怨念が醸し出すオルゴールの恐怖

高瀬甚太

 ――母の形見のオルゴールを処分したいのだが相談に乗っていただけませんか?
 何をどう勘違いしたのだろうか、電話で見当違いの相談をしてきた男がいた。私は即座に断った。
 しかし、男はなおもしつこく電話をしてくる。たまらず、
 「私は出版社の編集長であって、古物商ではありませんよ」
 と声を上げたが、相手は一向にひるまなかった。それどころか、声を荒げて言う。
 「このオルゴールが『曰(いわく)つき』のものだと知ってもですか?」
 「曰つき?」
 痛いところを突かれた。私の好奇心は人並み外れている。
 「ほらほら、少しは話を聞いてもいいかな、と思い始めたんじゃありませんか?」
 「ともかく私はですね……。まあいいでしょう。話だけなら聞いてあげましょう」
 とうとう男の相談に乗るはめに陥ってしまった。
 電話では要領を得ないので会うことにした。『曰つき』の母の形見のオル ゴールとやらも見たかったし、その『曰つき』の所以とやらも聞いてみたかった。
 翌日、大阪駅の構内、ホテルの喫茶室でその男と待ち合わせをした。初対面だったが、相手は私を知っているという。なぜ知っているのか、不思議に思ったが、少し早めに出向いてホテルの喫茶室で男を待つことにした。
 「井森編集長ですね?」
 中年の洒落た感じの男性が真紅の風呂敷包みを抱えて私の前に立った。その隣に三十代前半と思しき女性が立っている。時計をみると約束の時間ちょうどだった。
 「はい、そうですが」
 と応えると、二人の男女は私の前の席に座り、
 「昨日、お電話させていただいた桐山辰夫です。これは私の秘書をしている真柴愛子と申します。突然、お電話して申し訳ありませんでした」
と丁寧に挨拶をした。
 男の差し出した名刺をみると、「株式会社関西中央貿易センター 代表取締役 桐山辰夫」とあった。
 「貿易のお仕事をなさっているんですか?」
 名刺を手に確認をすると、桐山は、メガネ越しに柔和な笑顔を浮かべて、
「ええ、私は二代目になります。元々は父の興した会社で、父が亡くなった後、私が継いでもう十五年になります」
 五十代後半だろうか、白髪の混じった髪の毛を撫で上げながら、桐山は笑顔を絶やさず、自社の事情を話した。
 「ところで、お母さんの形見のオルゴールを処分したいとのお話ですが、最初にお断りしておきたいのですが、電話でも申し上げた通り、私は古物商ではありませんので、その点については何もお役に立たないと思いますが」
 「出版社の編集長に失礼なことを申し上げてすみませんでした。処分と言っても、売却することが目的ではありません。編集長のお噂をお聞きしまして――」
 そう言いながら、桐山は、テーブルの上の真紅の風呂敷包みの中から金属製の円筒のようなものを取り出した。
 「これが母の形見のオルゴールです」
 桐山が井森の前に差し出したオルゴールは、私がこれまで見たことのないようなアンティークなオルゴールだった。
 「ずいぶん古いオルゴールですね」
 と感心したように言うと、桐山の隣にいた、真柴愛子が私に尋ねた。
 「編集長は、オルゴールについてお詳しいのですか?」
 「いえ、実を言うとまるっきり知識がありません。このオルゴールを手に取っても旧式のものだとわかる程度で、このオルゴールの価値など私にはまるでわかりません」
 正直に答えた。すると、桐山は、
 「真柴はオルゴールに詳しくてね。今回の相談にも関係することなので、申し訳ありませんが、少し、真柴の説明を聞いていただけますでしょうか」
承諾すると、桐山の隣席に座っていた真柴愛子が私を見て言った。
 「今回のご相談をさせていただく前に少しだけ、オルゴールについて基礎的なことをお話しさせていただいてよろしいですか? そうしなければたぶん今回のご相談をご理解していただけないと思いますので」
 ずいぶん美人の秘書だなと、彼女の瞳をみて思った。長い睫と白い肌、黒いショートの髪がよく似合っていた。
