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マントルおじさん 第2回「深部へ」

私たちは40分くらいの間、黙々と地面を掘り続けた。
そろそろ互いに疲れてきた頃(マントルおじさんは60歳を超えているようだ)、私のスコップが何か金属のようなものにぶつかり、カキンという音を立てた。
そのとき、マントルおじさんの眼が一閃した。
「そらきたぞ!」
こう叫んでマントルおじさんはまるで体力を取り戻したかのように、凄まじいペースで掘り出した。瞬く間に鉄製の梯子が地中から姿を現した。
私はまさかと思った。
「さあおいで」とマントルおじさんがはしゃぎながら語りかけるので、私はすっかり頭を抱えてしまった。
私たちは梯子を降りはじめた。
私は土の中がこんなに冷ややかなことを長い間忘れていたような気がした。
そういえば小学校1年か2年の頃、プラスチックの空のゼリーカップいっぱいにダンゴムシを集めて、食事中の友達へプレゼントしたことがあった。
そんな思い出に浸りながらひたすらに梯子を降りた。
どのくらい時間が経ったのかわからない。
いつしか梯子は途切れ、私はマントルおじさんと並んで地に足をつけていた。
辺りは真っ暗だ。
「おじさん、お尋ねしたいことが二つあります。
一つ目はもうマントルの中に到着したのか、ということ。
二つ目は灯りはどうするのか、ということです。
真っ暗でおじさんの姿も危うく見失ってしまいそうです」
マントルおじさんは何やらごそごそと妙な動きをした。
その動きが止まった途端、身の引き締まるような音が響いた。
マントルおじさんはそのとき鼻を噛んだのだ。
はじめの妙な動きはハンカチかティッシュを探す動きだったのだ。
「一つ目から考えよう。マントルへはまだまだじゃ。梯子をちょいと降りただけで到着すると思っておったのか。つくづく甘いのう。
二つ目はそう重要な問題ではない。あまり気にせんでいい」
それから私たちは5分ほど黙っていた。
私は久々の運動で眠たくなっていた。
マントルおじさんは疲れていないのだろうか。
もしかしたら、地球内部と表面とをよく往復するのかもしれない。慣れているのだろう。
「そら。あれに乗るぞ」
マントルおじさんの声にはっとして顔を上げると、左の奥の方から(主観的に、あくまで私から見て、暗闇の左の方から)オレンジ色の光がこちらに向かってくるのが見えたた。どこかで聞いたことがあるような音がする。
「あれは…トロッコですか?」
少しばかりはしゃぎながら私は尋ねた。
「違う、電車じゃ」
「電車?」
「そう、まさに地下鉄じゃ」
「誰が運転しているんです?マントルにはおじさん一人しか住んでいないと、さっきおっしゃったじゃありませんか」
「知らん」
マントルおじさんはにべもなく言い放った。
このとき、ちょうど電車が到着し私たちは乗り込んだ。
車内は至って普通だったが、清潔だったとはあまり言いがたい。
床にはおそらくこれまでのマントルおじさんのものと思われる足跡がたくさんあったのだ。
私たちは向かい合って席に座った。
私は眠たかったが、まだ出会って間もない人の目の前で眠るのは気が引けた。
私はずっと自分の手や指をじっと観察していた。
マントルおじさんには質問したいことが山ほどあったが、今はそれも呑み込んでしまうことにした。
また怒られたり、黙殺されたりするのが嫌だったからだ。
しかし、こういう乱雑なことに思いを巡らせているうちに私はいつしか寝入ってしまった。目覚めたとき私は席に寝転がった姿勢になっていた。

1時間ほど地下鉄で移動したあと、私たちは再び長い梯子を降りた。
マントルおじさんの家に着くまでの間、私たちは全く口をきかなかった。
突如、おびただしい量の光が私の目に飛び込んできた。
私は思わず目をそむけ、マントルおじさん、ここはどこですと言った。
我ながら意味のない質問だ。
「さあ着いたぞ」
目が明るさに慣れてくると、想像していたものよりずっと平和な光景が眼前に広がった。
そこは牧場だった。なんと青い空や白い雲、太陽もある。
それほど広大ではないが辺り一面を緑の芝生が這い、その上を牛や羊がのそのそと歩いている。
「赤い屋根が見えるじゃろう」
マントルおじさんが指し示した先には、なんともメルヘンチックな木造の二階建ての大きな家が腰をおろしていた。シルバニアファミリーを彷彿とさせるような。

「腹がすいたことじゃろう。さあさっそく食事じゃ」


第3回へつづく。

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