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隠者という世界観

カタカムナもまだ道半ばだけれど、タロットの世界観も去年気になっていた。
ので見つめていこうとおもう。

先ずはずっと気になってる『隠者』について。

隠者「自分にとっての本当に価値あるものを見つけるには、人と距離を置き、ひとりで探求してみるべきだ」

リーディング・ザ・タロット


隠者は観たい景色を観る。
真実やほんとうに大切なものはなんなのか探す。
自分にとって大切なものがあればいい。
相手の中にあるのではなく、自分の中にある。
外側ではなく内側にある。
それを見つめていくのだ。

自分の中に大切なものがあって、それを大切にしていけばいい。
それが誰かの役に立てたらいいとおもう。
きっと、それを求めるひとが訪れて来るかもしれない。
だけど、それを理由にしたらおかしくなる。
あるから分け与えればいいとおもう。
お裾分け。
自分の中で発生しているものだから、受け取るものが受け取るんやとおもう。

周りに染まり過ぎてたら、自分にとってなにが大切か分からなくなる。
世間様に順応し過ぎて、自分というものを見失ってしまい頓挫するのループ。


わたしは、周りと違い過ぎてた。
だから、周りに寄せてた。
周りに合わせていた。
「こうしてたらいいだろう」みたいな、
なにかにそう当てはめていた。
だけど、それは違った。
いびつ。
わたしがしたいことではなかった。
こんなことをするために生まれてきたわけではない。
身体がおかしくなった。ストレス過多。笑
ぶっ倒れた。

それなのに、周りに当てはまらないじぶんを責めた。
周りを正解としていたのだ。

究極、わたしは周りとの相対性でしかじぶんを観ることが出来なくなった。
比べることしか出来ない。

そういう自分が嫌いだった。
誰にもなれないのに、誰かになろうとした。
気持ち悪かった。

じぶんは、じぶんが大切にしているものを大切にしたい。
あとは、基本どうでもいいのだ。

じぶんは、何処かで自分に価値がないとおもっている。
価値がないものは存在するべきではないとおもっているのかもしれない。
だけど、その価値は誰が決めるのだろう?
自分にとっての『価値』とはなんだろう?
それは環境によって左右されるものだろうか。
薬ひとつに取っても、人によっては価値があるかどうかは全然違う。
アートも。
水さえもだ。
知識もそう。
多分、観ている景色は違うとおもう。
それぞれがそれぞれを持っているんだとおもう。
それらが交わり合うんやとおもう。
分け与えや備え付けの循環が起きるのだとおもう。
素晴らしいは素晴らしいでいいとおもう。
誰かは集う。
集わなかったら集わなくてもいい。
じぶんがしているだけでいい。探求していればいい。
その環境を大切にしていればいいとおもう。

隠者は、ランプを持ち、『それは本当なのか?』と見る。
嘘ではないのか?
なにが大切なのか?

役割を演じてる場合ではない。それをしていてもいいが、それ以外、じぶんのなかの真実を探すこと。
それは許されているのではないだろうか。

それらが何かに繋がるんやとおもう。
繋がらなかったら繋がらなかったでいい。
目的にしないこと。
『結果、そうなった。だってやりたかったん』が理想。

勝手にしていることが勝手に実っていく。
その関係性で生まれていくんだ。


交わるときは交わる。
交わらなかったら交わらなくてもいい。
じぶんの真実を探していけばいいんだ。
それを振動数上げていき、爆発させていけばいいんだ。


隠者「自分にとっての本当に価値あるものを見つけるには、人と距離を置き、ひとりで探求してみるべきだ」

リーディング・ザ・タロット

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