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【映画雑記】「ペンタゴン・ペーパーズ」が我々に突きつけるもの。

 「ポスト安倍、権力をめぐる熾烈な争い」という趣旨の見出しで始まったテレビのニュースが、「○○のコスプレが話題に」、「広島カープの始球式に出た」、「いろいろなマスクで注目を浴びる」などなど各候補者の親しみやすさをアピールする全くどうでもいい内容になっているがなかなかのディストピア感ですね。マスメディアがそれ言い出しちゃうと本質の矮小化が進んでしまって、日本中、古今東西津々浦々、みんな馬鹿になってしまいますよ。こんな状況を見るにつけ、思い起こすのがスティーヴン・スピルバーグ監督の「ペンタゴン・ペーパーズ」です。

 60年代半ば、既に「ベトナム戦争は負ける」という見通しを立てていたにも関わらず、その後5年にわたってアメリカ政府が若者たちを戦場に送り続けている事実をニューヨーク・タイムズが突き止めた。しかし、ニューヨーク・タイムズがニクソンの圧力で記事を差し止められ、バトンを受けとる形でワシントン・ポストがスクープを掲載する。この映画は主人公をポスト側の視点に置き、権力に対してマスメディアが取るべき姿勢と真摯に向き合います。ここまで読んでおわかりのように事実を元にした映画です。おそらく「いまのアメリカ大嫌い!」なオリバー・ストーンが撮ったらニクソン側の描写も加わって怒涛の攻防を描き、3時間を越えたであろう物語をきっちり100分でまとめあげたスピルバーグの手腕には舌を巻きます。しかも、彼はトランプ大統領が就任した翌年、この映画を半年で完成させています。「レディプレイヤー1」製作と並行していました。トランプ大統領はわかりやすいスローガンと親しみやすいパフォーマンスで一気に大衆の支持を得て、全世界が「まさか」と見守るなかで見事、権力の座を勝ち取りました。スピルバーグがその「まさか」に対して抱いた強い違和感が、彼を急がせたに違いない。それでいいのか?とアメリカ国民、ひいては日本に住む我々にも問題を突きつけたのです。

この映画の本質はトム・ハンクスが演じたベン・ブラッドリーの熱弁「新聞が政治家とパーティーでお茶を飲む時代は終わったんだ」に集約されます。1971年の物語であるにも関わらず、安倍シンゾーから寿司や焼肉をおごられ、まるで政権の代弁者であるかのように振舞い、発言していた連中が目に浮かんで背筋が寒くなりますね。確かに、記者たちの取材対象への夜討ち朝駆けが事実を暴いたり、スクープを呼んだりすることもある。しかし、それは権力にすりより、仲良くなることでは決してない。もっと言うと、我々も権力に対して親しみを覚える、というのは危険な傾向だということを自覚しなければいけない。いい人そう、病気でかわいそう、という感情だけで政権を支持したり、疑惑追及の手を緩めるのは極めて危険なのです。クライマックス、ベテランの役員たちから信用されてない、女性社長のメリル・ストリープが腹をくくる場面は個人的に熱くなりました。彼女のような決断、怖くてしかたがないが、だからこそ「違う」と言える勇気が必要とされているということです。

 蛇足ですが、エンディングがウォーターゲート事件に繋がる手際のよさもきっちり落とし前感あってよかったですね。この事件を描いた1976年公開の「大統領の陰謀」もワシントン・ポストの記者が主人公です。「ペンタゴンペーパーズ」と「大統領の陰謀」はぜひ続けてご覧になることをお勧めします。


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