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坂口恭平を知った日👀

最近は自分的パラダイムシフトが激しくて言葉を吐き出さずにはいられない。
いや、それは以前からか。元々、言葉は言葉で綴っておかないと頭と気持ちの整理がつかない。

現時点で私の思考をまとめると、

「物理学的視点では、全ては振動する紐らしい。でね、我々が知覚しているのは3次元世界だけど、次元はいくつも層になって併存していて、振動する膜として在るのが次元なんだと。その膜は物理学的にはブレーンって呼ばれている。その振動する膜を“弱い重力が行き来している”というのが、次元的視点の基本イメージだと思う。そう考えると、我々の持っている思念や意識の次元っていうのも考えられて、もし仮に全人類が意識を一つの方向に向けられたなら、きっと我々を包括する世界はその方向へと変わっていくのだと本気で考えてる。きっとキリスト、ブッダ、ムハンマドなど古代の宗教者はそれをやろうとしたんじゃないかって。でね、身体は入れ物であって人間は脳と身体と魂のマインドに分けられるけど、無論それぞれが密接に関係し連動しながらも、『存在の本質は魂』と見ていいと思う。つまり、万物の固有性は波動の『リズム・速度・長さ』であって、それらの3次元世界における感得は「存在と記憶・時間と蓄積」への認識に集約されると考えている。」

こんな感じになる。
なんだか最近はこれで伝わらなければ、もうそれでいいかな、とも思う。
自分からすれば十分分かりやすい言葉だし、だからどうすればってはっきりしているのではないだろうか。

そう、ただ皆ができることをできる限りやればいい。

思考も行動も停止せず、自分が何か分かったかのような勘違いもせず、常に学んで正しく良い存在になれるよう努力を紡ぎ続ければいいだけ。

たとえば洗剤を変えて生活排水をなるべくクリーンにする、電気をこまめに消す、配電会社をハチドリ電力に変える、コンポストを行う、固定種を栽培する、既存メディアと距離を置いて情報の入手経路を吟味する、など地球と自分に気持ちが良いと思える行動を即時行うべきだ。

その際、「個々が行うことによる実際の地球環境への影響なんてねぇ…」などというゴタクはさっさと却けた方がいい。

大事なことは、多くの人が少しでも“良い波動”を持つことにある。
何かを変えようとなんてしなくていい。ほんの少しの丁寧さと良心が人類社会に芽生えれば、それだけで勝手に世界は変わるはず。

そして私は、作品を通してそうした感性を持った人と出会いたいだけ。

自分は本当に孤独じゃないんだと知るために。

さて、そんな私だけれど、最近は坂口恭平にゾッコンで目が離せない。
宮台真司との対談で、こんな人がいるのか!と衝撃を受け、noteフォローして適当に一番上の記事を読んでみたらいきなり排外的ですげーマッチョだな、なんだこの差異は!?と気になり鬱状態のことを客観的に振り返っている記事を読むと、普通に弱さを抱えた1人の人間が見えてきたりして、この天才からもう目が離せない。

こんなに、誤解を恐れずに敢えて言うと、躁鬱がうまくいっている人は奇跡だと思う。それは家族も含めての奇跡で、もちろん分かったつもりで何を言っても失礼にあたるのは承知だけれど、とにかくすごい。すごい。この一言に尽きる。全てを超えている。完全なる“越境者”だ。

全て嘘偽りない本人であることを基本として、最初に読んだマッチョな全能感はおそらく躁状態なんだと思う。何かに似ていると思って考えてみたらエミネムだった。

エミネムも自己カウンセリングとしてリリックをぶちまけているとインタビューで語っており、事実、坂口恭平のマッチョぶりもまるでHIPHOPのリリックのようだった。

「マジおまえら全員大したことねぇ。俺の地獄をしらねぇ。能天気なツラして悩みとかこくな。人1人でも助けてから偉そうにほざけ馬鹿ども。」

こんな具合のマッチョぶりを感じた。すごい。躁状態。ちょっと怖い。
宮台真司との対談の時は可愛げすら感じられ、今すぐ会ってみたいと思ったほどだったけど、相談を受けている内容の文字起こしをnoteで読む限り、彼の尊敬を受けない人間以外は怒られそうで正直会いたくないと思った。笑

ワタクシ幸せでごめんなさい、という感じ。不幸を嘆いていないとお話すらしてくれないのかしら?

