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ボッカッチョ『デカメロン』~自由な人間と平和の讃歌

フィレンツェを襲うペストの猛威を逃れ、うら若き10人の男女が郊外の別荘地に集う。現実の悲惨さから目をそらすべく、定められた様々なテーマに沿って、それぞれが知る物語を順繰りに披露していく10日間。

イタリア・ルネサンスを代表する人文主義者ジョヴァンニ・ボッカッチョが、この各日10話ごと全100話の壮大な「物語」の曼荼羅=枠物語を生み出した。バラエティ豊かで機知に富む『デカメロン』100話が、現代のわれわれが親しんでいる「物語文学」という一大ジャンルの全空間を史上初めて、そして一挙に立ち上げ、埋め尽くしたとよく言われる。

ジョヴァンニ・ボッカッチョ(1313-1375)

実際には、ホメロス/ヘシオドスからの口承神話とそれに続くギリシアの悲喜劇はすでにして物語文学の最初期を彩っていたと言えるので、この評価は正当ではない。だけれども、印刷技術の誕生に浴して広く流通した文学「作品」としては、このイタリア人作家の大著はあらゆる文学の源流とされてよいし、たった1冊のうちに収められている物語群の圧倒的なボリューム感と空間的な広さ、驚くべき文化的多様さを見るにつけ、たしかにこれは、西洋最大の文学のようなのである。

こうして後の文芸に多大なる影響を与え、不朽の栄華を誇ってきた『デカメロン』ではあるが、作中にカラフルに描かれる地中海世界の風物と情景はまた、ヨーロッパの思想史と文化史にも同時に躍動的なインスピレーションの素材を提供するものである。

人曲としての『デカメロン』

ボッカッチョが生きた14世紀は、ちょうど中世から近世への過渡期にあたる。長く中世を支配したキリスト教カトリック的なパラダイムが揺らぐなかで、ルネサンスという文化運動が社会のなかで急速に人心を掴んでいった時代である。

西洋最大の「詩作」であるダンテ『神曲』が地獄から天国までの旅路を宇宙的なスケールで描いたのは本作の50年前。キリスト教原理主義的な厳格主義リゴリズムの枠内に囚われ、むしろその完成に燃えていたダンテは、現世の堕落を大いに嘆き、世の人々のあらゆる罪を断罪して回った。のちに「中世の完成者」と呼ばれるダンテのこの古典は、ルネサンス思想にも大いなる霊感を与えて止まなかった。

若きボッカッチョもダンテを心の師と定めて私淑しており、およそ1万5000行からなるかの長編叙事詩の詩句をどの箇所でも自在に諳んじることができるほどであったという。

しかしそれでもなお、ダンテはあくまで中世の完成者であって、ルネサンスや近世の創始者ではない。あくまで「神の前での人間」を説いたダンテから、身をよじるようにして抜け出した「生身の人間」ボッカッチョ、なのである。

その意味でボッカッチョが思想史においてことさら重要なのは、『デカメロン』執筆に際してこの偉大なる師の"神の喜劇"Divina Commediaをさまざまな形で下地にして作中に練り込みつつも、その神学的な理想主義的思想を徹底的に茶化し、そして揶揄し倒した故である。

聖トマスに代表されるアリストテレス-スコラ的なカトリック神学が煮詰まりすぎてカリカリに焦げついてしまった鍋底で、締めのうどんを食べようとしたダンテと、そうじゃなくてアイスを食べるべきだと心機一転したボッカッチョ。

後に「人曲」l'Umana commediaとも呼ばれることになる『デカメロン』には、堕落しきった現世を眺めるダンテと同様の視角がたしかにありはする。市井の人々の風俗は乱れ、修道院の僧侶すら堕落し切って色欲の追求に暇がない。しかし、フィレンツェの商業主義と地中海世界の新しい風に吹かれたボッカッチョにとって、それらはすべて、人間の自然本性に根ざしたものであり、「自由」の名のもとに賛美さるべきものであったのだ。こうした乱痴気騒ぎは人生の浮き沈みのいち側面に過ぎず、ときに痛い目を見ることこそあれ、徹底的に拒絶の態度を示し続けるべきものではなく、ましてや贖うべき罪として個人がその後の人生で背負っていくべき咎では決してなかったのだ。

俗世での幸福の追求は高らかに称揚され、機転を利かせて他人を騙す痛快さが、あるいは教会の司祭が"バカで善良"な市民の妻を寝取ることが「してやったり」として描かれる。ときにエロ本とも評されるほどに、男女の性愛や性交の具体的な描写があり、NTR(寝取られ)エピソードも頻出する。

ペストで人口の半数が死に、市中は大混乱。校閲機関もおそらくほとんど機能していなかったであろう当代フィレンツェにあってこそ、この書は相成った。エログロだけでなく坊主と教会もメタクソに叩く『デカメロン』の驚異的な言論の自由が、その後の地中海へ果てしない創造性を解き放ったという事もできる。

教会による支配と抑圧の「暗黒の中世」を抜け出して、いまや人間は自由である。限りのない享楽に浴し、生の鮮やかな色彩を余すこと無く表現すること、これは人として生を授かったものの使命なのである。

ボッカッチョとルネサンスの神秘思想

『デカメロン』以降のルネサンスにあって、アリストテレス-スコラ的な神学は影を潜め、同じイタリア人文主義のマルリシオ・フィチーノ(1433-1499)が掲げた新プラトン主義的な神秘思想が跳躍する。オルフェウス的な、あるいはピュタゴラス教の数秘術的な魔術信仰が『デカメロン』のエピソードを彩ってもいる。

マルリシオ・フィチーノ(1433-1499)

事実、ボッカッチョ自身もペトラルカ、ムッサートらの影響から古代の多神教思想をキリスト教の体系の中で寓意的に読み込むことに意欲を注いでおり、『異教の神々の系譜』なる多神教事典をも著している。

フィチーノと並び立つルネサンス哲学の巨星ピーコ・デッラ・ミランドラは、古代からのあらゆる学説と教説の統合、すなわち〈哲学的平和〉を希求した。キリスト教とユダヤ教、イスラム教の統合、あるいは、アリストテレスとプラトンの、そして古代の様々な神学や神秘思想の統合。その熱は後にローマ教皇ユリウス2世へと伝播し、教皇庁「署名の間」においてラファエッロの手で《アテナイの学堂》として顕現することになる。〈一者〉のもとでの統合と調和こそが、"ルネサンスの夢"であった。

ラファエッロ《アテナイの学堂》,1509-1510

14世紀ルネサンス人のボッカッチョが思い描いたのは、なによりもまず、現実的で具体的な地中海の平和であった。それは『デカメロン』の様々な物語を読むとすぐに分かることである。イスラム世界とヨーロッパ世界の商業的・文化的交流や友情の交換、そして宗教的寛容が、この当時においてこれほどまで楽しげに描かれることはなかった。

それは各地の商館に職員として勤めたボッカッチョの目からみた、実生活のなかにおける自由と人間賛美であり、また極めて身近にあるべきものとしての文化的調和なのである。

こうして、古典古代の復興、自由の称揚、そしてシンクレティズム(混淆主義)としてのルネサンス勃興に、彼は一役も二役も買っているのだ。

初期ルネサンスの一般市民の風俗や生活感覚、精神性を映した作品として、本作の重要性は尽きることがない。これだけのことを成し遂げながら、なおかつ物語としても面白く、全100話が現代読者の目に耐える『デカメロン』はすごい。

だから『神曲』を読み通す時間があるならこっちを読みなよと、自分なんかは思ってしまうのである。

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