ジョバンニ~毒親サバイバー

毒親サバイバー。夫と幼児1人の3人暮らし。カウンセリングで抜け出し毒親と断然。幼い頃か…

ジョバンニ~毒親サバイバー

毒親サバイバー。夫と幼児1人の3人暮らし。カウンセリングで抜け出し毒親と断然。幼い頃から大人になっても続く毒母からの虐待の詳細、それでも負けない決意、乗り越える極意を綴ったエッセイ。

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毒親のせいにせず、幸せを決意する

幼稚園児の我が子が 食べ終わったご飯のお片付けをしなかった。 『ママが作ったんだから、ママが片付けてよ』 大きくなったねぇ 一丁前のことを言うようになったよと 夫に報告し、あれから数時間経って、 子どもに教わったような気になる。 毒親の、母と父のせいで、 私は不幸な人生を送ってきた。 大人になっても、毎日生き辛く、毎日悩み、 今だに虐待を忘れられず苦しんでいる。 母さんが私を産んだんだから 母さんが私をこうしたんだから だから母さんが私を幸せにしてよ 私の中にその怒

    • 死んだ兄に

      兄に会いたいと想う。 死んでしまった兄がいないことは さっと眼の前が暗くなるような感覚に近い。 絶望にぐわっと一瞬にして包まれるような感覚。 お酒を飲んで帰る夜になると、必ずこれだ。 兄が生きていた時は、必ずと言っていいほど 帰りの夜道、駅から家までの間に、 兄に電話をかけた。 兄はいつも起きていて、 誰かとお酒を飲んでるからと面倒くさそうに言うか、 家に帰っていて子どもが起きてしまうからと小声で何の用かと言った。 必ず電話に出た。 兄の声を聞けば満足だった。

      • 度肝を抜かれた仕事のスタイルについて〜こんな気持ちで働いてみたい

        いつも一緒に仕事をすると こちらがワクワクして楽しめて 気分が良くなる仕事相手がいる。 彼は視座が高く、視点が広く、寛容で、 あらゆることを楽しんでいる。 会話は知的でポジティブ。 いつも口元に笑みを称えており 適度に適当で素敵な人だ。 私は彼に聞いてみた。 あなたの会社は何で儲けているのかと。 「うちは適当なんですよね〜」 と言って、色んな事を教えてくれた。 楽しければ何でもいい会社である。 楽しい事を好きなようにやった人が偉い、 会社に出社しなくても、 自宅で好き

        • 兄が死んだ日

          その日はとても月が大きくて 都会のビルの屋上から見え隠れする程の低い高さで 黄色ともオレンジともつかない色を帯びていた。 夏の猛暑でクタクタになった花と 秋の花を花壇に植え替えるため 隣の駅まで2歳にもならない息子を夫と連れ立って 夕飯を食べ花を買い帰宅した。 世の中は、台風明けのラグビーの試合で 持ち切りだった。 夜20時ほど。 日曜日の夜だった。 兄嫁から電話が鳴った。 こんな時間に何だろうと思った。 兄が死んだ。ごめんね。 淡々とした電話だった。 兄嫁は泣か

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        毒親のせいにせず、幸せを決意する

          毒親育ちの家族になってくれた夫と、子どもについて

          両親ともに毒親で すっかり大人になった今も 過去記事に度々書いたように、 ふとした時に影響が出てきてしまう。 今日会社でぐったりと疲れてきた私は、 度々我が子の要望に応える遊びが出来なかった。 ごめんねと抱きしめると 『ママのたくさんの疲れが エベレストの山に飛んでいきますように』 と言ってくれた。 それでもしばらくするとまた元気にはなれなくて ソファーでぐったりしていると 『神様、ママに元気をいっぱいあげてください』 と言ってくれた。 夫に、 会社で聞いた先輩の家庭

          毒親育ちの家族になってくれた夫と、子どもについて

          大切な兄の死

          神様どうして兄を私から奪ったのでしょうか。 大切な、私にとって1番大切な、 一緒にいて欲しくて、相談相手で、 何かあれば頼って、何もなくても連絡して、 大切な大切な兄が 何で死ななければならなかったのでしょうか。 事故はなんでしょうか。 あの日台風が来なければ救急車はすぐ来たのに あの人分かりやすい所にいればすぐ助けは来たのに いつものように汗かきの兄が首にタオルを 巻いていれば事故から命を防げたのに。 あの日の朝、 私は遠距離の兄と兄嫁と電話して 行かなくても良いんじゃ

          嫌な事があった時の考え方〜イライラの対処方、凹んだ時どうするか

          仕事でとても嫌なことあった。 大した事ではないと、自分に言い聞かせても そのことがぐるぐるして辛かった。 『自分は悪くない』の論争に巻き込まれ、 やり取りを残しておくでもなかった私は とっとと謝った。 それでも、『自分は悪くない』と躍起な人たちは あれやこれやで私を批判した。 夫が、 もう過ぎたこと、 他人にどう思われたって構わないこと、 相当の年次なのだから気にしないで次! と励ましてくれた。 有り難かったが それでもぐるぐるとその事が離れなかった。 子どもをお風呂

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          自分の身体を愛おしく思いたい

          幼い時、私が風邪をひくと母は不機嫌になった。 女は、子どもが具合が悪いだの学校行事だの すぐ休む。全部私が肩代わりすることになる。 日々そう言って愚痴る母は、 自分の母親と祖母とも暮らしており、 家事を何かするでもなく、 学校行事にも来なかった。 朝も出社ギリギリまで寝ていて顔を合わせることもなかった。 小学校、中学校、高校と 兄も私も無遅刻無欠席無早退だった。 学校がある時に風邪は引かないようになっていた。 あるいは熱はあっただろうが 休ませてもらえないという諦めから

