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幸せについて考える

自分は幸せだったのか?

最近、自分が幸せだったのかよく考える。
普通に暮らせるくらいの給料をもらって、結婚して、家を買って、子どもが産まれてきてくれて。たまに友達とも遊んで。

普通はこれを幸せと呼ぶんだと思う。
確かに楽しかったことも多かった。
でも幸せだったのかはわからない。

何となく生きている内には考えたこともなかった。
幸せについて考えるなんて、変な宗教みたいだとバカにしてた。
だから幸せになんてなれるはずがなかった。
自分にとっての幸せとは何か?という優先順位もつけていなかったのだから。

病院で学んだこと

病院に通って様々なことを学んだ。
自分がストレスを溜めやすい思考であること。
ストレスが限界を迎えると何かに依存すること。
ストレスが大きければ大きいほど、依存度が高くなること。
その結果、自分のように犯罪に走ってしまう人がいること。

今までもずっとそうだ。
「家族のために頑張ろう、誰かのために一生懸命やろう」といつも考えていた。そう考えている自分は正しいし、みんなから好かれるはずだと言い聞かせていた。

でも、そういう自分に酔っていただけだったかもしれない。ずっと他人の目を気にして生きてきた。反対に自分のことは放置した。むしろ「自分のことを優先する人は社会人失格、夫失格、父親失格だ。」という思想だった。

そして、そういう生き方をしている人を探して勝手にバツをつけていた。「俺はあの人みたいにはならない。俺はあの人より上の存在だ。」というちっぽけな優越感だけが自分の存在意義だった。

報われない思い

多分、自分はちっぽけな優越感を集めすぎてしまった。そしてそれは「こんなに頑張っているのになんで報われないの?」に変わってしまった。その内「このまま人生が終わっていいのか?」と疑問に思うようになった。そしてすべてをぶち壊した。

もちろん他人を大事にすることは大切なこと。
でもそれと同じくらい、若しくはそれ以上に自分を大切にしないといけなかった。じゃないといつかパンクして心が壊れる。大切なものを見失う。

存在意義

子どもが産まれた数か月後、上司から言われた。「子どもが産まれて変わったな。明らかに仕事の質が落ちた。ちゃんと仕事しろ。」と。それはそうだ。今は子育てが最重要なのだから。

でも、自分にとってはものすごく悔しい言葉だった。存在を否定されたように感じた。だから、独身時代のように仕事にも全力を尽くすようになった。

ヘトヘトで家に帰ると、ちっぽけな優越感欲しさに全能の父親を演じた。ずっと背伸びして生きてた。毎日溺れかけている感覚だった。到底、幸せとは呼べなかった。

自分にとっての幸せとは何か?


幸せに優先順位をつけることが必要だ。なぜなら人それぞれ違うから。
自分にとっての幸せは家族や友達だったはず。少なくとも仕事はお金を貰うための手段だった。
でもいつの間にか、優先順位がわからなくなっていた。だから自分に軸がなかった。だから上司の言葉に動揺した。

何を言っても遅い。家族はいなくなった。
ついでに仕事もなくなった。
これからは何を優先するべきだろう。
当面の間は「とりあえず生きること」が最優先になりそうだ。

皆さんにはこうなって欲しくない。

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