「お願いします」
 と頭を下げると、それを合図に真柴がオルゴールについて語り始めた。
 「オルゴールの原点が時を告げる鐘の音であったということをご存じでしょうか?」
 「いえ……」
 「十四世紀にベルギー のブリュッセルで、元々、人々に時を知らせるのに鐘を紐で引っ張って鳴らしていたものを自動化した、自動カリヨンとよばれるものが聖ニコラウス・カークの塔に設置されました。それがオルゴールの始まりとされています」
 ホテルの喫茶店は静かで話しやすい。店内は満席であるにも関わらず、真柴の声は私の耳によく届いた。
 「十五世紀始め、ぜんまいの発達により、小さな時計に音がとり入れられるようになり、初期のオルゴールは時計のチャイムというおまけ的な機能として発達しました。しかし、発音するものがベルではその音程が安定せず、小型化に限界を迎えるようになったところで考案されたのが、櫛歯です」
 真柴はそこで一拍置いた。私には彼女がなぜ、こういう話をするのかよく理解できなかった。これではまるで大学の講義のようなものではないか。生徒は私一人だが。
 「櫛歯を弾いて音を出す現在のシリンダーオルゴールの原型が創られたのは今から約二〇〇年前、フランス革命下の一七九六年の事です。スイスの時計職人アントワーヌ・ファーブルの手によって、世界初のオルゴールが生まれました。
 一八二〇年頃から、オルゴールの生産が本格化します。初期の櫛歯は一音に対して一枚の鋼鉄片を一つ一つ固定して並べたものでしたが、金属板の発達で、現在のオルゴールと同じように一枚の櫛歯ですべての音を刻み、調律する事ができるようになりました。ただ、この頃のシリンダーオルゴールは職人技によるところが大きく、一八〇〇年代後半に工場制手工業化に成功するまでは高価で、とても容易に手に入るものではありませんでした」
真柴の講義はさらに熱を帯びてきた。
 「初期のオルゴールは、懐中時計や宝石箱、オペラグラスなどに埋めこまれていましたが、やがて、オルゴールの音楽的な魅力に人々の関心が集まるようになると、オルゴール単体で箱型の比較的大きなものが創られるようになりました」
 真柴は、桐山のオルゴールを手に取るとオルゴールの内容について説明し始めた。
 「シリンダー・オルゴールの円筒は金属でできています。ディスク・オルゴールの円盤も同様に金属製です。他の全ての部品も金属の基盤(ベッド・プレート)上に固定されているのが特徴です。動力源であるぜんまいを巻くために、巻上げクランクや巻き戻りを防ぐ歯止め装置があり、ぜんまいや電動モーターを用いて、数分から1時間以上も演奏するオルゴールもあります。ぜんまい式の場合は、羽根車などを使った調速機で回転を調整します。音源である櫛(コーム)は異なる長さの何十から何百もの金属製の歯状に切られ、歯(ティース)は音階に合わせて調律されています。シリンダーやディスクには譜面に合わせて音楽が記録されており、シリンダー上にはピンが植えられ、ピンが歯を弾いて音を出すのが特徴です。ディスク・オルゴールの円盤には突起または穴がありますが、スター・ホィールと呼ばれる歯車を介して櫛の歯を弾きます。不十分ですが、これがオルゴールについての覚えておいていただきたい知識です。そこでここからがいよいよ本番です」
桐山の表情は先ほどから少しも変化せず、目を瞑って真柴の話を聞いている。
 「このオルゴールは、桐山社長のお母様が生前に保存していたもので、ヨーロッパ旅行の途中で骨董品として売られていたものを買ったものです。骨董品店で確認しますと、このオルゴールは一八二〇年頃造られたもので、オルゴールが本格的に大量生産される前の職人の手によるもので、今では数少なく、世界に類のないものだそうです。それを桐山社長は骨董品店の主人から聞かされました。ただ、桐山社長のお母様はそのような商品であるにも関わらず比較的安価な値段で購入しています。なぜ安く買えたのか、その理由を桐山社長の奥様は後で知ることになります」
