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自由な人生と、不安定な心

わりかし自由な人生を生きていると思う。

好きなことを、好きなときにして、それが生業になって。

どこかへ通勤する必要もなく、両親は元気なので介護の必要もなく、夫婦だけなので好きな場所で暮らしていける。

でも、このふわふわ漂える人生は自由な一方で、"どこにも根を下ろしていない不安定さ" もはらんでいる。

今年わたしは、「今世では子どもを持たない」と決めた。実際は「持つのを諦めた」とも言える。29歳の頃に一度妊娠しているのだけど、あれから5年のあいだ「やっぱり子どもがいる人生も経験してみたいかも」と「いや、わたしには難しいのかも」のはざまで揺れていた。

どっちつかずな間は、仕事や暮らしにおける大きな決断も保留になりがちだった。本当はもっと東京から遠い場所で暮らしてみたいけど、子どもを持つなら実家に近い方が良いかもしれない。お店を持ってみたいけど、今そちらにお金を使うタイミングではないのかもしれない。

そんなふうに、曖昧な時間が流れていった。

まあそんなこんなで、いろいろと葛藤したけれど、そこはものすごく個人的なことなのでちょっと省略し、結論として「子どもを持たない人生を生きてみよう」と決めたのだった。

そう決めた途端これまで繋がれていた糸がプツンと切れ、一段と自由になったような気がした。

なんでもできる。いろんな道の選択肢がある。縛られるものは、何もない。

それは歓びであると共に、急に "からっぽな未来" に投げ出された感じもして、なんだか怖くなってしまう日もあった。

この自分で選んだ人生においては、まだ1年生のようなものなので、心の置き方がなかなか不安定である。

「どこでも行ける!選択肢が増えた!選ぶの楽しい!」とわくわくしたかと思えば、「この世界のどこにも居場所がないのでは」と落ち込んだりもした。選べる道が増えたと思える日もあれば、選べなかった人生に心が苦しくなる日もあったり。

でもまあ最終的には、落ち込んでること自体が悔しくなってきて、「ぜったいこの人生を楽しんでやるんだ!」と、ねじれたポジティブが発動するのだけど。

何かをひとつ手放したら、新しいものをひとつ、選べるようになる。

これまでもそんな人生だったので、たぶんわたしは今年ひとつ手放し、これからまたひとつ、選べるようになるのだと思う。そう信じているし、「自分」がちゃんと選べるように整えるのは、自分の役目でもある。

ふわふわ漂う人生は、どこへ行くのだろう。

きっとこれからも不安で、楽しみで。

この日々の行方を知るために、わたしは自分を見つめ続ける。


おわり


●エッセイ集を出版しました
「自分はどうかな?」と考えるきっかけとして、文章が届いたら嬉しいです。



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