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〈物語〉シリーズ初心者が「傷物語 -こよみヴァンプ-」を観たよ

 先日、「傷物語 -こよみヴァンプ-」を観てきた。

はっきり言って、私は〈物語〉シリーズ初心者というより、ミリしら勢に該当する。タイトルで「初心者」と名乗っているのは、ゴジラの時に初心者とタイトルにつけたので、これから知らないシリーズ作品を観た感想レポを投稿するときは「初心者が観たシリーズ」としてブランディングしようという考えが今よぎったからである。

 さて、この作品の魅力を十分に伝えるには、おそらく<物語>シリーズの他作品の履修が必須になってくるであろうため、このような数百字で到底語りきれる作品ではない。ましてや私は他作品未履修のミリしら野郎である。という状況を踏まえ、今回は初めてこの世界観に触れた一人の人間の、心に起こったその一瞬をただ切り取ってお伝えすることにする。


 本作を語る上で、“シャフトの演出”について触れることは避けられない。シャフトの演出はそれほどに現代のアニメーションにおいてアバンギャルドな存在感を放っている。

 まず、劇場予告編の時点から"存在感が違う感”を与えてくる。庵野作品とかのあの特別感を彷彿とさせる。その中でも、僕は特にこのティザービジュアルが好きだ。


絵面の大半を長々とした地下鉄のエスカレーターが占め、その上に佇む光と人影。実写らしい(CGかも?)整列された直線的な無機物の美しさとアニメーションのバランスがとても美しい。製作陣はオタクがどういうヴィジュアルに惹かれるのかを本当によく分かっている。

と、長々と予告編について語ってしまったが、本編はこの一枚絵なんて比にならないほどの演出のこだわりようだ。ここでそれらを全て説明することは到底できない(というか記憶しきれてない)ので、特に印象に残った部分から語っていこう。

日の丸

これはどうやらこの作品以前の三部作の方の「傷物語」でもかなりのカット数登場したようであるが、本作でもかなりの存在感を放つカットであった。

唐突に現れるアンディ・ウォーホルのポップアートさながらの構図で陳列された日本国旗。あまりに美しい構図に気をとられ、鑑賞中は国旗が何を意味するのかを考える暇さえなかった。そして、家に帰ってきて、その後何日か経ってもこれが何を意味するのかはよく分かってはいない。吸血鬼にとって「死」の象徴である太陽を意味しているともとれるし、キスショットにとって初めての眷属との出会いと別れを経験した舞台、そして二人目の眷属である暦と出会い、生きていく舞台としての「日本」を象徴しているのか、いくらでも解釈の余地はある。でも、これがもしたとえ監督の気まぐれもしくは特に意味が込められているわけではない演出だったとしても、私はこの演出を評価せざるを得ない。何故なら、すでにオタク達がこの演出の意味を考察しようとしている時点で監督の勝ちだからだ。ともかく、シャフト作品はこういった点において非常にバランス感覚が優れている。オタク達がギリ気づいてくれるであろうオマージュ、絶対誰も気づかない制作陣内々でのオマージュ、このあたりの魅せ方のバランスが非常に巧みなのだ。本作でも、それらがとても上手く演出されている。

刀OP

OPに堂々と日本刀が2本登場。ヤクザ映画か。めちゃ達筆なフォントで表示される縦書きの「原作・西尾維新」におもわず、「原作読んでなくてすみません…」と一瞬心がチビる。しかし、この演出も原作未読勢の私には伏線となって機能した。映画を観終わってからこのOPを思い返すと、やはりこの映画は、「キスショット」の映画なのだと思い知らされる。

サブリミナル的カット

「ROUGE」、「NOIR」、その他にもキャラクター名やセリフが文字になって、サブリミナル的に登場するカットが数多く登場する。その中でも特に登場回数が多いカットが、「ROUGE」、「NOIR」である。これはそれぞれ、フランス語で「赤」と「黒」を意味するのだが、これもまた色々な解釈の余地を与えてくれる。この解釈についてネットのオタク達の見解を少し覗いてみると、「赤は、初々しい恋・愛。そして愛は憎悪で、赤から黒に色を変える」という解釈を目にした。まあ、なんと美しく詩的な解釈だろう。この美しく醜悪的な激情は、キスショットのものなのか、それとも阿良々木君のものなのか、はたまた羽川のものなのか……。と、ここまで語ってきたが、やはり、シャフトの演出の威力はすさまじい。一見突拍子もなく、何の脈絡も無い、ナンセンス文学の領域に踏み込んだと思わされるが、観客が解釈を愉しむ仕掛けが巧みに用意されており、観客を置いていかない。むしろ強引に連れていかれる。現時点での日本アニメーションの極北と評価するオタクがいるのも頷ける。

