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10数年すごしただけの生まれ故郷  いつまでもいとしくみずみずしい感触をのこす理由とは何だろう


はじめに

 すでにいまの土地に居着いてからの期間のほうが、生まれ故郷ですごした年月よりも圧倒的に長くなった。

物心ついてから10年あまりしかすごしていないはずの場所がいまでも無性になつかしいし、いとおしい。なぜそう思えるのか。そしていま住む土地にその愛着の想いは共通するものだろうか。


たどれる時代

 ネットで世界じゅうのほぼどこでも見られるようになった。なかにはリアルタイムで。路地裏や山道すら進んでいける。まさかこんな時代が訪れるとは夢にも思わなかった。

とくにこどもの頃にすごした土地を訪れてみるのは、なつかしさ半分、こわいもの見たさなかば。あたまのなかにある幼少のころの記憶で組み上がった建物や道。それが果たして痕跡でものこっているものなのか。

こんなせまいエリアの世界だったのかの発見などがある一方、がっかりしてしまうかもしれない。記憶のなかにあるたのしかった遊びの場が、現実により一瞬にして瓦解してしまうかも。

話ははずれるが、先日「窓際のトットちゃん」を読み返しつつ、こどもたちに教える必要から読み進めながら物語の現場の地図を追った。ああ、むかしのNHK(渋谷ではない)はこんな場所にあったのかとか、こんなふうにトットちゃんは学校に電車で通っていたのかとか。

それぞれのひとにすごしてきた街や村があるし、記憶の場所をだいじに記憶にしまい込んでいるんだろうなと感じた。彼女の記述ではそれがすごく濃密で精度がすごい。

話をもどそう。なんの変哲もないアスファルトでおおわれただけの駐車場になっていれば、すでに自分のあたまの中だけの世界になってしまう。あるいは遊んだままの草ぼうぼうの原っぱだったらうれしいけれど。

そんなノスタルジーにひたりつつ現実を逃避したってかまわないし、ときにはうさを晴らすのにそんな時間を使ってもいいと思う。


濃密さのちがい

 こどもの頃はとにかくながく感じた。永遠につづくのではないかと思われるぐらい。だから学年が1年ごとにすすんでいくのがどこかふしぎな気がしていた。自分自身はなにも変わっていないじゃないか。それなのに学年はあがっていく。

どこか頼りなくいつも自信のない自分。おとなになんかなれない。そんな感情にほぼ支配されていた気がする。それでもともだちと時間をわすれて三角ベースや缶けりをしていたことばかりを思い出す。その場所の砂の感触すら明確に再現できそうなぐらい。

10年後に掘り返してみようと、空き地のすみに10年後の自分だったらきっとわらうだろうなというものをなにか埋めたおぼえがある。しかしなにをどこにうめてしまったのかは明確には思い出せない。たしかなにかしらの自分しかわからないめじるしを決めたはずなんだけど。

生まれ故郷の面影がそんなふうに記憶のなかから薄れつつあるようだ。


古ぼけていた

 生まれ故郷はどこかふるぼけていた。住んでいた団地のアパートは建てられてから数年しかたっていなかったはず。ながくても築後10年は過ぎていなかった。それにもかかわらず古ぼけた住まいの記憶しかない。

道はどこも未舗装で雨がふると車のわだちがへこみ、どろ水のラインが片側に2本ずつ伸びていた。そこをさけながらたてに1列に歩いても、長靴はどろんこだらけになっていた。雪がふるとそんな土地が一変。なにもかもおおいかくしてしまう。

暖地だったのでものめずらしい。年に何度もあったわけではない。そんなとき小学校の先生たちは大らかに半日のあいだ外で雪遊びをさせてくれた。

ネットを訪れると、クラス全員で雪合戦をやった公園はほぼそのまま残っていた。何とスケッチした桜の木は枝先の一部は朽ちてなくなっていたが健在だった。そのすがたを確認できたときには、ながく出会わなかった旧友に再会した気分になれた。


おわりに

 それにしてもなぜ、生まれ故郷で過ごした日々はあんなにもながく感じられたのか。おそらく濃密で充実した「日常」を周囲が準備してくれていたにちがいない。おとなたちの努力によりそのぶんの時間と自由をわたしに与えてくれたのだと思う。

さまざまなところに感謝の気持を示さないと。いまになってそれに気づくなんておそすぎる。

一方で現在地に過ごす時間の流れは急激に早まったと感じるのはなぜだろう。立場がかわったのかな。そう感じずにはいられない。

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