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手を握り返してもらう

こんなへなちょこな私でも、医療職としての資格が一応あります。

先日救助活動をする場面があり、たくさんの人たちと患者さんを運ぶことがありました。
患者さんを乗せた台があまりに不安定だったので、とても怖かったと思います。
思わず私は患者さんの手をぎゅっと握りしめ、「大丈夫、ここにいるよ。」と声をかけたら、ぎゅっと握り返してくれました。

そのギュッと握りしめてくれた手の感触がいまだに忘れられません。

そうだ、私はこうして現場でずっと働いてきた人だった。

私はこれまで何人の人に「大丈夫、私があなたといるよ。」と伝えてきたのだろう。伝わったかはわからないけど。そして今でも私はそうしたいんだなということを改めて気付かされた瞬間でもありました。

トラウマからの回復の過程で人生の希望さえ見出せず、ただただデスクワークが多い仕事を今は選んだけど、全然自分に合っていない。毎日泣きたい。
私はもっと声なき声を聴きたいと思っているのに。

私には両親や友人ですら誰もそんな声掛けをしてくれないのに、私がしたいっておかしいですよね。うん、自分でもおかしいと思う。

今自分の現状がままならないから、まずは自分のことをと思っています。

今は少しゆっくり眠れるように調整しながら過ごしています。少し鎮静が効きすぎてるくらい静か。余計なことを考えたくないというのもあるけど、今はそれぐらいに調整しています。本当は韓国語のオンラインレッスンも受けたいし、ヨガもしたいけど、詰め込み過ぎて以前悪化させたことがあるので、もう少し落ち着いてから😌


サカナクションの山口さんという方の記事を読みました。

全てが同じじゃないとしても共感できる部分がたくさんありました。

以前何人かの友人から「しょうがないじゃん、だってあなたそういう病気なんだから。」と言われたことがありました。

そのときは言わなかったけど、すごいショックだったんですよね。自分が鬱という病気だということも、鬱になった原因も絶対認めたくなかったから他人には言われたくなかった。しかも性被害は受けたくて受けたわけじゃないからね。

けど今こうして辛い状態が続いていると、これはもう認めざるを得ないなと思っています。

私の場合は山口さんとは違った要因で鬱なわけですが、彼のように『新しい自分になる』とは考えられないです。トラウマの記憶とは一生の付き合いになるけど、それのお陰で新しい自分にもなれない。むしろ私はあの日から時間が止まったままなんだと思っています。

山口さんのように音信不通になりたい、人と話したくない、死んだ方が楽だと思ったことも何度もあります。でもその勇気がなくて今はしていないだけ。


そんなときにギュッと手を握り返してもらったんです。
それがトリガーになって、これまで私の手をギュッと握ってくれたたくさんの患者さんの顔を思い浮かべました。

こんな私でもまだ誰かに必要とされるかもしれない。

そう思いました。

その方から後日感謝のお手紙をいただきました。辛くなったときそっと読んで元気をもらっています。


私は歌うことが大好きです。
最近は一人で喉のリハビリと称して1ヶ月に一度はカラオケに行っています。
私は喉が強いのか2時間一人で歌っても声が枯れず、むしろ調子が上がってくる方です。
40代になって初めて「声ってこうやって出すんだなぁ」なんて感じて楽しい。私の唯一の楽しみです。
友人と行くとどうしても遠慮しちゃったり、恥ずかしさが出たりするので一人で歌うのが好きです。あとは推し活が本当に今の支えになっています。(それはまた近々書こうと思います。)


以上、最近の出来事でした。
鬱と性暴力被害についてはオブラートにかなり包んで書いたり話しているつもりですが、それでも人が引いていくのがわかります。それはそれで仕方がない。誰もが経験することではないし、理解しろって方が無理があります。
私も人と距離をとっていますし、それでいいと思う。

こうしてnoteを読んでくれただけでありがたいです。

それではおやすみなさい。

素敵な週末を。


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