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和歌心日記 4 参議篁

わたの原
八十島かけて
漕ぎ出でぬと


「山手さん、ほんとに戻っちゃうんだべか?」
「そうなんです。急で…本社に欠員が出てしまったみたいで」
「んだかぁ、寂しくなるなあ」
行きつけの小料理山手は目頭を熱くしていた…。

「青森営業所…まさか俺が?」
嘘だろ…
山手が弘前に越してきたのは5年前だった。

山手は本社ビル25階の廊下に貼られた人事異動用の掲示板を見た。
『経営企画部 戦略担当室長 山手一郎、
青森営業所 所長を命ずる』

社内に山手姓は一人、間違いなく自分の名前だった。
同期で室長になったのは、自分が一番早かったはずだ。
さらに会社の中枢、経営企画室の戦略室長だ。出世が約束されたようなものだ、と思っていた。

しかし、辞令が発令して以降、めっきりメールが減った。
先週までは山のようにメールが来ていたというのに。人事は水物と言うが、急に現実が突きつけられた気がした。

「山手、うちの会社で根回しが重要なのは新入社員でもわかっているだろう。お前はもう管理職なんだし。
全て一人で決めて販売まで漕ぎ着けたのは凄いことだが、いくら常務が任せると言ったからって、ほんとに一人でやる奴があるか。常務をよく思っていない平役員だっているんだぞ。
商品がこの後いくら売れても、今後社内では継続して販売はしないだろう。本当に残念だよ。
奢っていたと思われても仕方ない結果だ。
悪いが俺ももう手が出せなかった。南米の工場でなかったのがせめてもの救いだな」
部長に会議室に呼び出され、真相を聞かされた。

バカな役員どもは何もわかってない。今はスピードが一番大事なのに。根回しなんてしてるから他者に出し抜かれる。こんなことでは世界の競争の中で、うちは生き残れない。

そうは思っても、もはや自分には何も関係がなかった。

「いっそのこと南米の方が気楽で良かったかもな」
山手は独りごちた。


青森の営業所は大きな工場が併設されているのだが、その場所は青森のへそのようなところにあり、冬は豪雪により陸の孤島となる。

工場には地元採用の社員とアルバイトしかいない、閉鎖的な営業所だ。

会社では「島流し」、そう呼ばれていた。しかも基本は片道切符。定年を迎える社員が行くような場所だった。前任も退職して、暫くは空位だったはず。

営業所長といっても名ばかり。実質工場がメインなので、営業所には山手一人。所長と言っても部下はいなかった。
勿論、販路の拡大などは誰からも期待されていない。というより、下手に営業それて、細かい仕事を増やされるのは迷惑ですらあるという状況だ。

従って、工場自体との関わりもほとんどない。
一月に2回発注状況・生産状況などの報告書が上がってくるくらいだった。
それも本社からの発注のため、営業所にはあまり関係のない報告だった。

そのため、工場で働く社員も営業所長に全く興味はない。そもそも誰が所長なのかもわかっていないということらしい。

引っ越し当日。東京から新幹線で新青森駅まで4時間。新青森駅から更に在来線に乗り換え40分、弘前駅に降り立った。

列車を降りてから、駅の寒さに心が萎んだ。

タクシーに乗って、会社からあてがわれた低層マンションに着くと管理人が待っていた。
車の轍とマンションの出入口以外には1メートルの雪の壁があった。革靴で来た自分を呪った。

雪国を舐めていた。

「お客さんは青森初めてかい?」
「は、はい」
「びっくりしてますわねぇ」
「は、はい…」
寒くてそれ以上何も喋れなかった。
案内された部屋に入っても底冷えがして、まるで外にいるかのようだった。

一通り家の装備を聞いて管理人が帰ると、部屋は静まり返った。どうやら雪もまた降り出したらしい。何て孤独感だ…山手は呆然とした。

これから俺はやっていけるのか?
悔しさとある種の恐怖感が頭をよぎった。

翌日、事務所に出勤してみたが、本当にやることがなかった。それが一番の地獄だった。

ふと所長用の机に新聞の切り抜きが透明なカバーの下に置いてあった。

わたの原
八十島かけて
漕ぎ出でぬと
人には告げよ
海人の釣り舟

なんだこりゃ、短歌…か。
山手はやることもないのでそれをネットの検索バーに入れ検索した。

朝廷の怒りを買い、島流しにされた参議篁がその哀しさを謳ったものだった。まさに自分への歌ではないか。

前任からの皮肉か。くそ、腹立たしい。山手はその紙を破り捨てた。

初日は日がなネットサーフィンをして、鞄に入れていた小説を読んで過ごした。

その翌日は工場を見学しにいった。意外にも工場長が挨拶に出て来てくれたが、案内はしてくれず、パンフレットを渡された。
そして、工場内は好きなように見てくれと言われた。

やはり歓迎はされていないようだ。
とんでもない所に飛ばされたものだ。山手は会社の手のひらを返したような冷淡ね対応をしみじみと感じていた。

しばらく経ったある日、営業所に一人の子供が訪ねてきた。
社会科見学で工場見学をさせて欲しいということだった。先生が共に来ないのを訝しんだが、近くの小学校は全校生徒10名の小さな学校で、六年生は彼1人だという。
山手はその場で了承し、工場に彼を連れて行った。

「あら、佐渡さんとこの坊っちゃんじゃないですか」
工場に入ると、一番近くにいた工員がその子供を見て声を上げる。そして、どこかへ走っていった。
しばらくして工場長が出てきた。
「いや、坊ちゃんどうしたんです?」
なんだこの坊主は。偉いさんの子供か?

