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「魏志倭人伝」の国々 その1

今回は、俄かにタイムリーな話題と成って来た「邪馬台国」に関するお話をしようかと思います。

丁度次の記事のネタを何にしようかと迷っていた所に、折よく飛び込んで来たのが、佐賀県の吉野ヶ里遺跡という弥生時代の遺跡で、邪馬台国時代の石棺墓が見付かったというニュース。

↓吉野ヶ里遺跡周辺を整備した公園の Google Maps 情報

この記事を書き始めた時点では、石棺を覆っていた重い石の蓋を取り除いてみた所、内側が朱塗りされていたらしい痕跡(*)が出て来たとの事。

*報道では「赤の顔料」という表現が使われていました(参考:NHK NEWS WEB の記事 佐賀 吉野ヶ里遺跡で墓の内部調査 赤の顔料で塗られた跡か | NHK | 佐賀県

古代史マニアの間では、割りと常識と成っているのですが、当時、朱(丹)は貴重品で、身分の高い人のお墓の装飾などに使われていました。加えて石棺の発見された場所も、集落の一番小高い場所に当たるとのことで、首長クラスのお墓である可能性が高いようです。

「謎のエリア」と呼ばれていたこの場所の調査が手付かずだったのは、そこに神社が在ったからだそうで、その神社の移転を経緯に調査が始まったとの話。それでもって、その移転した神社の名前が、「日吉神社」。こう成ると、卑弥呼=日の巫女と考える人達がざわつくのも当然です。

今後数日間かけて棺の中身を調査するとのことなので、結果がどうであれ、今がワクワクを楽しむ絶好のタイミングでしょう(笑)

吉野ヶ里遺跡の発見は、まだバブル只中だった1986年から行われた調査によるもので、断面がV字型をした環濠(集落を取り囲む堀)内に、居所・官室・楼観(物見櫓)と思われる建物の柱跡や、城柵(防護柵)など、「魏志倭人伝」に描かれた卑弥呼の都そのものの遺物が出て来たことから、一気にブームに火がついたように記憶しています。

うろ覚えなのですが、自分も確か、池袋のサンシャイン60にある、古代オリエント博物館という所で行われた企画展に行って、直に甕棺墓(かめかんぼ)に納められた遺骨などを見た記憶が有ります。

但し、これらの遺物は、厳密に言うと邪馬台国の時代より少し前の時代の物であり、吉野ヶ里遺跡の周辺が、邪馬台国そのものである可能性は低いというようなことも言われていたように記憶しています。

ところが、今回発見されたのは、甕棺墓ではなく石棺墓で、邪馬台国時代のものである可能性があるそうです。

「魏志倭人伝」には、倭国は元々100余りの小国に分かれていたが、今は30程の国と使者の行き来が出来る、というような事が書かれています。

今迄は、どちらかと言えば、100余り在った国の一つだと考えられることの多かったように思う吉野ヶ里の集落ですが、邪馬台国の時代にまで首長が存在し続けていたと成れば、邪馬台国そのものであったかどうかはともかくとして、少なくとも30ヶ国の中の一つであった可能性は高まるのではないかと思われます。

この30余りの国は、「魏志倭人伝」に名前が列挙されているのですが、その中で一番可能性が高いのは、自分的には、"弥奴国(みなのくに)" ではないかと思います。それは、吉野ヶ里遺跡の在る辺りが、「肥前国風土記」に出てくる神崎郡三根郷(みねごう/後に神崎郡から別れて三根郡と成る)の在った辺りに相当し、今でも吉野ヶ里町の隣町である三養基郡上峰町などにその名が残っているからです。

↓上峰町の Google Maps 情報

次の記事では、「魏誌倭人伝」に出てくる30余りの国について、簡単に触れてみたいと思っています。

いやぁ~それにしても、一体何が出て来るんでしょうかねぇ? ワクワク(笑)

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