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『イル・ポスティーノ』暗喩と出遇う運

 なんてことはない単純なストーリーの映画なのに、俳優たちの個性がやたらと光っている映画。いや、それだけのシンプルさで光る映画というのはそうザラにはないのです。
 監督はマイケルラザフォード。主演は猟師の息子で郵便配達人になる素朴なマリオ役のマッシモトロイージ。この映画のクランクアップ直後に他界したという、今となれば不思議な運勢の持ち主。

 そんなマリオ役のマッシモトロイージの内股演技がかれの田舎っぽさや素朴さをよく表現していました。

 出演は、チリから亡命してきた詩人パブロネルーダ役の名優、フィリップ ノワレ。

 あの『ニューシネマパラダイス』のおじいちゃんアルフレード役で世界でもっとも有名な映画俳優のなかのひとりです。

 爺(じいむっしゅ)あこがれのおじいさんです。

 名画『地下鉄のザジ』、あるいは、去年KBCシネマで観たアニエスヴァルダ特集の3本のなかの1本、アニエスの初期も初期の作品『ラ・ポワント・クールト』にも出演していました。
 

そして、存在感たっぷりのイタリア女、居酒屋の娘役(名前がベアトリーチェ ロッソ)が、マリア グラッツィア クチノッタ。

 いかにもイタリアですっ、という典型的なセクシーさをもった女優さんでした。蓮っ葉なところと生真面目さをあわせ持つ雰囲気がうまく出ていて、役柄にぴったりマッチしていました。

 肉感的だけどスレンダー。新人女優としてのオーラが画面にたっぷりと出ていました。彼女を見出したキュレーターは誰だったんでしょう。すごい選択眼ですね。彼女も若い時に見いだされた「運」を、見事にこの映画で花咲かせています。

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 マリオが彼女と初めて出逢い一目惚れする居酒屋のシーン。

 いいですね。ひとり、ひまつぶしみたいにして木製のゲーム機で遊んでいるところ、観客である私もおもわず見とれてしまいます。

 その彼女に惚れたマリオが、詩人のパブロネルーダに、「好きな人ができた、どう相手に伝えたらいいだろ、詩を書いてみたい」と告白するところがあります。

 詩人役の名優フィリップノワレが「何て名前の娘だ?」と訊くと、マリオが「ベアトリーチェ、ベアトリーチェ・ロッソだ」と応えます。

 するとそこで詩人は即座に「ほう、よい名前だ」と反応します。

 とってもいいシーンです。

 暗喩という「運」が顕れるところです。映画全体を「詩」のことば、「暗喩」が覆っているのです。

「ダンテだな」

「え?」

「ダンテはベアトリーチェに恋をした」

「・・」

「多くのベアトリーチェが《恋》を生み出した」と詩人はいろんな作品に出てくるベアトリーチェという名前の良さを褒めるのでした。まさしく同じ名前という音韻の共通項が「恋」の船出に向いているのだと、詩人の感性で予言するのです。

 ダンテのベアトリーチェは「神曲」の《天堂篇》【第一歌】に出てきます。

 ダンテとベアトリーチェは地上の楽園から天堂へふたりで【昇天】するのですが、その【昇天】を書くとき、ダンテは詩神アポロ(宇宙船の名前もこれでしたよね)の加護を願って、天堂篇を書くのに十分な能力を与えたまえと祈ったのです。

 宇宙はいかなる秩序を持つか、ベアトリーチェはダンテに説明します。

 それは「凝視」なのです。

 一目惚れ、というやつだと映画の中の詩人役のフィリップノワレが言うのです。

 「神曲」のなかでベアトリーチェは太陽を凝視していました。ダンテも彼女にならって凝視するけど、あまりに強烈で、そこでもういちど彼女を見ると諸天を凝視しているのです。それでダンテは《太陽を凝視するかわりに、ベアトリーチェを凝視しはじめた》のです。

 ベアトリーチェがいい名前というのには「愛を施すもの」という意味がこめられていたからです。

 天上と地上とを結ぶための導き手がベアトリーチェでした。

 Beatriceの愛称形はBice(ビーチェ)つまり英語のBeach。

 ラテン語でBeatrix(喜びの運び手)、爺が大好きな女優さんにベアトリス・ダルというあの「ベティ・ブルー」の女優さんもこの語源。

 そして、映画『イルポスティーノ』で詩人のパブロネルーダお爺さんと郵便配達人マリオの「詩」という「暗喩」の話がえんえんと続くところは南イタリアのちいさな島(カプリ島?)のビーチ(Bice)=(Beatrice)という場所がシナリオによって選ばれていたのでした。

