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【映画雑記】このたび「マッドマックス 怒りのデス・ロード」を好きになった人たちへ。

 「マッドマックス 怒りのデス・ロード」(もうめんどくさいからFury Road略してFR)地上波放送により、にわかに新しいファンがたくさん出来たであろうタイミングで2015年の公開当時に書いた感想を引っ張り出してみる。5年前、その異様なまでに高いテンションに圧倒された観客たちのために、絶叫上映なんてイベントまで開催されてまぁとにかく盛り上がった印象のあるFR。しかし、当時、その内容を深く考察する感想は数えるほどしかなく、各SNSでも「ヒャッハー!」、「V8!V8!」程度の感想ばかりであったのは忘れてはなるまい。したり顔で「ストーリーなんて考えずにただ圧倒されればいい」なんて言う輩も多かった。そんな感想はまだいいとして俺が一番引っかかったのは「イモータン・ジョーは上司として優秀」という誤解にもほどがある感想がそこかしこで見られたことだった。代表的なものは「そういえばイモータン・ジョーは統治の手段に暴力と恐怖を使っていたものの、為政者としてはかなりのキレ者だったのではと思った。ちゃんと下の住民にも水を与えていたし。」という奴隷根性丸出しの醜いツイート。今回引っ張り出した当時の感想は、その言説に一方的にキレた内容である。

 ネタだろうしいちいち突っ込むのは野暮だとはわかっていても、イモータン・ジョーが上司として優秀すぎるとか書いてるやつは救いようのない馬鹿だなと思う。イモータン・ジョーは1作目の暴走族のリーダー、トーカッターや、ブラック企業の経営者みたいなモノの言い方をするヒューマンガスとは明らかに違う。イモータン・ジョーは、全ての利益が自分一人に帰結する秩序を作り上げて、汚染された世界で短命であることを余儀なくされている男たちを盲信的な自殺マシーンに仕立て上げ、女性たちを産む機械以下の存在に押しとどめ、飢えた民衆を水でコントロールしている狂気の独裁者だ。全ては自分の欲のためだ。そこに歴史が経験した悲惨な過去が見えないのか。ウォー・ボーイズは、明らかに旧日本軍の特別攻撃隊を意識しているじゃないか。いや、むしろISISだのボコ・ハラム(※2015年当時、各自ググるように)だの現在進行形じゃないか。「俺を見ろ!」、「よく死んだ!」この流れに「ヒャッハー!」ばかり言ってるやつは自分のセンスをちょっと疑ったほうがいい。ストーリーなんかないとか言いきってる輩や、マックスが脇役に終ってるとかいうピンボケ発言している連中も。
 イモータン・ジョーを生み出し、マックスを狂気に追い込んだFRの世界はこの我々が住む世界そのものであるし、そこで希望を持ち続けることの高貴さを体現するのがフュリオサとジョーの下から逃げた5人の妻たちだ。その高貴さによって自身のあるべき姿を取り戻したのがマックスであり、ニュークスじゃないのか。そしてマックスやニュークスはその高貴さに対し、その行動によって報いるじゃないか。彼らが体現するのは狂った現実との戦い方だ。
 古来より伝わる英雄譚を、ここまで重層的な暴力とビジュアルで力強く描き出し、しかもエンターテインしてみせた映画はそうそうない。FRはいま観ておくべき福音なのだ。

 FRが描いている世界はそう単純なものではない。映画の見方はひとそれぞれで、一方的に押し付けるつもりは毛頭ない。ただ、今回、地上波放送という広く人口に膾炙する機会があり、またこのコロナ禍真っただ中という今までにない特殊な状況の中で、つい「ヒャッハー!」で終わってしまう馬鹿が湧かない様に注意喚起はせねばなるまいと思っただけだ。
 
 生き延びろ。

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