          自分の身体を愛おしく思いたい

          大いに自分を褒め、自分に感謝する

          自分のことを 自分で毎日少し褒めてみたい。 朝、予定時間前に起きれたとか、 家族に微笑んで挨拶したとか、 取り留めもないほんの少しのことであっても。 そこに感謝も織り交ぜて。 体調が悪い時お休みさせてくれた会社に、 雨が畑や花壇を潤してくれた事に。 何より肝心なのは、 その時に温かく嬉しい気持ちを感じること。 その感情にすっぽり埋まること。 胸に手を当てて、目を優しく閉じて、 深く呼吸をしながらゆっくりと幸せを実感する。 たくさん寝て、 ちゃんと食べて、 自分の体調

          大いに自分を褒め、自分に感謝する

          今年、毒親の誕生日と母の日を無視しました

          毒親である母親の誕生日、 そして今年の母の日、 私は母に無言を貫いた。 これまでは、 罪悪感に苛まれて プレゼントを送ったりメールを送ってきた。 会話をしなければ良いだろうと思っていた。 それが、自分への折り合いの付け方、 罪悪感への対処だった。 でもそれは母への甘えだと気づいた。 少し気にしてるよ、 でも拒否しているんだよ、 分かってよね、 という甘え。 5歳児のように自分の喜怒哀楽を押し付け、 私という存在を認めず、 我が子として愛情もって扱えない、 毒親の私へ

          今年、毒親の誕生日と母の日を無視しました

          毒親育ちは好きなこと、夢や希望を見つけられないのか

          私は毒親に育てられた。 産んだ覚えはないそうで、 それなのに産まれて来なければよかった、 仕方なく育てたんだから死んで欲しい、 とよく言われていた。 何をしてもダメで、頭も器量も悪く、 女なのに女の子っぽいものが似合わないそうで、 就職した際にはヤメたほうが良いと人事に電話すると言った。 結婚も出産もおめでとうはなかった。 過去記事に詳細は書いてきたが そうやって母は、私を否定し続けた。 それでも私は 毒親の思ったとおりには、ならない。 毒母の願っている私には、成り下が

          毒親育ちは好きなこと、夢や希望を見つけられないのか

          子どもの強さ〜毒親育ちの子育て④

          先日我が子が友人2人に 仲間はずれにされていたところを見た。 その2人は周りの子にも声をかけて 自分たちの方に来るように仕向けていた。 我が子は、私の見ている前で ぐっと泣き出すのを堪えて 他の子に遊ぼう、遊ぼうと声を掛けていった。 しばらくそのようなことがあって 我が子と遊ぼうとした子を 引き離そうとした二人に向かって 「だったら皆であそぼうよ!」 と我が子が言った。 一人が「さっきはごめんね」と言って、 皆で遊びに走っていった。 その間、我が子や 私達と一緒にいた

          子どもの強さ〜毒親育ちの子育て④

          毒親育ち、自信をなくした時には

          自分を好きになること 自分がやることを肯定すること 自分に自信を持つこと 自分のことなのに、気持ち一つなのに、 とても難しく思える。 そうするべきなことは分かっている。 周りを見渡せばそういう人ばかりいる。 物の本にもそう書いてある。 でもとても難しく感じる。 自分を鼓舞してみても マイナスな思考があれよあれよと湧いてくる。 先日同じ会社の職種の違う人たちと懇親会があった。 皆文字通りギラギラしていて、 上にも下にも不満があって、 会社の解決策を激しく討論していた。 私

          毒親育ち、自信をなくした時には

          毒親育ち、今動き出す時が来た

          自分の目に映るものや 自分に起きている事柄を、 前向きに捉えられてワクワクできたら どんなにいいだろう。 周りの人のネガティブな対応や反応をみても 大して重く受け止めず 何度もノックして状況を変えられたら どんなにいいだろう。 何かあったとき 最悪を考えてしまう。 そんなことさえも自分の利点として 自信を持っていられたら どんなにいいだろう。 毒親育ちでなかったら どんなにいいだろう。 毒親サバイバーの自分を 誉めることができて 強くなった、 人の痛みが分かるようにな

          毒親育ち、今動き出す時が来た

          毒親育ちが、まともな親育ちの人に驚くこと

          19歳か20歳か若い頃、 一人暮らしの彼の家で、私はお茶をこぼした。 テーブルに転がるグラスと 残っていた少しばかりのお茶。 私はとっさに彼を見た。 『かからなかった?』そんな程度のことを 彼は言ったと思う。 たんたんとテーブルを拭く彼を呆然と見た。 私は聞いてみた。 お茶やお味噌汁や飲み物を、 テーブルにこぼして 怒られたり叩かれたりしたことはないのかと。 一度もないと彼は言った。 とっさに怒られると身構えた自分と 何てことはないと赦してくれた彼。 その彼は私の

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          我が家のベビーシッターの話

          我が家のベビーシッターが海外に行く事になった。 そんなにたくさん頼んでたわけじゃない。 コロナになってよりそれが加速したし 赤ちゃんの頃は人に頼る思想もなくて 2歳になってやむ終えずシッターさんをお願いした。 数人お願いして 彼女は夫婦で気に入った若者だった。 いつも我が子や私たちに寄り添ってくれた。 はにかみながら、穏やかに、 私にも我が子にも同じ一定のトーンで接してくれた。 ここ一年はお願いしたことはなかったけれど 彼女は海外に行くと連絡をくれた。 直接お話したい

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