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第5話 性格の悪いメソトレキセート

5泊6日の一時退院を終え、憂鬱な気分で病院に戻った。

そして、また尿道カテーテルを入れられ悶絶した。今回はこれを少なくとも3週間入れるというのだから気が狂いそうだった。

黄色い点滴メソトレキセート

メソトレキセートは約6時間の点滴で入れられた。その後5日間ほど500mlの点滴を3時間おきに流すというものだった。

一日目、二日目と副作用は全くなく、不思議だなーと思っていた。しかし、油断していた。

メソは口の粘膜をめちゃくちゃにしてきたのだ。
(写真見つけたら貼ろうと思う。)

熱いものはまず食べれないし、常に口がごわついている。辛いものも炭酸も感じない。なかなか性格の悪い奴だった。


うがいの時間 看護師さんが書いてくれた

メソの時は一日3回のうがいがある。これもまた面倒で地味に嫌な奴だった。

はじめのころは食べれるものもいまいちわからず、ソース系の食べ物ばかり食べていた。

少し調子が良くなってくると母が作ってくれた弁当やオムライスを食べていた。今まで母の味といえば?という質問に対して毎回答えが違っていたと思うが、ツナマヨおにぎり弁当とオムライスと即答できるようになった。

オムライス

イメージでは何も食べれなくてやせ細るというイメージだが、自分は食べれるものを必死に見つけて食べていたのであまり痩せなかった。

一度、母がサムライマックを買ってきてくれたのだが、とてつもなく体調が悪く、一口食べて吐きそうになり残した。

はじめてサムライマックを食べたときはヤバい薬が入ってると思った。そんなおいしかったものさえも普通に食べられず、がっかりした。

そんな日々が二週間続き、またシスプラチンの日が来た。

ここで、おなかを温めていると副作用が落ち着くことに気づいた。湯たんぽも数に限りがあるそうでたまに使えない日もあった。

そして、男梅が食べやすいことにも気づいた。主食は3日ほど男梅だった。

そして順調に白血球が下がり、5日間の隔離生活を経て一時退院できた。


寒くなってきたころに染みるキムチ鍋

(新聞紙を引いて食べてることへの指摘は受け付けません。我が家の謎スタイルです。)

この時の入院はまるまる一か月。結構本を読んで過ごしていた。

体が動かせない分、心を鍛えていました。←かっこいい

思考することは体調が悪くてもできるので、いろんなことを考え、どういう意味を持つんだろうと考えていた。万有引力とか。

そして、この一か月は多くの人に支えられた。母は体調いい日はほぼ毎日面会に来て、食べられそうなご飯を持ってきてくれた。本当に感謝しかない。

次は二週間の入院ののちついに手術。なんだかんだ時間が流れるのは早いなと感じた。

次回『第6話 大手術』です。よろしくお願いします。


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