【双極記録01】+100地点と−100地点
いま現在、これを書いている時点は+80地点あたりだろうか。躁状態のピーク、もしくは鬱の沼底にいるときは原稿を書くことができない。脳内でアイデアがあれやこれやと浮かび、腰を据えて文章を構成することができなかったり、絶望の只中にいてペンを持つことさえできなかったりするからだ。
それゆえ+100と−100の精神状態を正確には描写できないかもしれないし、何かが抜け落ちているかもしれない。それでもいくつかの記憶の断片は残っているので、それらを記録しておこうと思う。
そしてこれはあくまで私自身の症状であって、患者それぞれ違う困難や辛さを抱えていることをご理解いただきたい。
と言いつつ、いざコンピュータの前に座ってみたものの、どんな文体で書き進めようかなかなか定まらないでいる。どのみち躁と鬱とでは人格がかわるのだから、書き方を決めたところで統一させることは土台無理な話かもしれない。そう、人格が変わるのだ。ふたつの自己がひとつの体内に同居している感覚。
身体のコアな部分に「私」がいる。けれど「私」は表層に出ることができず、いつも前面に出ている「躁の自分」または「鬱の自分」を俯瞰している感覚。
伝わるだろうか。機会があれば同じ障害を持つ方と、一度ゆっくり語らってみたい。
「躁の自分」が決めた物事は「鬱の自分」には到底できるものではないし、「鬱の自分」が決断する諦めというものは「躁の自分」には理解不可能となる。何かを判断することは、いつも慎重に行わなければならない。
そろそろ本題に入ろう。
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躁状態のときは毎回思う。このままいい感じが続いて、鬱なんてもうやってこないんじゃないかと。できないことは何もない。悪いことなど起きるはずもないし、起こったとしても上手く立ち回れると信じて疑わない。何の根拠もなくそう思ってしまう。万能感である。
鬱の時に滞っていた友人知人(アート活動の関係も含む)への連絡も、一気に取り始めるのもこの時期だ。今回の躁(2024.04)では12人も連絡を取ってしまい、脳みそが爆発するのではと危惧を抱いた。
私の場合、毎回、鬱から躁へは突然切り替わる。照明のスイッチをパチンと押すように。ある日夜中に目が覚め、眠れなくなるのだ。あ、来たな、と思う。以降、不眠症状が何日も続いて日中ふらふらになるのは分かっているけれど、滞っていた雑用や、先に進めなければならい製作が捗ることを想像するだけで、わくわくが止まらなくなる。眠るための頓服を飲むことを忘れてしまう。そうして睡眠不足が続くことにより、些細なミスが頻発するようになる。車の運転は控えなければならない。
やりたいこと、やるべきことリストはどこまでも長くなり、机の上はメモ書きだらけとなる。他人から見ればカオスであろう状態なのだが、本人は楽しくて仕方がない。ADHD様の症状もひどくなる。
多幸感。これはどう説明すればよいのだろう。姉や友人に話しても、いまいちピンと来ない様子。
日々の暮らしの中でふっと幸せを感じることはあっても、数日あるいは数週間も幸せが続くって、ありえなくない?と言われてしまう。そうかもしれない。これは障害、異常なのだと思い知らされる。
それでも鬱の地獄を知っている身としては、いまこの幸福を味わわずしていつ幸せに浸るのだ、と思ってしまうのである。
朝、目が覚めたとき気分が落ちていないことに幸せを感じ、庭に出て樹々や野菜たちを眺めては幸福に浸り、台所で片付けをしながら創作のアイデアをあれこれ妄想しながら微笑む、といった具合だ。
けれど、それは永遠には続かないのである。
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鬱に転がり落ち始めるときは、身体に幾つかのサインが出る。そして毎回それを見逃してしまう。悔しくて仕方ないのだけれど、主治医によるとそれは自分の意思でどうにかなるものではなく、薬で対処するしかないのだそうだ。
躁状態を抑えるために増やした薬を減らしたくなるのだが、ここはグッと堪えなくてはならない。
身体に出るサインについてはまた後日書こうと思う。
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鬱状態に陥ると、数日から1週間程度、過眠期に入る。暗くて寒い時期は毎年のように鬱になるので、あるいは冬眠と呼んでもいいのかもしれない。
沼の底、−100地点について書くべきことは少ない。
とにかく寝ている。21時に布団に入り、朝起き上がるのは10時頃。トイレに行き、薬を飲み、食べられそうなものを口に入れ、また布団に戻る。目が覚めるとまた同じことの繰り返しである。眠りは浅くなり、幾つもの夢を見る。けれどどんな夢かは何ひとつ思い出せない。
何も考えられず、何にも感動しない。悲しいことが起きても、涙は出てこない。うっすらと、恐怖は感じているような気はする。何もできないことに対する絶望にだろうか。もう二度と起き上がる日は来ないかもしれない、何か悪いことが起こるに違いない、というこの世の終わりを妄想しているからだろうか。
過眠期が終わると、少しずつ起きている時間が長くなってくる。−90〜80地点、ここからが地獄の始まりだ。
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こんな風に+100と−100地点では、人格が変わってしまう。極端な振れ幅に毎回疲労困憊しているであろう夫と姉、急に多弁になったり、連絡が滞ったり、マンホールの蓋が暴れている!と早朝深夜にメッセージを送っても温かく受け入れてくれる友人たちに、そして、もう長いお付き合いになる主治医に、心からの感謝を。
皆の力を借りて、今日も私は生きています。
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