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愛国心とは靖国神社を信じることなのか 愛国者学園物語172

 「あまり深刻に考えないでください」

西田はそう言った。

日本人至上主義者が増えたとは言え、日本の社会にはまだ民主主義と個人の自由がある。あの神社に参拝しなくても、それは戦没者を無視したことにはならない。彼はそう付け加えた。


 

靖国神社イコール過去の戦争の戦没者を神として祀る神社を、絶対的に信じなければならない。そんな考えは民主主義社会の日本ではあり得ない。多様な価値観があるのが民主主義社会であり、日本は民主主義国家なのだから、自分の思うようにすれば良い。



 私たちが物故者を悼む(ぶっこしゃをいたむ)ということは、誰かの命令ですることではない。特定の宗教施設へ行くとか特定の宗教的行動をしなければ、悪い日本人だなんて、とんでもない主張だ。靖国神社を参拝しない人は悪い日本人だなんて、誰にも言う権利はない。日本人至上主義者に数えられる人々は、愛国者学園の関係者も、自衛隊OBの愛国将兵団も、日本人至上主義者の教職員から構成されている愛国者教職員組合(愛教組・あいきょうそ)も、そのような社会の多様性を無視している。それらを無視しているということは、憲法20条の「信教の自由」も無視しているということだ。彼らは憲法改正を望み、20条も変えようとしているが、民主主義を何だと思っているのだろうか。



 戦没者をどう弔(とむら)えばいいのか、それには多くの問題があると西田の話は続いた。現行のまま、千鳥ケ淵と靖国神社の2本柱で良いとする意見、千鳥ヶ淵を拡大する考えもある。人間の多様性や宗教の自由を重視する考えに立てば、神道の靖国神社に全ての戦没者を祀るのは、神道以外の宗教の信者の信仰を無視した考えである。それに、憲法第20条を無視することは日本人至上主義者たちでも難しい。だから、かつての殉職自衛官合祀事件のように、キリスト教信者の殉職自衛官が神道に合祀されるという、彼らの意思とは異なる方法で勝手に神道に祀られるような事件は起こしてはいけないのだ。では、どうすれば? 今の日本に良案はあるだろうか。



 自衛隊は各地の基地で、殉職した自衛官の葬送式を行なっている。その最たるものは、毎年、11月1日の自衛隊記念日の前後に東京・市ヶ谷の防衛省で行われる自衛隊殉職隊員追悼式だ。防衛省の本省にある慰霊碑の前で、防衛大臣や総理大臣なども出席するその式典が行われており、それは宗教色のないイベントとされている。


だが、日本人至上主義者は、そのような無宗教の式を止めて、憲法を変えて、殉職自衛官を靖国神社に祀れと主張する。それは、憲法第20条などの「政教分離原則」と真っ向から対立する意見なのだ。

彼らは憲法改正論者でもあり、神道を日本の国教にすべきであると主張している。神道は世界で唯一日本にしかない宗教であり文化なのだから、国がそれを守るべきだというのが彼らの考えなのだ。



 美鈴は暗い表情で言った。

「私は靖国神社が嫌ですけど、全ての戦没者を嫌っているわけじゃありません。ただ、戦争の拡大を指揮したり、多くの兵士を@に至らしめた人間たちを追悼したくないという立場です」

西田は数秒考えて言った。

「それは、良い戦没者と悪い戦没者ということですか?」

美鈴はピクリとした。西田のそういう言い方に少し驚いたからだ。

「ええ……、そうです。そういうことです。私が追悼したい戦没者という意味で良い戦没者、追悼したくない戦没者という意味で悪い戦没者ということです。前者は戦争に無理やり参加させられたり、虐@された人々のこと、後者は戦争を指揮して多くの同胞を@に至らしめた人間たちです」


 西田も同感だと言い、太平洋戦争を指揮した東條英機首相のことを持ち出した。そして、東條が

「生きて虜囚の辱め(りょしゅうのはずかしめ)を受けず」


という戦陣訓(せんじんくん)を軍に守らせたことを非難した。これは、日本軍の将兵は戦争に負けて敵軍の捕虜になってはいけない、という考えであり、これを守って無数の兵士が勝つ見込みのない突撃や自決をして戦@した。戦場になった沖縄では、これを守って少なくない数の民間人が自決した。旧日本軍は負けることを想定していない軍隊だったのだ。その大親分である東條は無数の兵士を@なせた張本人だ。日本人至上主義者たちは、東條のことを不当な東京裁判で処刑された悲劇の人、戦争の偉大な指揮者などと言い、靖国神社は東郷らを「昭和受難者」としている。だが、私はとてもこの人物を追悼なぞ出来ない。


 同様に、兵士を無数に@なせたような軍幹部たちを追悼する理由は私にはない。意味のない突撃で部隊を全滅させた指揮官たち。世紀の愚行であった特攻作戦を考えた軍人たち。それどころか、数千万人の国民を動員して本土決戦を行おうとした軍人たちまでいた。そういう人間たちを神として祀りたくない。それを強制されたくない。西田はそう述べた。



 やがて、西田から今日の話を終わらせる提案があったので、美鈴は最後に発言した。

 私は、日本人至上主義者たちの考えを受け入れられない。それに、特定の日に、自分の宗教信仰とは関係のない、特定の宗教施設に行くことを強制される。そうしなければ戦没者を弔ったことにはならないという考えも、だ。お盆の時期、特に、終戦の日に靖国神社に行かなければ悪い日本人だとする日本人至上主義者たちの考えは、あまりに一方的だ。いつから日本ではこのような考えが広まってきたのか。私自身は、終戦の日にテレビで放送される「全国戦没者追悼式」を見るだけで十分だ、そう思う、と。


 西田は、それに同意した。日本人至上主義は冷たく言えば、明治・靖国教と言ってもいい。明治時代に制定された、21世紀の視点から見れば時代遅れの大日本帝国憲法を賛美し、伊勢神宮、明治天皇を祀る明治神宮、明治から昭和の戦死者を祀る靖国神社を聖なる存在として崇めて(あがめて)いる。

そして、憲法を改正して、21世紀の日本の民主主義を変えようとしている。彼らは靖国神社を、日本人の愛国心の聖地にしようとしている。学校では、靖国神社への参拝を頂点とする愛国心教育が行われ、子どもたちは修学旅行で靖国神社を参拝するようになる。それが愛国心を育てるのだ、という名目で。


 そういう時代、自衛隊は国防軍になり、その戦死者は靖国神社に祀られるようになる。そして、日本の国教になった神道が社会で幅をきかせる時代になるのだ。かくて、愛国心イコール靖国神社になり、民主主義よりも軍国主義が幅を利かすようになるのだ。自分はそれが良いとは思わない。


 彼は最後に

「美鈴さんの態度は間違っていません。それでいいと思います。日本は民主主義の社会ですから、自分の意見を言う権利はありますよ、誰にでもね」

と言った。


 美鈴はさらにあることを話そうとしたが、それを口に出せず、鼻の穴がピクピクしただけだった。

二人はこれで話を終わらせることにし、互いに感謝の言葉を述べてから、ビデオ通話アプリを閉じた。

 わずか30分ほどの話し合いだったが、美鈴には長く感じられた。そして、昨日の第5回目の会合も含めて、

長い1日が終わったような気がした。酒が飲みたくなった。

続く
これは小説です。

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