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家事分担から見る家族の絆

約35年ほど前、僕が生まれてすぐに両親の離婚
当時は、母子家庭の支援が薄く、風当たりが強かったそうです。
そんな中、貧困ながらも1度も不幸だと思わなかったのは、母や祖母のおかげです。

僕と母の「家事分担」

夫婦における「家事分担」という選択肢・お手本がない家庭で
幼少期を過ごした僕は、自分ができること以外の全てを
母がやってくれていました。

仕事を分けるニュアンスの「分担」という概念ではなく
(毎日が必死なのであえて言うならば)「共助」という気持ちで
親子で懸命に生きてきました。
朝から晩まで働き、帰ってからも育児をする母の毎日。

頭を洗う、体を洗う。
食器を下げる、洗う。
お使いに行く、重たい荷物を持つ。

自分でできることを増やすことが母の助けになると信じ
子どもながらに精一杯生きたと思います。

父と母の「家事分担」

小学校に入学して間もなく「復縁」という形で父と母が再婚し
住み慣れた町を離れ、すぐに弟が生まれました。
新たな町で新たな家族構成で、僕の少年期が始まりました。
新しい生活様式に馴染めず尻込みする一方で
身体に刻みこまれた家事のノウハウは、新たな環境でも最前線でチカラを発揮していました。
しかし、新しい暮らしは「共助としての家事分担」ではなく、
「仕事(父)」と「家事(母)」の役割を分けるような暮らしでした。
父が食器を洗っているところは、見たことがありません。
父が買い物で重たい荷物を持っているところは、見たことがありません。

「共助」で生きてきた僕たち親子にとっては、異様な光景でしたが
これが一般的な家庭なんだと、なかば強引に自分を納得させていました。

僕と妻の「家事分担」

時が経ち、「共助としての家事分担」と「役割としての家事分担」の両方を経験した僕にも妻となってくれる女性が現れ、自分の家庭を築きはじめました。
(僕に十分な収入がなかったので)いわゆる「共働き」というスタイルを取らざるを得なかった僕たち夫婦は「共助としての家事分担」を選択しました。
結婚した翌年に長女が生まれ、僕は父になりました。
出産、育児のため「共働き」の配分が変わり、困ったことに父親像を十分に持てていない僕は、自分の経験値から知らず知らず「役割分担としての家事」へシフトチェンジしてしまっていました。

こんな「家事分担」は嫌だ

「役割分担としての家事」寄りの僕が取ってしまった家事分担の失敗を紹介します。

  • 「名もない家事」を含め、ホワイトボードに家事TODOをすべて書き出す

  • 家事に担当者(責任者)をつけ、自分のノルマ(役割)を明確にする

  • 家事1つ1つに作業時間を算出し、合計時間を平等にする

今思うと、ゾッとします。
当時は、何が家庭円満の最適解かを懸命に考えていた"つもり”でした。

もっといい、解決方法や家事分担の方法は、きっとあるのだと思います。
しかし、良かれと思って実践した「たくさんの失敗(家事分担)」によりで妻や家庭を傷つけてしまった僕が導きだした1つの気づきは


自分がやるべきことは、自分でする
自分のやれることは、自分がする
空いている時間、空いている手で家族を助ける


ということです。
当たり前のことなのでしょうが「共に生きる(共生)」「共に助け合う(共助)」という気持ちになるだけで「家事分担」は結果としてついてきます。

便利な道具やサービスが増え、効率化・タイムパフォーマンス・コストパフォーマンスなどが求められる中で、「家事」が「業務的」なものへとシフトチェンジしていっているように思います。

結論:家事分担の成功には「家族への愛」

「家事分担」は、家族の助け合い、支えあいを感じるもの
「家事分担」は、家族のために自分を成長させ、家族に喜びと感謝を与えるもの
精神論のようですが心の満足度が高まるだけで「家事」に対する印象、モチベーションが変わると信じています。

僕の大切な妻が、子どもが毎日快適に暮らせますように。
明日は、ゴミの日。
がんばります。


#家事分担の気づき

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