 真柴が話を途中で切り、コーヒーを口にした。
 「真柴くん、ありがとう。ここからは私が編集長に説明しよう」
 桐山が真柴からバトンを受け継ぎ話し始めた。ようやく話は本題に差し掛かったようだ。
 「実は母がヨーロッパから帰ってきて異常なことが立て続けに起きましてね」
 「異常なことと言いますと……」
 「父が亡くなって以来、母はお手伝いと二人で住んでおりました。ヨーロッパで買ってきたオルゴールを一度も出すことなく閉まっておいたところ、ある夜、母が眠っていた時、閉まっておいたオルゴールが突然、鳴りはじめ、それはしばらく止まなかったそうです。母は、その時になってようやくオルゴールを買っていたことを思い出し、直しておいた場所に急いで向かい、物置の中からそのオルゴールを取り出しました。母がオルゴールを手に持つと、急に音が止み、静かになったと言います。母はその時、オルゴールに詫びたそうです。放っておいてごめんなさいと。それから母はそのオルゴールを応接室に飾り、大切に保管するようにしました。でも、音楽にあまり興味を持たなかった母は、オルゴールを大切に保管しておいたもののずっと使わずにいました。そうすると今度は、誰もいない昼間の応接室で突然、オルゴールが大きな音で鳴りはじめました。お手伝いが慌てて駆け付け、オルゴールを消そうとしましたがどうやっても消すことができません。そのうち母が買い物から帰ってきて、鳴り続けるオルゴールを手に取り、『ごめんなさいね。これからはもう少し聞くようにしますからね』と謝ると、オルゴールはピタッと止んだそうです。以来、母は一日に一度はオルゴールを鳴らすよう心掛けました。
 あり得ない話ですが、オルゴールの音色は日によって違って聞こえたそうです。しかも、その音色は母の身体やお手伝いの身体にも微妙に影響しはじめました。
 母は急にふさぎ込み、また、急に陽気になったりと躁鬱状態が激しくなり、お手伝いも同様の状態が続きました。いえ、それは人間だけに限りません。飼い犬や飼い猫にも影響し、ある時、遂に家の者全体がパニック状態になり、病院に搬送されました。
 母とお手伝いの女性が亡くなったのはその数日後のことです。死因は二人とも心臓麻痺でした。二人とも心臓麻痺で亡くなるなんて信じられません。医師の話によれば、激しい恐怖からくるものではないかということでしたが、その原因に思い当たることはありませんでした。いろいろ調べてもらいましたが、どうしても突き止めることができず、ようやくわかったのがごく最近のことです。母の一周忌のために以前からやろうと思っていた母の遺品を片づけに行って、そこでこのオルゴールと、母の残した日記に書かれていた内容を照合してようやく、母の死の原因がオルゴールにあるということがわかりました」
 「オルゴールが原因だったのですか?」
 私は思わず問い返した。
 「そうなんです。このオルゴールは非常に危険なオルゴールです。私も母の手元から引き取って改めてそれを感じました。子供や妻にもオルゴールの影響が出始めています。何とかしなければ、そう思って悩んでいたところ、あなたが発刊し、あなたの書かれた『霊の正体』という本を読んで、この方にお願いしてみよう、そう思ってやってきた次第です」
 桐山は私を見つめ、オルゴールを私の前に差し出した。
 真柴は「一八二〇年代に作られたオルゴールの中でもこれは、一音に対して一枚の鋼鉄片を一つ一つ固定して並べたもので、職人の怨念が込められているような気がします。時代への抵抗、宗教観、権力に対する反発……、職人たちの怨念はさまざまな形で存在したと思うのです。従来の霊媒では解決しない強いパワーがこのオルゴールには存在しているようです。桐山社長と共に、かなり有力な霊媒師に除霊をお願いしましたが、うまくいきませんでした。後は編集長しかいません。何とかこのオルゴールを成仏させてやってください。そうしなければ、社長の奥さん、子供さんに関わらず、さらに被害が広がると思います」と切実な表情で訴えた。
