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薬味の夏、ニッポンの夏

ネットでたびたび言及される「美味しんぼの呪い」をご存知だろうか。

言わずと知れた大ヒット作、しかも圧倒的な「正義」を掲げて連載されていた美味しんぼは、山岡や海原雄山の有無を言わせぬ口調であらゆる食べ物に切りかかった。アワビやウニを使った高級料理も、人には言えない秘密のZ級料理も、世界の珍味も日本のありふれた食材も、ラーメンもカレーもカツオブシもドイツ料理もビールも昆虫食ですらも。地球上の食べ物で美味しんぼに取り上げられてないジャンルを探す方が難しいんじゃないか?ってくらい多種多様な食べ物が、美味しんぼの掟にしたがって調理されたものだ。

それは多くの人を夢中にさせた。今思えば作者の個人の感想に過ぎない言いがかりに近いものだったが、その頭ごなしの物言いは多くの人に「美味しんぼが正しい」と思わせることに成功したと言えよう。例えば個人店のものが正しくて大手メーカーのものはダメ。コンビニやファストフードなどもってのほか。化学調味料は毒も同然。令和の今になってもその価値観からなかなか抜け出せないでいること、それが「美味しんぼの呪い」である。

スーパードライ

たとえばスーパードライだ。発売と同時に爆発的に売れ、他社が次々と似たようなドライビールを作り、世の中は空前のドライブームになった。あの頃はビール以外のドリンクや食べ物、いや食べ物ですらないものにも「ドライ」の文字が踊った記憶がある。美味しんぼはそこに噛み付いた。味がない、味が薄い、味が抜けている。さらに「金属のスプーンを舌に押し付けたような、酸っぱいような平坦な味」とすごい描写をしてみせたのだ。

さあ我々は呪われた。ドライなんか飲めるか! バドワイザー?米を使ってるからだめだ! ビール飲み放題?どうせドライなんだろ、と邪智暴虐の限りを尽くした。我々は山岡士郎が乗り移ったかのようにエビスだけが正しいビールと声をあげ、他のビールは偽物と決めつけた。その結果がこのざまだ。私がスーパードライの美味しさに気づくまで無駄にした数十年は、本当に本当にもったいなかったと思う。

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若い頃の呪いがいつまでも自分の思想や行動をしばってしまう。それは多くの人がいろんなジャンルで覚えがあるのではないだろうか。「一生もの」の服しか買わないとか、蛍光灯は絶対使わないとか、南向き以外の部屋を異常にバカにしてしまうとか。食のジャンルで言えば私には美味しんぼ以外にももうひとつ、大きな呪いがある。それは「薬味たっぷりの呪い」だ。

まずはこちらを見ていただきたい。

こぐれ

ひでこ

こちらはこぐれひでこさんの「ごちそう風・具だくさんのそうめん」である。あの夏の日、このそうめんと出会ってから私のそうめん概念はひっくり返った。

何しろそうめんを「リクエスト」されるのだ。そうめんだよ。たかがそうめんだよ。当時は若かったとはいえ、世の中にそうめんをリクエストする人がいるなんて考えたこともなかった。そうめんとは仕方なしに食べるものではないのか。夏休みの午後、「そうめん”で”いいよね」と否応なく出されるものではないのか。そして「え〜またそうめん」と不平を言いつつもお腹いっぱいになるまで食べるものではないのか。

それまで私が食べてきた「麺大量!どっさり!薬味はネギと生姜がありゃいい方!」という、仕方なしのそうめんとの違いは明らかだった。薬味か。薬味たっぷりのおかげなんだ。薬味が確かなごちそう感を出しているのだ。これや。今後そうめんはこれでいこう。いやそうめんだけじゃない、あらゆる料理に「薬味たっぷり」を強行していこう。だって見栄えがするし、美味しそう。それに何より「薬味たっぷりにこだわる私」ってのがなんだかカッコよさげじゃないか。

