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知覚機能NSとは「○○と××」である①

こんにちは、遊々自適です。今回は、自適のMBTIへの見解シリーズ第3弾。今までのツイートや画像をもとに、知覚機能NSについてどのように解釈しているのか2回に分けてまとめていきたいと思います。

①NSとは「帰納と演繹(ボトムアップとトップダウン)」である

知覚機能NSは、それぞれ「帰納(ボトムアップ)」「演繹(トップダウン)」の機能だと言えるでしょう。

帰納法とは、複数の具体例を一つの抽象的結論にまとめ上げることです。形而「下」から形而「上」への移動という意味でボトムアップとも言えます。
対照的に、演繹法はある抽象的結論からいくつもの具体例を生み出すこと。真逆の動きになるのでトップダウンとも言えます。

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上の図を左から順に見てもらうと、上段のN的思考では具体はボトムアップを経てインプットされ、抽象としてアウトプットされています。一方で下段のS的思考では、具体がそのまま通り抜けている一方、抽象はトップダウンのプロセスを経ていることがわかります

これがどういうことか、自適のエピソードから紹介していきます。

Niを説明する上で「例えば?」という質問は結構曲者です。具体例から導き出したはずの結論を演繹(S化)しようとするともやがかかったように思い出せません。これがいわゆるN的思考、つまりインプット&アウトプットを抽象として行う状態だといえます。具体的な事象は視界には入ってるけど、意識には届いていないのです。これを例えるなら、「ぐるっとあたりを見渡して緑のものを探して目を閉じてください。さて、赤かったものはなんでしたか?」と言われるようなもので、確かに視界には緑以外のものも入っていたはずですが、意識が向いていなかったために思い出せないのです。

この対立する性質は、どちらかが優れているという話ではなく、むしろ両者揃ってこそ正しく機能するものだと考えられます。

「○○な時は××した方がいい」という哲学を得られても、自分が今まさに「○○な時」にいることに気づけない。または、「××を具体的にどう実行したらいいかわからない」のが、まさに演繹ができていない状態。これではせっかくのインスタント食品がいざという時に食べられないのと同じ。この逆もまた然りで、どちらか片方だけではうまく機能してくれないのです。

②知覚機能NSとは「遠視と近視」である

「本質か表層か」と例えられやすいNSですが、より近いのは「遠視か近視か」ではないでしょうか。

この表現は、両者の間に優劣はないこと、努力ではそう変えられない「性質」として受け入れやすいことから使用しています。S的視界とは、まるで虫眼鏡でも通したように細部が拡大されて見えますが、その一方で遠くの方はぼやけたりゆがんだりして見えます。反対にN的視界とは、望遠鏡を通して見たように遠くがクリアに見えますが、一方で近くのものにはピントが合いません。

もし逆の性質の世界の中に居続ければ、合わない眼鏡をかけさせられ続けているかのようで、かなり消耗するはずです。一言で言ってしまえば「不適合を起こしてる」状態。朝から晩まで合わない眼鏡をかけて、利き手と逆の手を使っていたら、そりゃ疲れます。どちらが良い悪いではなく、「自分に合ったやり方」が存在するというだけなのです。

まとめ

ここまで知覚機能SNに関して、「帰納と演繹」/「遠視と近視」に例えて見てきました。判断機能のTFと比較しても様々な解釈のされる知覚機能ですが、みなさまにしっくりくるものはありましたでしょうか。

次回はNSのもう一つの例えと、Ni/Ne/Si/Se4種類の感じ方の違いをまとめていきたいと思います。最後まで見ていただきありがとうございました。












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