2016年の田中功起展について書いたこと

今日、東京大学で行っているAMSEA(社会を指向する芸術のためのアートマネジメント育成事業)で、竹久侑(水戸芸術館)さんにレクチャーをしてもらったので、備忘もかねて再掲しておきます。(2016年5月4日にFBに書いたもの)

水戸芸術館で開催されてる田中功起展を見てきた。
まず最初に言うべきなのは、コミュニティやコミュニケーションに関心のある人は見るべき。一日美術館で時間を過ごす価値がある。
ただ、そこに何かしらの答えがあるわけではないし、却って限界も示しているようにも思うが、個人的にはそこにこそ考える契機があった。

展示は6日間の共同生活で行われた様々なイベントの記録の提示により構成されている。各イベントの映像、写真、成果物、使用された道具などの物、作家とキュレーターのコメント、そして参加者のインタビュー(映像と抜き出された文字)。

東日本震災後の日本の状況に関する危機感のようなものからこの企画は生まれている。知らない者同士が、ある困難な状況に接したとき、「つながり」は生まれ、「つながり」は強調される。しかしその差し迫った状況が過ぎ去ったとき、そのつながりはあっさり消え去って、以前の「関係への無関心な状況」に戻ってしまう。関係への無関心さは、共通の社会的な話題に関わり議論を深め、社会を前進させる(変化させる)ことから我々を遠ざける。私たちが経験してきたことがそういうことであるなら、必要なつながりを自発的に生じさせ、そこに持続可能性を感じさせる経験をデザインすることは可能なのか、という問題意識がこの作品、展覧会の根本的な動機だと私は理解しました。

会場の監視員の方たちに平塚らいてうの本を持たせたり、狩野愛さんがアクティヴィズムについてのワークショップをしたりということから、共同生活をし、協働の体験をする中から、社会的視点での意見交換や合意形成などが生まれることを期待していたのだろう。あるいは「移民」というキーワードで参加者が集められていたことから、この5年の間に起こった変化を語る新たな視点が生み出されることへの期待だったのかもしれない。
そのテーマに対する6日間という日数の妥当性などはよく分からない。しかし、結果として示されていたのは、それは起きなかったということ。そして個々の中では、いろいろな信念、そして様々な物への疑念があっても、結局パブリックな場ではそれは顕現しなかったということ。映像記録を担った藤井光さんが言っていた、結局ここで経験したことしか語られていない、という指摘はその通りなのだろう。それが悪いとか良いとかの評価をするつもりは私にはないが、事実はそうであったのだろう。でもこの試み、作品が意味が無かったとは全然思わない。

私がこの作品から感じた重要な点は、その構造の可視化。共同生活で時間を共にしながらも、それがつつがなく営まれる上でのマナーをみな上手に行使し、傍目には素敵な場が生まれているように見えるが、実のところ心の内に葛藤やストレスを抱えたままでいる。個別の意見聴取のようなかたちでは皆積極的に意見表明をするが、共同の場では決してそれは形に表れない。そのことがもう少し強調された構成であった方が、私には展示として意味があったように思われた。まぁでも、編集された映像を通して私はそう見たので、参加者たちの感じたことはわからない。

もう一つとても考えさせられたのは、今の日本人(日本人と限定すべきなのか、人一般と言って良いのかは分からない)は、変わることを「感覚的に」拒む人がとても多いのだな、という点。これは私の所属で学生たちと接していて日常的に強く感じていることでもあったので、特に気になった。政府の言うことを支持し安保法制は肯定するし、原発は無くすべきだとは思うけど再稼働させないのはおかしいし、放射線を怖がるのもおかしくて科学的根拠を持つべきで、でも色々な意見を持つ人がいるのはとても良いこと、という参加者がいたことが個別インタビューでわかる。また、アクティヴィズムについてのワークショップで、狩野さんが書いたテキストを朗読することに「自分の表現で無いものを読むのは・・・。」と抵抗感をもった参加者もいた。人の文章を読むことで自分が「汚染される」かのように捉えているように見えた。その人は、過去のニュースを読むようなこととして朗読することを受け入れたと言っていた。

