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「ご自身をたいせつにされていてくださいね」

福岡を拠点に目に見えない世界のお仕事をさせていただいてます
慈雨と申します。

慈雨とは、慈しみの雨。

ひつようなときにひつようなものをひつようなだけ。

プライベートセッションのようなものですね。
そのじかんを数時間ほどお過ごしいただいてます。

目に見えるものも目に見えないものも
この世は振動で出来ています。
その振動のようなものを、
『変えてる』
『変更させてる』
そう言ったほうがわかりやすいのかな。
否、『調整している』のかも。


ひとにはみえるものも感じるものがもそれぞれ違うものだとおもいます。

それを慈雨の視点でお伝えしたり、出来ることを出来る中でせてもらったり。

叶う叶わないは関係なく、
出来るだけ、
その人がスムースにその先へ
進めればいいな、と。

変化変容。

あとは、じぶんのチカラで進んでいってくださいね。
先へ、その手でお届けいたしてます。


さて。
『ご自身をたいせつにされてくださいね』はよく使わせてもらってる言葉です。

あなたがあなたを先ずたいせつにしてください。

出来ることをしていてください。
したいことしていいですよ。

で、どうしたい?
どう在りたい?
どう在ってます?
この先なにが見たいですか?
どういう景色を観たい?

因みに、慈雨はみんなが笑って心地よいものが循環しているところが観たい。
うつくしいところはもう観てます。感じてます。

それはずっと聞いている(話している)ような気がします。

だけれど、ずっとしてても、なかなか耳に入らない方も多いみたいです。
それよりも、やりたいことが皆さんそれぞれあるのでしょうね。

ずっとずっと言ってるのに、何度目かでやっと理解されるひともたくさんいらっしゃいます。

ずっと届けてるのに、入る時期はそれぞれ違うんだとおもいます。

繰り返し行われることはこの世界にはたくさんあります。これまでも、これからも。
だから、ご自身のタイミングでご自身が思うまますすまれてくださいね。

それがあなたのタイミングやきっかけ、リズムなのだとおもいます。


ところで、自身をたいせつにするって、具体的にどういうことなのでしょうね。

それもひとそれぞれだとおもいます。

ほんとうの気持ちをたいせつにする
じぶんの肉体をたいせつにする
じぶんのじかんをたいせつにする
こころや在り方をたいせつにする
じぶんがたいせつなもの、たいせつなひと、たいせつなじかん、たいせつな想いをたいせつにする

いろいろあるのだとおもいます。

ひとは勝手なもので
じぶんがじぶんをたいせつにしてないのに、他人からぞんざいに扱われると、ムカついたり、憤慨したりします。
逆に、相手に評価されたくないのに、相手を評価し出します。怖いですよね。

先ずじぶんがじぶんをたいせつにしてたらいいとおもいます。


どうしたいのでしょう?
どうしたらいいのでしょう?
どうしたらあなたは喜ぶのでしょう。

それもひとそれぞれ違うのだとおもいます。
あなたの答えを聞きたいです。


慈雨は、とことんなにもやりたくなかったので、『なにもやらない』をしました。笑
なにもしたくなかった。

生きてく最低限のことはしてましたが、あとはなにもしたくなかった。

そのあいだ、したいことだけしてました。
少しだけ、かもやけどね。

そしたら、なんとなくしたいことをしていき、
「それがしたかったんだ」というものに辿り着いていきました。


ほんとは(最初から)あったのに、いろんなもので見えなくなってたんですよね。
黒く塗りつぶしていたのかもしれません。
なにかの影にしていたのかもしれません。
見せたくなかったのかもしれません。

そうやって、
ひとはなにをしたらいいかわからなくなります。
好きなことすらわからなくなります。
恐れてることが起きてしまいます。


なのに、
ひとは、「変わりたい」と言いながら、変わるのを怖れる生きものだとも思います。

「ほんとうにやりたいことをしたらまわりをがっかりさせるかもしれない」とか
「わたしはわたしをしなくちゃいけないから」
が先行して、
気付かないように(わざと)忙しくしています。

(そのわたしって誰?幻想じゃないの?)

じぶんがじぶんじゃないのにですよ。
誰かと勘違いしています。

気付いたらヤバイのです。
ひとは、気付かないようにわざとせかせか動いて回って疲れている?
なにも気付かないようにしている?
思い込みを外さないようにしている?

ほんとは最初からあるのに、気付かない方法はいくらでもあります。
じぶんに見せなくすればいいのです。
見せない理由も何処からでも持ってこれるし、まぁ、見つけたらいけないんでしょうね。

もしくは、ほかの誰かに良い顔したいのでしょうか。
見栄を張っていたいのでしょうか。
なにかが崩れたらいけないのでしょうか。
隠してるのはなんでしょうか。


中には「ほんとうはこれをやりたかったのになー」をずっと抱えて生きていく方もいらっしゃいます。


慈雨は看護師として、ずっと死とか生とかそういうものとも多く向き合ってきました。

「これをしていたらよかった」と思いながら悔やみながら動けなくなる方、亡くなる方を多く見てきました。

後悔しながら終わっていき、後世に持ち越しをされるのでしょうか。。。

だけども、そのときはまた違った人生です。
立場も周りの光景も国も例えば宗教も思想も違うと思うんですよね。

記憶も、ほとんどのひとが覚えてないのでしょう。

それをまた1からなんてムリゲーです。

いまの状況で観たいものを一度観ても良いのではないでしょうか?


歩むのはじぶん自身です。

誰がどう言ったとは関係なく、最後に決めるのはじぶんじしんですし、
やってみて、また考えればいいとおもいます。


からだもねー。借り物。
慈雨はずっと無視してきました。
そんなのお構いなしに気合いと根性。笑
どうにかなるとおもってました。
や、なんにもおもわなかった。
勝手についてきてくれるとおもいこんでました。

なにもかも無視して「やらなきゃ」をずっと先行してきたら、身体はおもうように動かなくなって家に帰ったら何も出来ません。
そういう状況が長らく続いてました。

肉体は精神や心とも連動しています。

多分、それで1回もろもろ壊れたんだとおもいます。

壊れっぱなしにせず、ずっと時間をかけてゆっくりと、また内面や感性に重きをかける。
そういうじかんもまた取らせていただく場合もあります。


ほんとうにやりたかったことはなんだろう?
多分、『朗らかに生きる』それだけで良かったかもしれません。

やりたいときにやりたいことをする人生。
出来る時に出来ることをする人生。

まぁ、出来るときに出来ることを今後もしていきます。

やってみて、向いている向いてないはあるとおもいます。
それが今回すごくわかりました。


先ずはじぶんをたいせつにすることを優先しようとおもいます。

出来ることからしていこうとおもいます。


あなたが出来ることはなんですか?
していきたいことはなんですか?
見ているものはありますか?

いろいろこれまで見てきたとおもいます。
今後、どういう景色を見ていきたい?


もしよかったら、セッションに来られるときはそれを踏まえられてお越しください。
綺麗な言葉で綺麗にまとめなくても大丈夫です。わからなくても大丈夫です。


是非、おはなしに来られてください。

周りに合わなくても大丈夫。
あなたはあなた。
あなたであって
存在していてください。



ありがとうございます。とても嬉しいです。歓び、循環、還元に使わせていただきます!