 しかし霊媒師に解決できないものがどうしてに私に解決できよう。無理に決まっている。私はそう思った。どうにも解決策が浮かばず、これは日本の霊とは質の違う西洋の怨霊だと判断した。これに対抗するには、果たして――。
 思案する私に不安を感じたのか、桐山が、
 「お礼ならお望み通りのものをご用意します。どうかお引き受けください。お願いします」
 母親を亡くした桐山の悲壮感あふれる依頼には断ることができないまま、私は解決を約束して、真紅の風呂敷に包んだオルゴールを極楽出版に持ち返った。
 
 まず、懇意にしている寝屋川市のキリスト教会の神父、ジュリアン・サバティーヌに相談することにした。ジュリアン神父は、オルゴールを一目見ただけで、オルゴールに潜む怨霊パワーの存在に気付いた。西洋人であれば、どんなに安価でもこういった商品は購入しない。それほどすごい邪悪なパワーを持っていると看過した。しかし、ジュリアン神父にもこのオルゴールに潜む怨霊を退治することはできなかった。祈りだけでは通じないとジュリアンは悲しげな表情で語った。
 ジュリアン神父の紹介で、神戸にあるインド人のマホメッド・サージュに会うことになった私は、藁にもすがる思いで神戸に向かった。
 マホメッドは、インド国籍の学者で、日本に滞在して一年近くになる。北野の異人館近くにあるマホメッドの自宅を訪問した私は、日本語のわかる彼に、オルゴールの怨霊について説明し、どうにかならないものかと尋ねた。
マホメッドは四十歳になったばかりの新進気鋭の学者で、ジュリアン神父によれば、こういった霊の方面にも明るいということだった。
 「大昔の職人にとって、ものを作るということは、すさまじいエネルギーを必要とするものだったのでしょう。それがこのオルゴールのように緻密なもので、しかも音色をだすものであればなおさらだったと思います」
そういってしばらく沈黙した後、マホメッドは私に言った。
 「二人で感謝しましょう。そして、このオルゴールを褒めましょう」
 そんなことで怨霊が退散するとは思えなかったが、仕方なく私はマホメッドと共に感謝し、オルゴールを褒め称えた。確かにこのオルゴールを作るのは大変な作業だっただろうと思う。そしてこのオルゴールがあるからこそ、現在のオルゴール、音楽がある。そう思うと自然に感謝の念が湧き出てきた。
 「怨霊を追い出そうなんてことを考えてはいけません。怨霊はこのオルゴールをずっと守り続けてきた稀有な存在です。それを追い出そうとしたり、このオルゴールを粗末にするから、怨霊たちが怒り出すのです。怨霊たちをもっともっと褒め称えてあげてください。そして彼らを心から祝福してやるのです。それがこのオルゴールに対する供養になります」
 マホメッドに従って井森も同じようにオルゴールを褒め称え、祝福した。1時間ほどそれが続いただろうか。ふと見ると、オルゴールが静かに揺れ始めている。
 マホメッドはさらにもっと深く、もっとオルゴールを祝福し、褒め称えようといった。やがてそれが功を奏したのか、揺れるオルゴールから緑色の液体が流れ始め、それは折から吹いてきた風に乗って窓から外へ流れ出た。同時に揺れが止み、オルゴールは静止した。
 「もう大丈夫です。怨霊たちは喜んで風に乗って天上へ消えました。もう人に害を与えることはないでしょう」
 マホメッドの言葉に安心した私はオルゴールを手に持った。心なしか軽くなった気がして、蓋を開けてみた。きれいな音色が聞こえ、蓋を閉じると消えた。
 マホメットに礼を言い、桐山社長の元へ電話をかけた。桐山社長は仕事で不在だったが、真柴がいて、オルゴールのことを伝えると、たいそう喜んだ。
 しかし、真柴はオルゴールの受け取りを拒否し、そのまま処分してほしいと井森に言った。仕方なく私はそのオルゴールを事務所に持ち返り、本棚の隅に飾った。怨霊が戻って来ないことを祈りながら――。
〈了〉


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