机の上のこれは_誰からの土産か_聞く勇気もない

この土産は誰からか聞く勇気もない(自由律俳句)

この土産は誰からか聞く勇気もない

朝会社に行くと机の上に可愛い袋に入ったお菓子があった。
連休明けのことだ。誰かが土産でくれたんだろう。

ただ少しの間その場にいなかったことでその話題は聞けず、周りはその話題をし終わったような空気感が漂っている。

もう私に「このお土産誰からですか?」と話題を掘り返す勇気は残っていない。

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お恥ずかしい話だが、誰もが経験したことがあるであろう
「その場にいなかったけど、おそらくこの話題しただろうな…」のかけらを目の前にした時にどう対応すればいいのか私は27年間生きてきて未だにわからない。

それが自分に対して「暖かい雰囲気」でも「冷たい雰囲気」でも必要な勇気は大差がない。

この現象が顕著に現れているのがお土産をもらった時だ。

私は今、もともと正社員で働かせていただいていた会社に戻って仕事をしている。
一度は「起業します!」と言って辞めていったが、「会社に戻る」ことを会社の代表から先輩までみんな快諾してくれた。

この時点で私にとって会社はかなり「暖かい環境」にある。
普段は冗談を飛ばしあったり上司や先輩ともふざけあったりもさせてもらえるかなりアットホームな職場だ。

そんなアットホームな会社ならではな部分でもあると思うが
朝、郵便局に寄ったり買い出しに行ったりして席を空けていることが多い私にも
”公平”を大事にしてくれる部長のおかげでいつも机の上にはお土産がある。


毎回ものが何であろうと”お土産をもらう”ことは本当に嬉しい。
誰かの優しさが形となっている”お土産”がとても好きだ。

その気持ちを「ありがとうございます」で、いの一番に伝えたいところだがここで思考に不具合が生じる。

”誰からですか?どこに行ってきたんですか?という話題はもうすでに一度みんなでしているはずだ”
”周りももう一回聞くのはちょっと面白くないだろう”
”本人も私一人のためにもう一度話すのは面倒臭いだろうな…”

こんな自問自答ではどうしようもない内容で脳内会議が幕を開ける。

議題は伝えたいと思っている「ありがとう」をどのように導き出すか、だ。
毎回同じ議題で会議を繰り広げる私の脳に、議長もいい加減飽き飽きしているのだろう。
残業手当が欲しいからなのか脳内ではだらだらとあえて答えを避けるかのように議長は会議を進めていく。
時間はどんどんと過ぎていく。


ふと、我にかえると私は椅子に座ってじっと、お土産を見ている。
一番言いやすいはずの、机を見た瞬間に「お土産ありがとうございます!」の発声タイミングはもうとっくに逃してしまった。

自分のせいでつくられたこの時間によりもう二進も三進もいかなくなってしまうのだ。


そんな四面楚歌な私を知ってか知らずか「あっ、それあの人からだよ!」
と飛んできた部長や上司の声で始まる、「お土産ありがとうございます」の会話の続きも
結局脳内会議で片付かなかった「どこに行ったんですか?」から始まるのだ。

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