 と、演出について散々語っておいてなんだが、ストーリーについて語らずしてレビューとは言えないので、語らねば。細かいあらすじなどは省略するが、私が特に印象に残ったのが、終盤の阿良々木君とキスショットのやり取り。神谷氏もインタビューで取り上げていた台詞の「お前が明日死ぬのなら僕の命は明日まででいい―――お前が今日を生きてくれるなら、僕もまた今日を生きていこう」がこのシーンを象徴している。この純粋な愛の告白は、本作における阿良々木暦を象徴する言葉とも言えるかもしれない。神谷氏は、「自分の信念を押し付ける彼の自分勝手でお節介な性格を表している台詞」とインタビューで語っているが、まさしくこれが的確にこの台詞の意味を表している。つまり、もっと俗に言うところのクソデカ激重愛情ってヤツだ。キスショットも確かに阿良々木君を愛していた。けれど阿良々木君の愛情は大きすぎた。愛情の一方通行。つまるところの自己完結。それが物語の結末を意味する。救いのため死よりも愛のための生。それはなんという美しく、そして歪なかたちをした愛だろう。しかし、この愛を誰が否定することができるであろうか。いや、誰にも否定はできない。紛れもなくそれは彼が選んだ愛なのだから。忍野メメが言ったように、この結末は「不幸の分配」という型であるのは間違いないだろう。しかし、やはり物語とはいえ人間が複数存在する以上、すべての登場人物が100%ハッピーになる結末など存在するのだろうか。現実世界に生きる我々は、幸も不幸も抱えたなかで、それらの感情がときに幸寄りに傾いたり、ときに不幸寄りに傾いたりする波とともに生きているものだが、本作ではまさしくその感情の波の変化を克明に描写されている。苦渋の決断の末、キスショットを飼いならして生かすことを決めた阿良々木君、死に場所をようやく見つけたと思ったら一人の男の一方的な感情のせいで死よりも苦痛な生を追いやられたキスショット。しかし、時間の経過は次第にそういった不幸を忘れさせ、やがて平凡な日常と化す。まるで、誰かが死んで、その親族は皆悲しんでいたのに、やがて葬式が執り行われて、その後の食事会で誰も故人の話をしなくなる通夜のように。この生々しさこそ、個人的に、本作「傷物語」において感じたもっとも特異な点であるといえる。

 また、本筋とは逸れるが、本作の音楽を担当されている神前暁氏の手腕にも驚かされた。彼は「God knows…」や「恋愛サーキュレーション」という誰もが知る名曲の数々を生み出したアニソン・ポップス界における天才メロディメーカーという印象が強いが、哀愁漂うフランス映画のような曲から、モダンジャズのような曲まで、劇伴のオーケストレーションまで全て自身で担当されているとはエンドロールを見るまで気が付かなかった。マジでスゴすぎる。

特に印象深いのは、やはり、エンディングの楽曲「etoile et toi」。日本語訳を調べたらエトワール(星)と私」という意味らしい。いいタイトルだなぁまたこれが。本作は、作品全体の音楽演出をこの曲を軸に構築されたそうで、なるほど作品全体の音楽の統一感も納得がいく。ちなみに、エンドロールが流れ出した時のバッドエンド感はもう半端なかった。めちゃめちゃ不穏な雰囲気の曲入りだし。もはやなんだかとても昭和のカルト映画のような雰囲気を彷彿とさせる感じであった。しかしそこから徐々に曲調が変化し、後半から非常に美しい主題が聞こえてくる。これが、「etoile et toi」。本当に良い曲。万が一、初見のオタクでエンドロールで途中退席しちゃったヤツがいたら、もう一回この曲聴くためだけに観に行ったほうがいいよ!

声優陣にも触れないわけにはいかない。とにかく本作で光ったのは、主演・神谷浩史氏の怪演だろう。本作では、セリフのない叫び声や呻き声がとにかく多い印象だった神谷氏。冒頭の火だるまシーンや地下鉄での邂逅シーン、その後の吸血鬼キラー達との戦闘シーンなどにおいても、モノローグで心情が語られることがほぼなかった。こういった、説明をなるべく省き、間やセリフ以外の演出の魅せ方で映画を成立させるという手法は、主に実写映画でよく見られる手法であり、最近で私が観た映画でいうと初期の北野映画などに顕著に見られる。しかしこういった手法は、人間の、脚本による支配の範疇を逸脱した、監督ですら想像もつかなかった表情や仕草、反射的に口から出たアドリブ、自然の手によって支配されている空、太陽、雨などの偶然性の営みを一瞬のフィルムに落とし込むことができ、それを脚本・セリフの代わりに魅せる道具として使うことができる実写映画には向いている手法である。しかし、実写映画と違い、0から100まで人間の手の支配によって画面が構成されるアニメーション映画においては、セリフ以外の演出をどう魅せるかという部分においては、制作陣の知識・ノウハウが文字通り100%発揮されるフィールドである。
神谷氏はこのセリフ以外の部分において天才的といえるだろう。神谷氏は意図的に、それぞれのシーンの香りに適した叫び声や呻き声を演じることができる。これは本当に誰にでもわかるレベルでニュアンスの違いがわかる。

それでいて、ヒロイン・坂本真綾氏も言わずもがな天才的で今回も神がかっていた。キスショットの四つの成長段階をそれぞれあそこまで緻密に演じ切る声優が彼女以外にどこにいるだろうか。演じ分けが得意な女性声優は現在では多くなってきているが、彼女はそのなかでも個人的に圧倒的頂点である。

と、「傷物語 -こよみヴァンプ-」の感想をここまで約4千字の駄文で語ってきたが、私はそもそも映画に点数を付けて評価することが苦手なので、こうして長々と文章にして語る方が現在としては性に合っている。本来はこんな方法、タイパもコスパも悪いったらないのでしょうが、本作に関しては、むしろこうして長々と語りあわなくてはならない部類の作品なのではないかと個人的に思う。こんな変な作品に点数なんかつけられやしないよ本当に。それでも全体的には、グロ耐性ゼロ、微エロも無理!、という人以外にはかなりお薦めできる作品ですね。私も〈物語〉シリーズ追えてないので、ここまで来たら見たくなってきましたね。いつかシリーズ全履修してからのレビューとか書いてみても面白いかも。


と、ここまでこんな長ったらしいnoteを読んでくださった方には1いいねにつき10のありがとうを返したいくらいです。本当にありがとうございます。約2か月間手つかずだったnoteですが、これでも、徐々にでも毎日投稿に戻していきたいと思っている所存です。自分の精神状態と相談しながら、それでも魂を削りながら、誰かの心に少しでも何か残るようなものを目指そうと思います。また今後は、ショートショートのようなものにも興味があるので、そういったものも投稿していければと思っております。それでは。


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