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 名前から連想される「運」というものと、会話を続けているうちに「運」の領域でよくあるセレンディピティ(Serendipity)、つまりふとした偶然で幸運(この映画の場合、マリオの詩ができあがる場面)が訪れる「運」のシーンが描かれています。

 そこのとこの会話。

 まずは海がみえる詩人の家で詩人は、マリオの疑問に答えます。

 マリオ 「読んでとてもうれしかった。≪理髪店の匂いに私は涙にむせぶ≫ なぜです?」(暗喩について会話している。マリオはパブロネルーダの詩に感動している場面)

 パブロ 「いいかね、マリオ、君が読んだ詩を、別の言葉では表現できない。詩は説明したら陳腐になる。どんな説明よりも・・詩が示す情感を体験することだ。詩を感じようとすればできる」

 この会話がもとにあって、ベアトリーチェに詩を贈りたくなったマリオと詩人パブロネルーダ爺さんとがビーチで詩についての会話が続きます。

 詩人が自分の書いた詩を語り「どうだ?どう思う?」と訊きます。

 詩人 「どうだ?どう思う?」

 マリオ 「変だ」

 詩人 「変だって?厳しい批評家だな」(笑う)

 マリオ 「違う 違う 詩ではない 変なのは・・変なのは・・ 聞いている時 変な気分になった」

 詩人 「どんな気分だ?」

 マリオ 「よくわからない 言葉が寄せては返した」

 詩人 「海のようだ」

 マリオ 「その通り 海のようだった」

 詩人 「それがリズムだ」

 マリオ 「船酔いになった」

 詩人 「船酔い?」 (笑う)

 マリオ 「なぜか説明できない でも感じた まるで・・・言葉の真っただ中で揺れる小舟のようだった」

 詩人 「言葉に揺れる小舟のよう?」

 マリオ 「ええ」 (うなずく)

 詩人 「うまくやったな」

 マリオ 「何をですか?」

 詩人 「暗喩だよ」

 マリオ 「まさか?」

 詩人 「本当だ」

 マリオ 「そんな・・」

 詩人 「間違いない」

 マリオ 「本当に?」

 詩人 「そうだ」  (にこにこ)

 マリオ 「でも価値がない  意図しなかったから」

 詩人 「意図は重要ではない。 イメージは偶然の産物だ」

 マリオ 「そうすると・・・例えば・・うまく言えないけど 世界全体が・・・つまり、この世界の 海や 空や・・・雨や 雲や・・・」

 詩人 「残りは その他でいい」  (話を区切る)

 マリオ 「その他 などなど つまり・・・ 世界全体が 何かの 暗喩に なっているんですか? おかしい?」

 詩人 「いやいや おかしくない」  (考えている)

 マリオ 「変な顔をしたから」

  (うしろからのカメラに替わる。ふたりの背中。その向こうに海。寄せては返す)

 詩人 「マリオ、こうしよう わたしは今から泳ぐ 君の質問をよく考える」 (立ち上がる)(上着を脱いで水着になる)

 「明日 君に返事しよう」

 マリオ 「本当に?」

 詩人 「本当だよ」

     ※ 映画より抜粋   ※ベアトリーチェのところの引用は ダンテ 『神曲物語』 野上素一訳 現代教養文庫

 マリオのなかに「詩」が芽生えたシーンですね。まさに、「詩」

 しかも意図せず。

 いつの間のか

 ベアトリーチェと結婚し幸運をつかみ息子もひとりできたマリオ。

 詩人としても有名になりました。

 労働者たちからも慕われる詩をかくようになるマリオ。

 「詩は必要とする者のためにあるもの」とマリオはパブロネルーダに語った言葉が思い出されます。

 名前の縁というか「運」として自分の子どもにパブロからとったパブリートという名前を考えていたマリオ。

 ところが、労働争議の集会参加者と警察の乱闘に巻き込まれて死ぬマリオ。

 詩の交流を介した「運」、名前のやりとりの「運」、思いがけずある時、詩が向こうからやってくる「運」。詩人として島の美しいものを録音テープ」に残していたマリオ。じつはその音も「詩」であったのです。それぞれの音にタイトルをつけます。

 「名前をつける運」

 カラ・ディ・ソットの波 さざ波 大波 岸壁の波 茂みの波 わが父の悲しい網、などなど。

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 そしてこの映画のクランクアップとともになくなってしまったマリオ役のマッシモ・トロイージ。

 不思議な内股の演技。

 記憶を残してくれる「運」

 ベアトリーチェ。

 ダンテ。

 そして爺(じいむっしゅ)の中では ベアトリス・ダルという女優へとつながっていきます。

 「運のかたち」満載の映画でした。

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https://www.instagram.com/shigetakaishikawa/

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