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週末旅をお勧め(25回目):東京発の日帰りで奈良の山の辺の道と長谷寺を

25回目の投稿は奈良の日帰り旅です。出かけようと思い立った理由は
①CMの『奈良、長谷寺、ハレ詣で。』に見入ってしまった
②カメラの新しいレンズを入手してためし撮りしたかった
③新しいレンズ購入時の下取りが思ったより良くお金の余裕ができた
という事です

【1】今回の旅の目的

奈良の山の辺の道を歩くのと長谷寺に行くのが目的です。

【2】奈良への旅の計画(移動・宿)

今回の旅では急に思い立ったので何も予約していません。日帰りなので宿も予約しないで出かけました。ただ、新幹線は指定席で行きたいので自宅から新横浜までの間にスマートExで予約し、行きの京都までの新幹線の中で帰りの指定席も予約しました。帰りは少し後の時間にして京都に戻った時間で調整です。

【3】おおよそのルート

1日目:自宅→新横浜(06:11)→のぞみ99→(08:02)京都(08:22)→近鉄→天理
      →山の辺の道→長谷寺→長谷寺駅→京都→新横浜→自宅

【4】奈良旅行の写真レポート

(1)1日目の行程
朝早く自宅を出て最寄り駅まで歩き横浜線で新横浜まで行き新幹線ホームに出るとまだ8分ほど余裕があった。前は券売機でチケットを受け取りなどが必要でしたが今はチケットレスで乗り換え改札でモバイルスイカをタッチすればよいので簡単

しかし、この時間で山手線なみに「のぞみ」が来るってすごいですね。乗ったのはこの「のぞみ99号」

乗り込んでからは朝食用に購入したおにぎりを食べひと眠りするともう京都。京都着は8時2分で改札を出るとすぐ前は近鉄の改札で最初の目的地の天理行きは22分発でかなり余裕がある

始発から終点までなので安心してうつらうつらしていると約1時間で天理駅に到着。駅から出て駅前で補給食を購入の時に周りを歩く。天理駅はJRと近鉄の駅があり、国鉄で活躍していたSLのD51が静態保存されていた

天理駅から山の辺の道の入り口までは普通の町中を歩いていく。天理と言えば天理教の本部で山の辺の道の入り口はこの少し先になる

山の辺の道の入り口はこの民家の少し先の左側になります。ここだけは道が少しわかりずらかったです

山の辺の道はこの石上神宮の一対の灯篭の所からスタートです。なお、石上神宮は「いそのかみじんぐう」で平安時代からの神社の二十二社の一つです

石上神宮の鳥居は大きな木製の鳥居で額には「布都御魂大神」と書かれていました

石上神宮の境内にはニワトリが放し飼いに。このニワトリは神の使いとして約30羽が放し飼いにされているそうです

石上神宮の楼門は鎌倉時代の後期に造営され国の重要文化財に指定されています

石上神宮の拝殿は日本最古の拝殿で木材などは平安時代の木材で国宝に指定されています

石上神宮から山の辺の道を歩いて次の場所に行きますが、木々の茂った道を歩きます

石上神宮外苑公園横の池のほとり。向かいのこんもりした森は古墳でしょうか?

山の辺の道には迷いそうな場所にこのような道しるべがあります

ここにも道しるべが。スタート地点の石上神宮からはまだ600mしか歩いていない。全部で13kmなので先はまだまだあります

永久寺の池です。永久年間に建立された寺ですが、明治の廃仏毀釈で廃寺となり池だけが残されています

この案内板の奥に永久寺があったそうで、ここを囲むように池がある

町中の道ではないところでは無理に舗装しない自然のままの道です

道の横に八重桜が咲いていました。横には石碑があり次の様に書かれていました。「月待って 嶺こへけりと聞まゝに あはれよふかき はつかりの聲」

地図では白山神社とありますが、山の辺の道はその近くを通っています

白山神社は「しらやまじんじゃ」と読みます。こじんまりとしています

境内には本殿の他に建物がありました。しめ縄があり何か収納している建物のようです

道を歩いていると向こうに盛り上がった所がありました。調べてみると東乗鞍古墳は全長75mの前方後円墳なので違うようですね

夜都伎神社(やつぎじんじゃ)の鳥居です。山の辺の道は右に曲がりますが鳥居は左でお参りしてから進むことにします

春日大社の四神を祀っている神社で拝殿は茅葺で珍しいです

神社の横には池があり、その横を回り込んで歩いていきます

山の辺の道では民家の横を歩く場所もあり、その雰囲気もいい感じです

道標がありました。手前にカーブミラーのポールが立っていて文字が全部見えませんが、竹ノ内環濠村落まであと0.3kmと書かれています

この一帯が環豪村落らしいですが豪が見当たりません

環豪村落を探して少し中に入ったのですが見つからずに歩いて山の辺の道に復帰した所です。帰ってからGPSログで確認すると、左に入った所が一本間違っていました


地図では池があるようですが見た所では向こうに見える丘の様になっているところの中が池の様です

民家の塀が面白いです。下は石垣ですが上の方は瓦をつかった土塀になっています。奈良の唐招提寺などでもよく見られる作り方です

波多子塚古墳は古墳時代前期の前方後円墳で写真に見えている部分は後円の部分のようです。長さは140mで見えている円は14mとの事です。前方の部分は畑などにかなり変わっています