とはいえ、鬱状態を客観的に観察している時は「なんだこの人も人間なんじゃん。」と安心したりと、本人の状態でこんなにもこちらの感覚まで左右されてしまうのかと、これもまた素直かつ新鮮な驚きである。

中でも、鬱状態の坂口恭平に妻が名前を付けるくだりは素晴らしいと思った。
「名前」の観念は実に興味深く、古代では命や自身の本質と直結するもので無闇に扱わない大事なものだったし、宮崎駿はナウシカの原作で巨神兵が「母」の認識と「名前」を得ることで自意識(自らの生の役目)を獲得するという場面を描いている。

もちろん、坂口恭平の活動の全ては偉大で全肯定するしかないが、それより、本人の強烈な個性に次元を超えた魅力を感じている。
一言でいえばおもしろすぎる。自分的には今日本で一番おもしろい人だと思っている。

感想の素直な言葉なはずなのに、なぜか上から目線で取られそうなところに日本語の難しさを感じる…。
まぁ、気にしないけど。そんなつもりじゃないしね。

おもしろいも語弊があるだろうか。尊敬?

時に坂口恭平は意外と殺すとか言ってすごい殺気を放っているので、いつかご縁があれば、本人を対面で感じてみたいとやんわり、思う。
無論、本人の行動における本気の覚悟による殺気なので、安易に怖がるのもまた失礼な話かもしれない。

そういえば、坂口恭平の独立国家建設的行いはヨーロッパだったら潰されるけど日本だからできると言っているのがまたおもしろかった。
機構的に杜撰すぎる日本の国体はこうした目線で見れば吉と出るのだと、希望を感じさせてくれる視点だった。

正直、アーティストやっていながら、自分自身もうアート業界がつまらなくてしょうがなかったが、彼のおかげで希望が持てた。
価値観の交換も、間にきちんと共感、共振、共鳴、共有を孕み、本質的に行われ始めている。

彼の周辺を見ていると、社会は間違いなく変わると思える。
日本人の霊的感性も間違いなく上がっていると感じる。
情報の公開も始まっているし、あとは待つだけ。何を?残念ながら、大きなパラダイムシフト、旧世界の”崩壊”を。

もしかしたら首都直下、立川断層、南海トラフ、富士山噴火が合さった超巨大地震かもしれないし、ただ認知世界が変わるだけかもしれないし、価値観の対立から革命が起きて内戦なんてこともあるかもしれない。日本ではないと思うけど。

それとも隕石衝突やブラックホールや重力場の発生?何が起こるかは神のみぞ知る…か。
いや、カネと権力を保持する層だけは情報をいち早く共有し隠蔽するだろう。
人類終焉のドタバタ撃はDon't look upというNetflix映画が好例だ。オススメする。

ただ、全てが何かしら、「共に助け合わなければ生き残れない状況」の極点へと集約的に向かっているような気がしてならない。

坂口恭平は間違いなくその渦の中心を形成する一因子であることに間違いない。
そのすごい才能を、養老孟司や中沢新一や宮台真司など、またすごい知性がガッチリとバックアップしているところが、またすごい!

彼に比べれば、正直アートマーケットなんてどうでもいいと思う 笑
時代の変わり目を凝視する以外に、見るものなんてそんなに無い。

自分はただ、こうして言葉や作品を自分に素直に紡ぎ続けていくだけ。
ただそれだけ。だけど、これはこれで、いつかどこかでナニカと繋がるのだと思っている。

一体どれほどか、想像もつかない悠久の時を刻む水の流れ、木々の木漏れ日。もう言葉はいらない。

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