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自己紹介をかねて。

おはにちわ。初めましての投稿になるので自己紹介などかねて書いていこうと思います。

わたしについて

21歳の時に発達障害(ADHD)と診断を受け、人生振り返ってみれば幼少期からソレらしい記憶多数。周りの子と違うなぁと本人も違和感を感じ続け、高校生の時に精神科へ通い始めるも【抑うつ状態】と診断され薬漬けの日々。
チャット全盛期の頃、たまたま話した自称医大生に自身が抱える違和感を打ち明けたところ、発達障害という当時はあまりメジャーではなかった(であろう)障害名を聞き、発達障害者支援センターというものの存在を教えてもらった。それをきっかけに検査を受け、無事(?)に発達障害と診断されたのでした。
診断されてずっと感じていた違和感の正体を見つけられた気がしてとてもほっとした記憶は今でも鮮明に覚えている。
それからは正直あまり自分と向き合う事はなく、ただ通院をし処方された薬を飲み、それだけだった。
後からわかることだけど、二次障害が割と深刻で鬱状態・睡眠障害がひどかった事から当時の医者に「薬を飲んでも眠れない」と訴えていた。
今思えばあまり良い医者では無かったのかもしれない、眠れないと言えば強い薬を処方してくれるのだ。
わたしは深く考えることなく、眠れさえすればいいと思い生活を改善することなどなくただひたすら薬を飲み続けた。
引っ越しを機に、病院が変わって新しい主治医におくすり手帳を提示したところ「わたしはこの処方はできません」と言われ、怒った記憶がある。
でもどんな薬であれ、無いと困るわたしは不満ながらもその主治医を再び訪れた。前回怒った手前、若干の気まずさがあったが、「もう来ないと思いました」とまた言われ更にきまずくなる。主治医は言葉を続け「でも来てくれたので治療をします。」と。
紹介状は渡していたが、今までの事を改めて聞かれ発達障害の話もした。
そこで主治医は「発達障害からのアプローチで鬱や不眠を改善していく。」と話してくれ、自分の中で何年も続けていた「ただの通院」が「治療」になっていった。
この主治医との出会いで改めて発達障害と向き合い、もちろん自分とも向き合い、治ることはないけれど生きづらさが軽減されたように思えた。
仕事はおろか生活もまともに送れなかったわたしが今では社会に出て普通に働いている。できないこと、苦手なことは未だにたくさんあるけれどできるようになったことも増えた。
端的にまとめましたが(まとまってませんが・・)わたしの生い立ちです。






ひとりごと


noteを始めてみて、まだ何を書こうか模索中です。
自分の頭の中のこと、今までの経験・体験、ADHDや鬱でのこと、誰かの役に立つかわからないけれどこんなこともあったよ、と参考になればいいなぁと思っています。
飲んでるお薬(コンサータ)についてもいずれ書きたいなと思いますが、あくまでも個人の感想や意見で専門的なことはわかりません。
生きづらさやしんどさは人それぞれ。
わたしの生きてる記録も残したいなと思います。

読んでいただき、ありがとうございます。

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