NHKの洗脳、ソ連生まれやロシア帝国生まれも「ウクライナ出身」!音楽家編

前回のピアニスト編の引き続き弦楽器奏者編。

「ウクライナ」は単に一地方の呼び名だった。
なのでウクライナ「出身」いうのが、全くの間違いとは言えないが、
センシティブな意図で使われている。
それが毎回だと、イラっとする。
気にする必要ないと言えばその通りだが…

1,
レオニード・コーガン

レオニード・ボリソヴィチ・コーガンLeonid Borisovich Kogan1924年11月24日 - 1982年11月17日)は ウクライナ出身のソ連の名ヴァイオリニスト。同郷の親友ダヴィッド・オイストラフに同じくユダヤ系

ウクライナのドニプロペトロウスク出身。父親は写真家でアマチュアのヴァイオリン奏者。」

もちろん生まれはソ連である。
ソ連で活躍した有名なヴァイオリニスト。
ユダヤ人はヴァイオリンが得意な人が多いイメージがある。
彼に師事したモスクワのユダヤ人ヴァイオリニスト宅で
ピアニスト奥様の手作りごちそうを頂いたことがある(ただの自慢)。



2,
ダヴィッド・オイストラフ

ダヴィート・フョードロヴィチ・オイストラフ(あるいはオイストラッフとも、Дави́д Фёдорович (Фи́шелевич) О́йстрах, David Fiodorovich Oistrakh/Eustrach、1908年9月30日 - 1974年10月24日)は、ロシア帝国オデッサ(現:ウクライナ)出身のユダヤ系ヴァイオリニスト指揮者。息子イーゴリ・オイストラフもヴァイオリニストである。

1908年にオデッサの商家に生まれる。5歳からヴァイオリンとビオラをピョートル・ストリャルスキー(Пётр Соломонович Столярский)について学んだ。1922年にソヴィエト連邦が成立。その翌年である1923年からオデッサ音楽演劇学院で学び、1926年に卒業した。音楽院でオイストラフは和声とポリフォニーをニコライ・ヴィリンスキー(Николай Николаевич Вилинский)の下で学んだ。さらに学生でありながら、オイストラフはオデッサ交響楽団でソリストあるいは指揮者として活動していた。

1928年にソリストとしてレニングラードでデビュー。」


3,
ナタン・ミルシテイン

ナタン・ミロノヴィチ・ミルシテインНата́н Миро́нович Мильште́йн 1904年1月13日オデッサ - 1992年12月21日ロンドン)は、ウクライナ出身のユダヤ系ヴァイオリニスト。英語読みではネイサン・ミルスタイン(Nathan Milstein)。

母親の奨めでヴァイオリンを学び始め、11歳のときレオポルト・アウアーの招きでペテルブルク音楽院に入学、アウアーのロシア時代の最後の弟子の一人となる。」

「生誕 1903年12月31日
(同じページに出生日が2つ書いてあり、
どちらが正しいか、どちらも正しくないか分からない。
2週間違いなので、歴の違いかも。)

「Дата рождения 11 (24) декабря 1902
ロシア語版は全然違う。


    ==========

wikiで音楽家たちの経歴を見ても、現在ウクライナ国に
なっている人の出生地の表記がバラバラである。
「ウクライナ出身」表記になる基準がよく分からない。
有名な方から変えていっているのだろうか。



有名なので…番外
ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(チェリスト)

ムスティスラフ・レオポリドヴィチ・ロストロポーヴィチロシア語: Мстисла́в Леопо́льдович Ростропо́вич, Mstislav Leopol'dovich Rostropovich, 1927年3月27日 - 2007年4月27日)は、アゼルバイジャン(旧ソビエト連邦)出身のチェリスト指揮者。特にチェリストとしては20世紀後半を代表する巨匠として名高い。愛称は名前の一部と「光栄」を意味するロシア語の単語に由来するスラヴァ

1927年 バクー生まれ。チェリストの父、ピアニストの母から音楽の手ほどきを受けた。4歳でピアノ、7歳でチェロを始め、10歳でカミーユ・サン=サーンスチェロ協奏曲第1番を弾いたという。第二次世界大戦が勃発すると父母の故郷であるオレンブルクに移住。

1943年 モスクワ音楽院入学。チェロはセミヨン・コゾルポフに師事した。作曲の師はドミートリイ・ショスタコーヴィチだった。」



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