外出自粛下でランニングについて考える

ランナーが走るのは自分の頭の中にある速く走りたいという純粋な欲求に抗うことができないからだ。 新しい世界へ挑むことへの好奇心、冒険心、結果を残したいという功名心もちょっとはあるかもしれない。

無論、メタボ体質で何十年と運動とは程遠い生活を送っていたのだから、全力で走れる訳もなく、危険もついて回る。俺などしょっちゅう怪我をしてばかりだ。

無理をしてまで危険な行為をする必要などないのだが、チャレンジせずにはいられない。 やはりそれでも走り続けるのは、そこへ向かうことで抱えることになるあらゆるリスクと天秤にかけてでも、チャレンジする価値の方が上回るのだと経験的に分かっているからだ。

ランニングの喜びを知らない人にその部分を分かってくれとは言わないし、開き直って言えば、車両と歩行者しかいない世界で走ることは反社会的な行為なのかもしれない。

そう、レースが公認競技ということで行儀の良さを装っているが、やっていることは反社会的な行為なのだ。つまりそれは社会の外側に出て行こうとする行為。私達は危険なことを自覚して、自立的行為として確信的に走っている。

危険だしリスクもあるが、それでも走り続ける。その原動力は社会に対しての反骨精神だったり挑戦だったりする。それがランナーの性分なのだ。ランナーというより主にトレイルランナーかもしれないが(笑)

しかし、このような状況下で走り続け、結果を残せる人は、実社会でも同様にどんな状況に追い込まれてもチャレンジを恐れず、自分をコントロールしながら他者を信頼し協働し結果を残すことのできる人だと思う。

もちろん思い通りに行かないこともたくさんあるが、上手く行かなかった時のリカバリーの仕方や、どうしてもDNFを余儀なくされる場面において最小限のダメージに留めておくマインドのあり方も経験済みである。

取り敢えず、先の見通しが分からなくても走り続ける勇気が何よりも大切なのだ。 追い込まれても困難に立ち向かい挑戦する勇気と、その困難の中でも心と身体を常にコントロールしながら冷静に普段通りのパフォーマンスを発揮すること。

トレイルランナーは日頃からこのような訓練を積んでいるので生きる力が格段に高い、と思う、多分。

いつの時代も新しい世界を切り拓いて行くのはこういった種類の人間達なのだと思う。

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