こうして私の薬味たっぷり人生が始まった。私は「薬味(こぐれひでこ)の呪い」と呼んでいたけど、今の人なら「薬味(ツレヅレハナコ)の魔法」と置き換えてもいいかもしれない。この魔法にかかったものは、せっせとネギを刻み、生姜をすりおろし、ワンタンの皮を揚げ、ニンニクチップを作り、大根をおろし、ミョウガと紫蘇とパクチーとキュウリとゴマとカイワレと柚子胡椒と辛子とアレもコレもを用意し、料理が見えなくなるまで盛り上げないと気が済まない。モリモリ薬味を写真に撮って「#薬味たっぷり」というハッシュタグとともにSNSにあげないと1日が終わらない。「お刺身なんて薬味を食べるための棒」などとうそぶかないと生きていけなくなるのである。

そんな私の、2019年のそうめんはこんな感じだ。もはやそうめんは脇役に過ぎない。主役は薬味だ。いや「薬味たっぷりにこだわる私」が主役だ。しかも全盛期に比べたらこれでも少なくなった方なのだ。あの頃は20種類くらい薬味を作るのなんてザラだった。テーブルは薬味の小皿で埋め尽くされていたものだ。

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ところが今はこう。この体たらく。

シンプル梅

【梅干しのしょっぱさと風味で食べるそうめん】

<材料>
・おいしいそうめん
・だし
・梅干し
・紫蘇の葉っぱ(小ネギの小口切りなどでも)

この日はたまたま料理する気力があったので、だしは真剣にとったやつである。つまり「真昆布を前日から水につけておき冷蔵庫へ(夏だから・冬ならそのまま)。翌朝火にかけ沸騰直前に昆布を取り出す。すかさず片手でつかめるだけつかんだ鰹節を入れ、すぐ火を止める。鰹節がすっかり沈んだらこして味つけする」というものだ。実際はIHなので「火にかける」はうそなのだが、そこは慣用句的に体で感じて欲しい。

味つけは塩と薄口醤油で、お吸い物にするにはかなり物足りない感じにしておく。これから梅干しという強キャラが加わるため、ぼんやり頼りない味わいで大丈夫だ、問題ない。すでに塩味がついている「ほんだし」のような顆粒状のだしの素の場合は、それ以上味つけはしなくていいかな?くらいの弱い味で十分。

めんつゆを使うのなら白だしを使うと色合いがきれいだが、どちらでも構わない。通常の希釈より薄めで頼む。

そうめんを袋の表示通りにゆで、よく水洗いして冷やす。器に盛ったら先程のだしを張り、上に梅干しと紫蘇を乗せる。梅干しを崩しながら食べる。

梅干しは自家製のしょっぱいやつを使うの前提なので、はちみつとか甘めの梅干しを使う場合はそれなりにつゆの味を濃いめにしとくこと。とはいえ食べてる最中にめんつゆ足すとかでも全然いいと思う。


どうして「薬味たっぷりにこだわる私」のブームが終わってしまったのか。自分でもよくわからないが、スーパードライの時と同じくなんだか急に呪いがとけてしまったのである。どこぞの王子様がキスでもしてきたんだろうか。ある日突然、パッと気持ちが終わってしまったのである。「薬味...なにそれ...盛らないと殺されるの...違うよね...じゃあいいや」とトーンダウンしてしまったのである。

家で手巻き寿司をするときも、昔は薬味だらけだったものだが、この1年くらいは「紫蘇があってもいいけどなくてもいいよね」くらいのスタンスだ。カツオのタタキなんてもはや生姜すらつけない。醤油だけだ。一皿の上にごちゃごちゃ乗るスパイスカレーにも食指が動かないし、たくさんの具材を合わせるチャプチェのような料理はどんよりする。

ははあ、さてはこれ「シンプルの呪い」かもしれんな。

「薬味たっぷりの呪い」同様、シンプルの呪いもいつかとける日がくるのかもしれない。今は冷やっこも「やっぱ豆腐そのものの味を楽しむために薬味はいらないよね」と静謐気取りで食べているが、またそのうち「野菜サラダかよ!」と言わんばかりに薬味をもりもり盛り上げる日がやってくるのかもしれない。

それならそれを楽しむだけだ。食べ方に正解なんてないんだから。

めちゃくちゃくだらないことに使いたいと思います。よろしくお願いします。