ADHD冒険者いちこ

発達障害・二次障害で鬱と闘いながら毎日を生き抜いているアラフォー女。 体験記、日々感じ…

ADHD冒険者いちこ

発達障害・二次障害で鬱と闘いながら毎日を生き抜いているアラフォー女。 体験記、日々感じたこと・生き抜いた記録、ライフハックなどを書きます。

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自己紹介をかねて。

おはにちわ。初めましての投稿になるので自己紹介などかねて書いていこうと思います。 わたしについて 21歳の時に発達障害(ADHD)と診断を受け、人生振り返ってみれば幼少期からソレらしい記憶多数。周りの子と違うなぁと本人も違和感を感じ続け、高校生の時に精神科へ通い始めるも【抑うつ状態】と診断され薬漬けの日々。 チャット全盛期の頃、たまたま話した自称医大生に自身が抱える違和感を打ち明けたところ、発達障害という当時はあまりメジャーではなかった(であろう)障害名を聞き、発達障害者

    • 過多月経の私がヤーズフレックスを使用した感想。

      まだ使い始めてそんなに経ちませんが、数か月使用してみての感想を書こうと思います。 わたしは物凄い過多月経で、PMSもとてもひどいタイプです。 夜用のナプキン+タンポン+シンクロフィットの組み合わせでも2時間ほどしか持たないほど。 多い日の夜はほぼ眠れないので、座って眠るくらいでした。 もちろん仕事も生理が重くて欠勤することも多くて本当に不便でした。 PMSも排卵日くらいからやってくるので、生理が終わり実質一ヶ月の中で10日くらいしか元気な日がありませんでした。 婦人科を受

      • 「普通」のハードルを高くしているのはわたし自身だった【発達障害とうつ】

        いつもいつも「普通になりたい」と口癖のように言っていたわたし。 何を以て普通なんだろう。わたしが思い描く普通ってなんだろう。 発達障害が判明したのは21歳の時で、それまでは精神科に時々通院していたものの抑うつ状態としか言われず、診断されるまでは小さい頃から抱えていた周りの人と何かが違うという違和感の正体はわからないままだった。 発達障害と診断されるまで時々通っていたお医者さんからは「あなたは健常者でも障がい者でもない中途半端な人だ」と言われ、なんじゃそりゃ!じゃあどうし

        • 心の弱い自分を許してあげたい【発達障害とうつ】

          元旦に起こった地震、その翌日には航空機の衝突。 被害に遭われた方々にこんなことを言ったら申し訳ないのだけれど、わたしの心はすっかり弱りきってしまっていた。 明確にいつからと自覚はしていないけれど、世間のニュース(主に悲報)などで心が揺り動かされ、ひどく落ち込んでしまうことがとても多い。 今回も地震や事故がきっかけで、せっかく始めたアルバイトを休職することになってしまった。 記憶に残っているのは首相の襲撃事件や芸能人の自〇のニュースでも何度か体調を崩したことがあった。 わ

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        自己紹介をかねて。

          頑張ることをあきらめたくない【発達障害とうつ】

          ちょっと前に就いた仕事で障がい者差別的なことが原因で退職し、1ヶ月ほど空いて再びクローズでパートを始めました。 クローズ就労で失敗してしまって、障がい者雇用で探す!とパートナーに言い切って探したものの、ここは田舎でそんな上手いこと求人も少なくて簡単に就ける状況では無かった。 就Aの見学・実習にも足を運んだが、合わないと判断した。 結局、クローズの近場で探していたところ面接で条件をつけた(?)ので絶対に受からないだろうと思っていたドラッグストアから内定をもらい、今月の頭から

          頑張ることをあきらめたくない【発達障害とうつ】

          ありがとうの魔法

          障がい者雇用で働いていた時にお世話になっていた先輩(男性)のお話。 自己肯定感の低いわたしはいつも「すみません」「ごめんなさい」と自分が悪くなくても謝るのが癖だった。 いつもの癖ですみませんと先輩(以下Hさん)に謝った際にHさんはこんな風にお話ししてくださりました。 「どうして何も悪くないのにいちこさんはいつも謝るんですか? ?俺はすみませんやごめんなさいより、ありがとうって言われた方が嬉しいなぁ」 それを聞いたとき、わたしはハッとして同時にとても嬉しく思いました。

          ありがとうの魔法

          強く生きたいと思ったから。【発達障害とうつ】

          20代から30代はじめの頃のわたしは生きることに消極的だった。 寧ろ、こんな人生終わらせてしまいたいといつも思っていた。 わたしなんかこの世に要らない、誰にも必要とされない、そんな風に思ってた。 そんなわたしが今になって、生きてて良かった。これからも生きていきたいと思えるようになったのはいつからだろう、どうしてだろう。 強い気持ちで生きてて良かった、と思わせてくれる曲を置いておきます。 生きることに対してポジティブに考えられるようになったのは本当にまだ最近のことで、パー

          強く生きたいと思ったから。【発達障害とうつ】

          【発達障害とうつ】出来ることが少しずつ増えていって。【クローズ就労】

          今年の3月に障がい者雇用で働いていた会社を辞め、彼と一緒に生活するべく引っ越しをして早数か月。 失業保険も終わる頃、クローズで就職先が決まって10月から働き始めました。 官公庁関連の受付事務で午前中だけの時短で週5日勤務。 以前勤めていた所ではシフト制だったので、2日行って休みなど配慮してもらい短い間隔で休みながら働いていたけど今回はそうもいかない。 朝6時に起きて、お風呂など身支度をして8時まで職場へ行くのだ。 それを月曜から金曜日までこなすのだから考えただけで気が遠くな

