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独学考#4:読みながら索引を作る

普通に読んでもさっぱり読めない難しい本というのが世の中にはたくさんあって、それでも内容を少しでも理解する必要がある場面というのもたくさんある。

眼の前のテクストに真正面からぶち当たって無理そうなときは、読者の側で読解のためにアレコレ策を弄するよりほかにない。足場を組んでみたり、手すりを設置してみたり、分解して調べてみたり、遠くから見たり。

「自前の索引を作る」というのもそういう手段のうちのひとつで、最近重い本を読むときには作るようにしてるのだけどこれがなかなか頼りになるやつなのである。

重要箇所に傍線を引いたり付箋を貼ったりページ端を折ったりは、人並みの読書家なら誰でも一度はやったことがあると思う。索引もまぁこれらの仲間と言える。似たようなものなんだけど、ただ索引はもっとずっと使い勝手がいいというか、自分好みの案内図として働いてくれる。

ハイデガー『同一性と差異性』で作った索引

難読本の常として、「AとはBでありつつCである」みたいな記述から別の話題に移ったのちに30ページ後ぐらいに改めて「つまりAとはDであるのだ」みたいなのが来たり、忘れたころに「AはEではなくFではなく、はたまたGであるわけでもない」みたいな描写で初めて指示されている事柄を理解できたりする。最初から順々にページを繰っていると、はじめの方のを忘れたりするし、付箋同士もピンポイントで区別が付かず、前述内容をすばやく手繰り寄せて結びつけるのに索引にまさるものは無い。

極限まで難しい本は連立方程式を逐次的に解くようにしてしか読めないし、そのように読み進めていくのがいいと思うんだけど、索引はこういう読み方ととても親和的で、本の中にバラバラに散らばっている式を並べてくれる役割がある。(ただ、個々の変数の値はコロコロ変わり、その都度式全体の解が刷新されたりするのが難しく、面白いところでもある。このへんはいずれ詳しく書くことがあるかもしれない。)

これはWikipediaをネットサーフィンし続けて、出てくることばを辿っていく作業にも近い。リンク構造を産み出すものこそ、索引なのである。意味理解という観点で、記号接地問題におけるまさに接地できる足場を確立する作業というふうに捉えてもいい。


作り方は改まって書くほどでもないぐらいシンプルで、読んでいて重要だとおもった事柄や概念の定義や核心的な記述箇所のページ数をメモしておく、という程度のもんだ。読み進めていくと1単語に対して数ページ分がアンカリングされることがあるが、それはそれで一向に構わないというか、むしろそれは当該テクストにおいてその語が重要語であるということを示す立派な情報である。

索引を書く場所は、大きめの付箋か本の冒頭or巻末付近の白紙ページか、別紙を使うといいだろう。

一見するとデジタル管理(スマホのメモとか)でも良さそうだが、読んでいて「あれーこれなんだっけ」となった時にパッと参照できないのが割とストレスで、あまりやっていない。あとこれは重要な点だが、Kindleと自前索引の相性はすこぶる悪い。

気の利いた本だと著者が巻末に索引を付けてくれるが、それでも自分の手で作ったほうがいい場合もある。必要な網羅性や重点の置き方、ことばの選びかたは、読者ひとりひとりに応じて異なるからだ。裏を返せば、理想の索引づくりのお手本がそこかしこに転がっているということでもあり、色んな本の索引を眺めながらキーワードの拾い方や並べ方を参考にしていくと良いと思う。


ただ、索引はあくまでインスタントな案内図に過ぎないというか、段落レベルで内容をまとめている/覚えてる本なら不要だろう。現に自分も精読している本では一切索引は作っていない。あくまで難しい本をタイパ重視でなんとかものにしたいときに有用、というようなイメージだろうか。


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