「えーっと、所長は佐渡さんの坊ちゃんと知り合いで?」
「いや、そういうわけではないのですが」
「そうですか、珍しい」
「珍しいとは?」
「あ、いや、こちらのことで。では坊ちゃんはお預かりしますね」
「あ、ああ」
工場長が少年を連れて行こうとするが、少年が山手のズボンを掴んで離さない。

「こりゃ、どうしたのかな?」
「どうした少年?」
「所長さん?と一緒に見て回る!」
やれやれ、どうしたんだこの状況は。なんだか工場長は嫌がっているようだが。

「所長、迷惑ですよね?」
「いえ、私は暇なので」
あからさまに工場長は嫌な顔をしたが、山手は全く気にしなかった。

「坊ちゃん、本当に所長と回るので?」
「うん!」
目を輝かせる少年。
「では、お好きに。所長、お願いしますねくれぐれも」
「わかりました。よし、じゃ行こう少年」
「佐渡拓也だよ」
「おお、拓也くんな、じゃ行こう」
二人は工場内を歩き始めた。背後でやりとりを見ていた工場長はそれを見送ると頭をかきながら詰所に引き上げていった。

「君はどこの子なんだ?」
「え?、サワタリだよ」
「サワタリ…聞いたことあるような、ないような…
いや、そういうことじゃなくて、お父さんは何かやっている人なの?」
「うん。町議会議員」

「あぁそういうことか」
納得がいった。地方都市の議員というのは力がある。町に土着の人間からすると、あの扱いもわかるというものだ。
「でも、もうすぐ辞めさせられるみたい」
「そ、そうなんだ」
なんだ汚職か?あまりかかわらない方が得策だな。
「おじさんは、いつも何してるの?」 
「うん?困ったな…何にもしてないよ」
「え、そうなの?それでもいいの?」
「いや、どうなんだろう、おじさんにもわからないや」
「へー、いいね。そういうの。うちのお父さんもそのぐらい気楽になればいいのに」
「働くってのは普通は大変だから。俺はちょっと例外なんだ」
左遷されたんだからな。
山手は胸の中でつぶやいた。

「あの大きな機械は何?」
「ああ、あれは麦を茎から外す作業をするんだ」
「へー、あの中に入ったら大変そうだね」
「大怪我しちゃうよ。工場は気をつけないとな」
「そうなんだ…凄いね工場は」
それから一通り工場内を見て回った。途中工員も何人か出会したが、会釈するだけで特に関わって来るものはいなかった。

「今度は、皆んなで来るといい。先生にも言っておいてな」
「うん。もう少しで無くなっちゃうんだ学校…」
「廃校?」
「うん。お父さん頑張ってくれたんだけど、夏からは隣の街の小学校と合併になるみたい…」
「そうか…。じゃ尚更皆んなで遊びに来なさい」
「いいの?」
「勿論だよ」
「やった!約束ね」
「ああ」
工場長がなんか言うかもしれないが、別にいいだろう。どうにでもなれだ。

翌日担任の山垣という女性の先生から電話がかかってきた。
「申し訳ありません、佐渡くんが無理を申し上げたみたいで」
「いえ、問題ありませんよ。いつが良いですか?」
「来週の水曜日でも大丈夫でしょうか?」
「ええ、調整しておきます」
「それでは」

電話を切ったあと、工場長に話をしに行った。
「え、来週ですか?」
「すいません、成り行きで。私が案内しますので、作業に迷惑はかけませんので」
「は、はぁ。まぁ仕方ないか」
意外と応じてくれた。まぁ自分が案内するわけではないしな。
「ありがとうございます工場長。ところで。あの佐渡くんのお父さんというのは、どーいう?」
「今回街の合併の話が浮上していて、学校は先行して合併してしまうのですが、佐渡さんは最後まで合併に反対されていて、それで村八分のような形になってしまったんですわ」
「なるほど。もう辞めさせられるとか…」
「辞めさせられるというよりは、辞職されるようです。それで、家族で東京に行かれるようです。一旦あぁなると町での再起は難しいですからな。よくこの工場も面倒見てくれたので、とても残念です」
「そうですか…」
人口減の社会では仕方のないことだろう。あの子にしてみれば最後の思い出作りか、楽しんでもらおう。
山手はその日はひやが切り上げて、子供達のお土産を買ったり、スケッチブックと色鉛筆を買って帰った。

