字遊児(じゆうじ)

自己開示の苦手な還暦男子ですが 文章を読んだり書いたりは好きで この度 note を始…

字遊児(じゆうじ)

自己開示の苦手な還暦男子ですが 文章を読んだり書いたりは好きで この度 note を始めてみる事にしました 広い心で見守っていただければ幸いです

最近の記事

魏志倭人伝の国々 振り返り

佐賀県の吉野ヶ里遺跡の未調査区域、通称「謎のエリア」内で、弥生時代の石棺墓が見付かったというニュースを契機に書き始めた一連の記事でしたが、気付けば、自分が思っていたより随分と長いものになってしまいました。 まだ note に適した表現の仕方が掴めてないと言うか、読み返して見ると、何とも纏まりの無い文章に成ってしまいました。 元より、まずはやってみてから、後で方向修正するつもりだったので、予期していた通りと言えばそれまでですが、長文の記事を分割して投稿する場合は、全体の構成

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      武蔵野の夏夕空

      • 「魏志倭人伝」の国々 まとめ その2

        前回は、なんとも怪しい臭いのする文献「諸系譜」と、そこに登場する、春秋時代の呉の王族の末裔であると言う川上梟師(かわかみのたける)という人物を紹介した所で終わりましたので、今回はその続きから始めたいと思っています。 補足3 呉の末裔(続き)「倭人伝」が伝える熊襲の気風? 川上梟師もしくは熊曾健(くまそたける)に関する物語は、「日本書紀」と「古事記」の双方に出て来くるのですが、その前段の物語など幾つかの違いが有ります。 「日本書紀」では、前日譚として、日本武尊(やまとたけ

        • 「魏志倭人伝」の国々 まとめ その1

          かなり間が開いてしまいましたが、私事ながら、還暦の身でこの暑さの中、週三,四日とバイトしておりまして、さすがに筆も止まっております。どうかご容赦願いたいのと同時に、この暑さの中、世の中が止まらないようにと頑張っておられる皆さま方には、まことにご苦労様と申し上げたい次第です。 今回まとめに入るに当たり、まずはこれまでの記事から漏れた幾つかのことを補足して置きたいと思います。 補足1 狗邪韓国始めに、「『魏志倭人伝』の国々 その2」の記事の中で書いた狗耶韓国のことについてです

        魏志倭人伝の国々 振り返り

          「魏志倭人伝」の国々 その4

          今回の記事では、前回予告したように、或る程度の纏めと言うか、自分なりの仮説みたいなものを書きたいと思っています。 本当に、そう思っています。 思ってはいるのですが……果たして(笑) そもそも前回の記事からして、投稿した後に次々と書き直してしまって、結局予定外の方向に書き進んでしまったというか、自分的には、久しぶりに、趣味で古代史の勉強を始めた頃のことを思い出しました。 その頃は、一冊新しい本を読んでは、コロコロ意見が変わってしまうというか、その本を読んでいる間は、その

          「魏志倭人伝」の国々 その4

          「魏志倭人伝」の国々 その3

          何だか、展開が早いといいますか、「吉野ヶ里遺跡の発掘作業に進展があって、石棺の大きさが、長辺180センチ、短辺36センチで、幅が一定だったとのこと。つまりは、成人した女性のお墓である可能性が高まったようです(参考:NHK NEWS WEB の記事 吉野ヶ里遺跡 ひつぎの幅が36センチ 女性埋葬の可能性|NHK 佐賀県のニュース)」……なんて書き出しで記事を書いていたら、早くも昨日には、棺の中に遺骨や副葬品は見つからなかったという報道が……(参考:NHK NEWS WEB の記

          「魏志倭人伝」の国々 その3

          「魏志倭人伝」の国々 その2

          前回、「魏志倭人伝」が書かれた当時に、魏の国の使者が行き来出来る倭人の国が、30余りあったというお話をしました。 その中で、大多数の研究者や愛好家達が、比定地は多分ここだろうと同意している国が幾つかあります。 對馬(つま)國 → 対馬(つしま)に比定 一支(いき)國 → 壱岐島(いきのしま)に比定 末盧(まつろ)國 → 肥前国松浦(まつうら)郡の辺りに比定 伊都(いと)國 → 伊覩縣(いとのあがた)=後の筑前国怡土(いと)郡の辺りに比定 奴(な)國 → 儺縣(なの

