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しょっぱなでつまずいた就活

「あー行きたくないなあ」と心の中でなんども呟きながら、俺はO教授の研究室へと歩を進めていた。

 俺はO教授が苦手だ。そもそもO教授のゼミになど所属したくはなかった。というのも二回生のころ所属するゼミを決めるためにゼミ訪問があり、いくつかのゼミ教室を訪問したのだが、その時のO教授の印象が最悪だったからだ。

 数人でやってきた俺たちを冷たく見て、O教授は「小学生の遠足みたいだな」と吐き捨てるようにいった。その後の質問に対しても、おおよそ真摯とはいえないような対応だ。「こんな人のゼミには絶対に入りたくないな」と感じて研究室を後にしたのを覚えている。その後、O教授のゼミに所属することに決まり、絶望的な気持ちになった。

 二回生の終わりに自転車から落ちて顔面骨折をして入院し、語学の試験を受けなくてもよくなり幸運にも専門課程に進学できた俺は、O教授のゼミに出席し始めた。ゼミはヴィトゲンシュタイン『哲学探究』の講読だ。

 数回受講した頃だろうか、O教授の説明がどうにも腑に落ちなかったので質問してみた。しかしO教授はうまく回答できなかった。その後、仕返しのように俺を訳読で指名し、ネチネチとケチをつけたのはいうまでもない。

 すっかり嫌気がさしてしまったが、O教授は半年間ウィーンへ行くことになった。やった。その間、俺はストレスから解放され同級生たちと六甲にドライブへ行ったり京都の鴨川で酔っぱらってゲロを吐いたりと、自由な生活を謳歌していた。

 四回生になったばかり頃、ウィーンから戻ったO教授から面談に来るようにと連絡があった。嫌で仕方がないが、どうせゼミ生の卒業後の進路を調査するようにと上から言われたのだろう。俺は暗い気持ちでO教授の研究室のドアを開けた。

 意外なことに、先客がいた。しかもそれはゼミ生ではなく、教育学の系統を専攻する同級生の女子Iさんだった。どうやら、O教授の講義の試験を受けなかったがレポート提出でなんとか単位をもらえないかと頼みにきたようだ。

「O教授に通じるわけないのに」と思ったら案の定、「あなたは試験を受けなかったわけですよね!」と怒鳴られて、研究室を後にした。風の噂では、Iさんは男子より優秀な女子学生では珍しく留年したようだ。

 俺の面談の内容はやはり、卒業後の進路だった。俺は就職することに決めていた。大学にもめったに行かず、成績も悪い俺には似つかわしいだろう。すでに就活の準備も始めていた俺は、「卒業後は就職します」とO教授に告げた。

 すると、あろうことかO教授は「君には就職は合っていないね」と口にし、大学院へ進む心得などを説明し始めた。何をいっているんだ? 合っていないだと? 大学院の方が合っていないだろうが。何を考えているんだ。俺の意向は無視かよ。

 俺は激しい怒りを覚えたが、面倒くさいので特に何も言わなかった。このようにしょっぱなでつまずいた就活だったが、なんとか就職を決めた。

 ところがどうにも会社生活が性に合わない。結局、中途退社優遇制度を使って退職してしまった。

 O教授、あなたは人を見る目だけはあったんですね。