          【発達障害とうつ】出来ることが少しずつ増えていって。【クローズ就労】

          あなたがいる世界に今いることで。

          わたしには大好きなパートナーがいます。 わたしは発達障害(ADHD)と二次障害で鬱があり、彼と出会った職場では障がい者雇用で働いていて、初めてゆっくりお話しする機会があったとき、なんの躊躇いもなく障害をカミングアウトしました。受け入れてくれたかは不明ですが、知ったからと言って変わらずいてくれました。 やがて、交際を始めましたがお互いアラフォーで彼はわたしの事をいつも心配してくれていました。 本当に子どもは産まなくていいのか、結婚はしなくていいのか、何度も気持ちのすり合わせ

          あなたがいる世界に今いることで。

          普通になりたいって思ってはだめですか。【発達障害】

          こんにちは、お久しぶりの投稿です。 最近、某恋愛ドラマ(軽度知的障害の女の子と健常者の恋愛話)を観て自分と重なった普通への強い憧れ。 わたしもヒロインと同じ気持ちを抱いて、ずっと生きていました。 発達障害がわからなかった頃から自分は普通じゃない、何かどこか他人と違うと感じ生きてきた。 障害がわかってからは腑に落ちる部分もあったが、生きづらさはさして変わらない。 普通の人は、普通の生活は、普通の行動は・・・ 普通って何を指標にしているのか自分でもわからなくなっていまし

          普通になりたいって思ってはだめですか。【発達障害】

          言葉は時として他人の心を容易に傷つける凶器になる

          ショッピングモールに出かけた時のことでした。 わたしは発達障害(ADHD)がありよく人やモノにぶつかってしまうことがある。 狭いお店へひとりで入ったときのことだった。 持っていた鞄が買い物していた女性にぶつかってしまった。 わたしは少し離れてから気づいたのだが、なぜ気づいたかと言うとその女性が大きな声でわたしに向かって「何あのデブ」と文句を言っていたからだ。 そして一緒に居た女性はこちらを見て笑っていた。 気のせいだったら良かった、気づかなければよかった。 でも聞こえてし

          言葉は時として他人の心を容易に傷つける凶器になる

          大切な日常を手に入れた先に見える未来

          大好きなパートナーと一緒に暮らし始めて一週間が過ぎた。 環境等の変化に弱いわたしは体調を崩す心配をしていたが、思いのほか順調に荷解きを済ませ生活をスタートさせました。 彼と出会い、付き合い始めたころからずっと一緒に暮らしたいと言っていたのでソレが現実となり、今も進行中なわけですがタイトル通り大切な日常をわたしは手に入れたのです。 朝起きて傍に彼がいる。一緒にご飯を食べる。 ありふれた日常なんだけれど、その一つひとつが全て愛おしく、幸せで大切な時間なのです。 そんなのはじ

          大切な日常を手に入れた先に見える未来

          発達障害は目に見てわからないと不自由ではない?

          先日某大手衣料量販店の障がい者雇用の面接に行ってきました。 面接の中で、障害担当(?)の面接官に色々な事を投げかけられました。 「目に見えて(障害が)わかりませんが、何か不自由なことがあるんですか?」 「どうして働こうと思うんですか?」 「パートナーと籍は入れないんですか?」 そんなことを問われ、面接を投げ出して走って逃げたい気持ちでしかありませんでした。 わたしの受け取り方が悪かったにせよ、傷ついた事実は変わりません。 目に見えない障害であるが故の、質問だったのか

          発達障害は目に見てわからないと不自由ではない?

          発達障害のわたしが望んだ未来【事実婚】

          ご無沙汰しております。 梅雨入りしてすっかり溶けてしまっておりました。 30歳を過ぎた頃、恋人もいないわたしは「いつか一生を添い遂げるパートナーと出会えたらいいな。法律婚じゃなく事実婚でずっと仲良くしたい」と思っていました。 そして月日は経ち、会社で知り合った彼と去年からお付き合いを始め、もうすぐ1年になります。 彼もわたしも結婚願望がなく、子供を持たないという気持ちが同じだったこともありわたしはこの人しかいない!と思ったのでした。 (※もちろんそれだけで選んだわけではない

          発達障害のわたしが望んだ未来【事実婚】

          【二次障害】うつで未来なんてないと絶望していた頃のお話

          ※センシティブな内容になりますので、苦手な方はそっと閉じてください。 わたしが精神科へ行くようになったのは17歳の頃からでした。 発達障害と診断される前は【抑うつ状態】と診断され、当時のわたしは家族と折り合いがつけられなかったことから寂しい思いが強くて真面目に病気を治すつもりで通院していたのではなく、ドクターショッピングをしていました。 なので、何軒かの病院へ行ったり行かなかったりを繰り返してやり過ごしていました。 (なぜしていたか、の詳細については省略しますが察してくださ

          【二次障害】うつで未来なんてないと絶望していた頃のお話

          ADHDと向き合うきっかけをくれた精神科医と出会ったお話

          おはようございます。 書きたいことはたくさんあるのですが、何せ常に頭の中がとっ散らかっていてうまく整理整頓できていないのです。 しかし、今日もnoteを書こうとPCと向き合えたので書き進めたいと思います。 診断された時の事をさらっと初めましての記事で書かせてもらっておりますが、お時間ある方は読んでいただけますと幸いです。 ADHDと診断されたことで幼少期から抱えてきた「違和感」の原因は解ったような気がしたし、人と違っても別にいいじゃんと自分の個性として受け入れられるように

          ADHDと向き合うきっかけをくれた精神科医と出会ったお話