ハート(心)がサブに見えてしまうなと思い落としました。SF感が強くなりすぎてしまう。
 二字空けは、タンタンくらいのリズムで、「すぐそこに」は三句目にぴったりハマっているつもりです。これはちょっと読みづらかったですね。

 でも、後半の「すぐそこに」の繰り返しは意外と気に入っていて、(既に誰かがやっている方法だし、「すぐそこに」連呼もほかの歌人と丸かぶりしてそう)この切迫感と「徒長する枝」の重ね方は水墨画みたいでいいかな〜と思ってはいました。(深く読もうと思えば、一回目の「すぐそこに」と二回目の「すぐそこに」は意味が違いますよね)
 宇宙旅行、気軽に出来るようになったとしても、多分僕はしないと思います。僕は「空」は好きですが「宇宙」はそこまで好きではありません。宇宙には「空」が無いからです……。

 読んでいただきありがとうございました。とりあえず①②で留めておきますが、連作から落とした歌はまだまだあるので、気が向いたときに③④と書いていきたいと思います。

 短歌と同じくらい俳句も熱心にやっていて(俳句の方が三年も早く先に始めて作り続けているのでおかしな言い方ですが)、そちらの、連作から落とした句もいつか紹介したいなと思います。
 この記事が少しでも誰かの創作の役に立てたらなと思います。ただ短歌では全く賞などで評価されたことは無いので、あまり信用なさらないでください。好きなものを淡々と作り続けているだけです。

 基本的にこのnoteと「第三滑走路」(Twitter)で短歌作品を発表しています。一首でも読んでいただけたら、嬉しいです。
 これからも何卒よろしくお願いします。

丸田洋渡

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