          「魏志倭人伝」の国々 その2

          「魏志倭人伝」の国々 その1

          今回は、俄かにタイムリーな話題と成って来た「邪馬台国」に関するお話をしようかと思います。 丁度次の記事のネタを何にしようかと迷っていた所に、折よく飛び込んで来たのが、佐賀県の吉野ヶ里遺跡という弥生時代の遺跡で、邪馬台国時代の石棺墓が見付かったというニュース。 ↓吉野ヶ里遺跡周辺を整備した公園の Google Maps 情報 この記事を書き始めた時点では、石棺を覆っていた重い石の蓋を取り除いてみた所、内側が朱塗りされていたらしい痕跡(*)が出て来たとの事。 *報道では「

          「魏志倭人伝」の国々 その1

          三井楽と宮古

          少しばかり私生活でバタバタしていまして、落ち着いて記事を書く気になれなかったのですが、前回の記事を振り返り、少し付け足したいことも出て来ましたので、今日はそちらにお付き合い下さい。 さて、死者に会える "みみらくの島" という、謎めいた存在を題材にした和歌を取り上げてみた前回の記事ですが、その比定地である、長崎県五島列島の福江島に在るという三井楽(みいらく)の崎、ここを色々とネットで調べているうちに、幾つか気になることが在りました。 一つ目は、三井楽半島の西の沖に浮かぶ、

          不思議な和歌(後編)

          前回は、この "不思議な和歌" と出会うまでの経緯をお話したのですが、今回は、いよいよこの和歌の内容について、掘り下げてみようかと思います。 「海上の道」によると、この和歌には、源俊頼の書いた次のような詞書(ことばがき)が添えられているようです。 尼上(あまうえ)というのは、恐らくは俊頼の父が亡くなった後に出家した、俊頼の母上のことを指すのではないかと思われますが、不勉強のため、その点定かではありません。 ですが、誰か俊頼の身近に居た女性が亡くなって、その人を偲んで詠ん

          不思議な和歌(後編)

          不思議な和歌(前編)

          百人一首ってご存知ですか? なんて質問を日本人にしたら、多分、馬鹿にしてるの? とか返されるのがオチですよね? 自分達が普通、百人一首と言われて頭に思い浮かべるのは、正式には小倉百人一首と呼ばれるもので、藤原定家という人が、京都の嵯峨野にあった小倉(おぐら)山荘という所で選んだ百首の和歌ということに成っているようです。一人につき一首だけを選んでいるので、百人の歌人の作品が集められていることに成ります。 ですが、そういう細かな由来までは知らずとも、子供の頃から何となく小倉百

          不思議な和歌(前編)

          補足:むかつく半島

          山口県にある向津具半島を題材に、初めての記事を書いてみたのですが、投稿した後も、何度も間違いを直したりと、雑学程度の内容とは言え、改めて自分から情報を発信することの大変さみたいなものを感じております😅 性格的にも、小心者のくせに大雑把な所があったりもするので、気楽にやろうと思いつつも、失礼に成らなきゃいいけど……などとも思う日々です。 さて、note に Google マップの情報を埋め込む方法を学習しましたので、幾つか役立ちそうなリンクを、こちらに貼っておくことにします

          補足:むかつく半島

          むかつく半島

          もう随分前のことですが、テレビのクイズ番組を見ていて驚いたことがあります。 確か、3択か4択の選択肢の中から、実在する地名を選んで答えるという問題だったかと思うのですか、どれも実在しそうにない変な名前ばかりでした。 残念ながら、他の選択肢が何だったか今では覚えていないのですが、そのクイズの正解が、“むかつく半島”だったんです。 漢字だと向津具半島と書くようで、山口県にある実在の地名ということでした。 いかにもクイズ番組らしい問題だったのですが、この時の自分は、この人を

          初めまして

          自分は人前で行う自己紹介の類が死ぬほど苦手なのですが(大概の場合心臓バクバクで声も裏返ります)、note を始めようという人がそうも言ってられないので、簡潔に済まさせて頂きますと、還暦を迎えてまだ日の浅い無職男性です(2023・4現在)。 理科系人間で、仕事もⅠT関係だったのですが、小学生の頃から本屋や図書館が大好きで、SFとか推理小説ばかり読み耽って居ました。 社会人に成ってからは、それこそ膨大な量の専門書とかも呼んだりしたのですが、その反動なのか、日本の歴史に関する本