無知の知への反論

「己の無知を自覚するものは自覚のないものよりも知性がある」

この名言には反対するつもりはない。

だが、それは同時に気を病む原因にもなり得ることに注意したい。

とかく現代において、「解像度を高くしろ」とか「学び行動せよ」とか「視座を高く持て」などと言われがちであるが、これではストレスに立ち向かい続けることを求められ、いずれは疲弊してしまう。

もちろん時代の激流が押し寄せる現代でマイペースで生きていくことは難しいし、ゆっくりしていたら取り残されてしまう不安感もあるだろう。

それでも時には意識的に流れに立ち向かい続けることをやめ、精神の平穏を取り戻す作業も大切であると思う。何も考えずただ目の前にあるもののみを認め自分を許し受け入れる。

他人がどう思うかなんて考えず、いい意味で自分のペースで休みながら考える。定期的に心をリセットする。そんな体験がストレスで疲弊する現代人には大切なんだと思う。

道を歩くとき、自分の感覚に心を集中し心臓の鼓動や足の指先の感覚一つも感じながら、照りつける太陽の暑さを全身で浴びながらただ心の動きにだけ目を向ける。

これは自分の心の動き方を知るのに有効であるし、ある行動をした時に他人がどう思うのか推し量るための思考の訓練にも役立つ。どうすればこの人を自分の思い通りにできるかと考えた時、相手の立場に立って思考するには自分の思考を知っておかねばならない。

また同時に自分自身が発言する言葉の一つ一つにも心を配る必要がある。

心が変われば行動が変わる 行動が変われば習慣が変わる 習慣が変われば人格が変わる 人格が変われば運命が変わる

という有名な言葉があるが、言葉は心を作り、心が行動や環境を作り、それが習慣を作り、人格や人脈を形成し、運命までも変えていく。

軽はずみな発言をして「こんなに重大なことになるとは思っていなかった」という発言は今では毎日のようにインターネットに流れている。

言葉一つの重みにも気づいていない。

よく学び、よく休み、よく観察する。
そしてこれを次の行動に生かしていく。動き続けるだけでなく主体的に意識的に休む。それも思いっきり休む。すべてを忘れて休む。

頑張りすぎて壊れてしまうと取り返しがつかないことになってしまう。一度きりの人生を全力で楽しむためには時に全力で休むこと。そして次に動き出すためにしっかり観察して準備運動をすること。そこから思い切り働き学び行動しまた休む。

これが出来ると人生はもっと楽しくなる。休むことは悪ではない。
やりたくないことがある時は休息のタイミングかもしれない。

あわてないあわてない。一休み一休み。

これを大切にして毎日頑張っていきましょう。

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また今回の記事のベースにある休息についての参考書籍はこちら↓

休むっていったいどうしたらいいの?と思った方はぜひこちらも読んでみてください。



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