田中功起さんは、「変わることが求められる」ということを確かコンセプト文のどこかに書いていたと思う。「科学的根拠」が科学的でない状況をこの国が生み出しているなら、自分の立てている前提が成立してないかもしれない。そこを疑い、検証すれば、自分が変わる可能性は、本来あるはずで、それが科学が基づく合理性であるはずなのに。他者の文章を読むことが自分の表現でないから受け入れられないというのは、コミュニケーションそのものを受け入れない、他者を受け入れる余地が全くないように見えなくもない。
「変わること」を最初から選択肢に入れていない人たちと、ある立場を示すことがあたかも「洗脳」であるように感じてしまう人たちと、どのようにコミュニケートすれば良いのか、そこに現代の最も大きな課題が存在するように思う。
私が大学の教育学部で行っている授業で一番重要視しているのは、現代社会が置かれている状況、そこで問題化されていることを示し、美術の表現が変化しつつあることを伝え、美術を通した学びがどうあるべきなのか考えさせることです。その中では、「描くこと」の意味も変わるだろうし、「つくること」の意味も変容しつつあるよね、ということを突きつけざるを得ない。しかし、最近ではそうした授業が「ハラスメント」だと捉える学生さえ出ています。絵が好きで、そのままの自分でいたいのに、それが批判されるのはハラスメント!という具合に。理念なき保守化。あるいは行き過ぎた「純粋な自分」信仰。このことが、この作品でとても顕著に現れていた点がとても興味深かったです。もちろん個人批判をしたいのではないです。そういう傾向がこの社会には強くあるということです。合理性、論理を重視した思考様式を持たないこと、他者とどう折り合いをつけるのかについての深い考察に基づいた行動様式をもたないことが日本社会の構成員の傾向としてあると。

私の専門に引きつけて言えば、教員を目指し、大学で学ぶ人たちにさえその傾向が強く現れ出ている状況で、芸術/アートが社会の変革に関わることを期待することの難しさを日々感じていますが、その背後により多くの変わることを望まない人たちがいることに無力感を抱きもします。私は、感性を契機として、自分の認識を更新し、自分の行動を変化させる主体的プロセスを内に育むことが美術を通した学びの本質だと考え、いろいろやっているわけですが、この作品でみた印象的なものは、感性の領域を、社交や趣味性の範囲に押しとどめ、そこから感じたことを行動につなげていくことを選択しないという行動様式でした。この作品にも私が考えているプロセスが無かったわけでは無いと思います。ただ、選択のための優先順位を立てる段階は個人の中に委ねられていたので、従来の「中に押し込めておく」選択になってしまったのかもしれない。「人と関わることが面倒」という参加者もいましたが、この場合の面倒な関わりは、自分で優先順位を立てて行動に移すことで、色々な軋轢が生じ、人と交渉したりすることなのかもしれない。だったら、行動として(話すことも含め)顕在化することを選ばないのは当然のことになる。優先順位を共有することができるのか、そのことを突きつける場面はなかったように思う。それが自然生起することを期待したのかもしれない。そしてそれが生起しないのはハン・トンヒョンさんの「この国にはマジョリティが多すぎる」ということに根があるのかもしれない。

そして、キュレーターの竹久さんのインタビューで語られていたことも重要かと。テーマが社会一般にとってとっても重要なものであるのに、美術館に来る人は数的にも関心的にも限られた人たちであるということ。これはアート/芸術が社会から様々な刺激を受けて、アートワールド内での新しさを競うゲームから、一般社会への直接的な関わりや言及をする位置へと移行しつつある状況においては、根本的な矛盾を抱えていると言わざるを得ない。公的資金を使う公共施設としての美術館が、その成立根拠を踏まえるなら、こうした社会に言及する作品は重要なものとなるはずである。しかし、一般市民はそうしたものとして美術を捉えていないし、美術ファンの多くもいまだにそうしたものとして美術を捉えていないのが実情。アート/芸術/美術とは何か?それが整理されないまま同じものとして扱われていることが生じさせている問題は、美術館、美術教育が直面する最も大きな課題なはず。

このことについてさらに言えば、藤井さんの「アーティストが社会を必要としているというパラドクスが示された」という指摘、そしてその状況は限界でもあるという言及は、昨年から取り組んでいる社会の芸術フォーラムの課題ともつながる。
それはアート/芸術でなければ出来ないことなのか?
他の社会的実践を踏まえた上でのアクションなのか?
さまざまな課題が突きつけられています。本当に「限界」なのか?限界の中身は何なのか、引き続き考えていくべきテーマだと思いました。
こんだけ考えさせてくれた展覧会だったので、私にはとても良い展覧会でした。

長くてすみませせん。

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