水曜日、全校生徒10名と山垣先生が予定通りやってきた。
山手は工場内を説明して周り、途中途中でお菓子を配って食べさせた。皆生徒は喜んでくれた。

そして、大きな脱穀機の前でスケッチブックを配りわ写生会を開いた。
子供達は真剣に工場内の絵を描いた。
佐渡くんも真剣だった。

「所長さんに、ありがとうございましたって言いましょう!」
先生の号令でみんなが山手に挨拶をした。
よくわからないが目頭が熱くなる山手。こんな気持ちになったことは就職してから一度もなかった。なんだか新鮮だ。

佐渡くんの目も潤んでいた。
一番年上だから気丈に振る舞っているのが健気だ。

子供達が帰り、夕方帰り支度をしていると佐渡くんがまた訪ねてきた。

「どうした?忘れ物?」
「いいえ、お別れを言いに来ました」
「うん?」
「実は僕は明日から東京に行くんです」
「そうか、じゃあ本当に最後だったんだな。良かったな。最後に思い出ができて」
「はい。ここは昔お父さんが昔連れてきて、それで工場見学させてもらったんです」
「そうだったのか…」

「息子が無理言ってすいませんでした」
気がつくとスーツを着た精悍な顔立ちの佐渡議員がいた。
「佐渡…って、お前だったのか…」
「息子が世話になった。20年ぶりだな」
「あぁ、大学卒業以来か。出身青森だったんだっけ」
「そうだ。俺は東京に行く。ここではうまくいかなかったが、もう一度頑張ってみる。今度は東京だ」
「そうか、頑張れよ!」

「あぁ、お前は…」
「左遷されたんだ、ちょっとスタンドプレーし過ぎたみたいだ」
「そうか…ここは最初は少しきついが、一旦輪に入れば暖かいところだ。まぁ俺が言っても説得力ないが」
そう言うと佐渡は笑った。
「おまえ、もう一度立ち上がれよ。事情は知らないが、お前の活躍は雑誌で見たことあるよ。諦めるな」
「あ、あぁ。よく知ってるんだな」
「あぁ俺はお前が、頑張ってるのを見て自分の励みにしてきたんだ」
「なんだ、そんなこと一度も言ってくれなかったじゃないか」
「恥ずかしいだろ。そんなこと」

「そうか…」
「またな。東京で」
「あぁ、いつかな」
二人は車で帰って行った。

山手は二人を見送ると、少しぼおっとして、工場の大きな建物を見た。夕焼けに照らされその屋根が赤く輝いていた。


「んだんだ。こんなこと聞いちゃ悪いかもしんないけども、栄転なんだべか?」
「うーん、多分。復活なのかな。来る時がいろいろあったので…」
山手は苦笑いした。

「いやー、みんなここらにはもったいねぇって言ってたよ、ほんといい人だし」
「そんなことないですよ。僕も本当にいろいろ学んで、みなさん本当に良くしていただいて、なんか嬉しいというか、暖かいなぁと感慨深くて」
「いやいや、そんなそんな。いつでも戻ってきてね」
「そうだよぉ、山手さん、第二の故郷だから」
行きつけになった小料理屋の店主とその奥さんが暖かい言葉をかけてくる。
「ありがとうございます」
山手は涙を堪え、目頭を手で揉んだ。
確かに暖かい人たちがたくさんいた。


「もう5年か、漸く戻って来てくれましたね」
「いやぁ、そう言って貰えると嬉しいよ」
「またあの時みたいにやっていきましょう部長」
「ありがとう。また一から頑張ります」
「やっぱり、お手柔らかに」
と部下の前野室長が祈るような手つきで言う。山手の後任で戦略室長になっていた。
「あれ、さっきと威勢が違うな」
「はははははははは」

人生とはわからないものだ。
青森での5年、特に何かをしたわけではない。広報活動には力を入れて、地域に会社と工場の存在をよく知ってもらうことに尽力した。しかし、上を目指してのことではなく、単に楽しかっただけだった。そして、本社では役員も常務以外が変わったらしい。

あの時の屈辱は忘れないが、結果的に5年で呼び戻された。あの商品もまだ販売が続いている。

次は経営企画部の部長として昇格して呼び戻された。
「今日はゲストが一人いるんですよ」
「え?だれ?」
その時居酒屋の扉が開いた。

「よお、やってるな。漸く肩を並べることができそうだな」
「佐渡!」
「今年からうちの会社の顧問として参加してもらうことになった佐渡参議院議員です」
部下の前野室長が紹介する。
「参議院議員とは、本当に出世したな。流石だ」
「おまえもな。新部長。この日を俺は待っていたんだ」
「ああ、宜しく頼む」
前野が佐渡にビールを注ぐ。
「では、乾杯!」
グラスが勢いよく音を立てた。

わたの原
八十島かけて
漕ぎ出でぬと
人には告げよ
海人の釣り舟

あの時は腹が立ったが、調べてみると、作者の参議篁は、その後また都に呼び出され、希代の文筆家として活躍したらしい。

あのメモは、見知らぬ前任からの、『まだ諦めるな』というメッセージだったのかもしれない。


わたの原
八十島かけて
漕ぎ出でぬと
人には告げよ
海人の釣り舟


続く。


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