萱生環濠集落は近くにある古墳の濠を利用して外敵から集落を守るためにこの様に作られた集落で、戦国時代に作られたようです

西山塚古墳は萱生集落の濠として利用されている古墳の写真で全長114mの前方後円墳で古墳時代後期の物との事です。発掘調査はされていないので、詳細はわかっていない古墳ですが、一部に果樹が植えられていてその時に勾玉が発見されたという記録があるそうです

道なりに行くと違った方に行ってしまう所にちゃんと道標がありました。帰ってきてGPSのログを見ても確かにいいポイントに設置してあるなぁと感心しました

写真で見ても左右のどちらに行くのかが迷いそうな場所で、道標がちゃんとありました

ここも池というか濠の近くに集落が固まっていました

燈籠山古墳は古墳時代前期の前方後円墳で発掘調査などが全く行われていないので詳細は不明です。全長は110mあり、後円部の近くでは多くの石があり鑑定で徳島県などで算出する石だそうです

中山大塚古墳は公園の所に案内板がありました。古墳時代初期の前方後円墳との事ですが、盛り上がりなどは良くわかりませんでした


畑の中を行く道の横には綺麗な菜の花が咲いていました。これだけ集中しているので畑の肥料にするのではないかと思います

山の辺の道はその名前の通り山裾をなぞるように続いています

長岳寺は山の辺の道から少し山の方に入った所にあるので、左折して行くと道の右側の斜面にほら穴の様なのがありましたが、古いものか防空壕か自然なのか良くわかりませんでした

長岳寺は9世紀に淳和天皇の勅願で弘法大師が開いたと伝えられる古刹です。この写真は入ってすぐの所の庫裏の写真です

庫裏の中にお邪魔することができます。庫裏の縁側からの日本庭園がとても綺麗です

楼門の幅は狭いですが屋根がとても立派な建物で創建当時(9世紀)のもので、上には鐘がある鐘楼門として国の重要文化財に指定されています

長岳寺の本堂です。周囲の風景とマッチしたとても素敵な本堂でした

崇神天皇陵は全長242mもある大きな前方後円墳で、その周りには大きな濠があります。この場所は後円の角の所から撮影しています

大きな前方後円墳の前方につながっている部分で「マムシに注意」の看板よりは「陵墓地につき許可無く立ち入らないこと 宮内庁」の看板の方が抑止力がありそうです

崇神天皇陵の後円部分を回り込んだところにあった案内板です。ここには行燈山古墳と書かれていて古墳時代前期の前方後円墳で全長242mと書かれています。あれ?と思ったのですが宮内庁より「崇神天皇陵」として管理されているとの事で、古墳の名前と天皇陵という二つの名前があるという事がわかりました

この場所も間違えやすい感じです。ちゃんと道標があり間違えないようになっていました

博物館とかではない普通のお宅ですが、古い農機具が置かれていました。山の辺の道を歩く人に雰囲気のある風景をという事で置いて頂いているような気がします

菜の花畑の手前で道がカーブしていてその前に案内板が立っていました。奥の木が生えた盛り上がりは渋谷向山古墳で、古墳時代前期の物と書かれていました

古墳に向かって道が続いています

渋谷向山古墳は宮内庁により「景行天皇山辺道上陵」として管理されています。同じ古墳に二つの名前がついているのですね。景行天皇は代12代天皇で日本武尊(やまとたける)の父親と伝えられています

周りの濠は幅が狭く水が枯れている所もありました

この場所は交差点で右折しなければならないところでちゃんと道標で案内されていました

奈良盆地は生駒山地や矢田丘陵と景行天皇陵と三輪の山々などの緑の垣根に囲まれたようになっていて、大和青垣国定公園となっているそうで、このあたりの風景でよくわかるようです

少し移動してから盆地状の地形を撮影しました

大神神社との関係が良くわからないのですが、神社としては檜原神社となっていました。この神社も後ろの三輪山がご神体なので拝殿や本殿はなく三本鳥居の先の三輪山を拝むという事になります

境内はとても広い神社でした

鳥居がありました。よく見る神社の鳥居ではなく二本の柱にしめ縄を渡しただけのものです。本来はこちらから入ってお参りするのでしょうが、山の辺の道を天理側から歩いてくると別の所から入り、出口がこっちになってしまいました

檜原神社からの道は急に狭い林の中の道になりました

玄賓庵(げんびあん)はここにある不動明王は重要文化財に指定されているとの事ですが、拝観するには事前の予約が必要でした

境内を拝見しましたが、予約していなかったので不動明王を見られなかったのが残念です

八大龍王弁財天大神はこの池の所にあるはずですが木々の間から少しそれらしいのが見えていますが、入り口がわからなかったので、この写真を撮影しただけで通過してしまいました

石段の道は貴船神社の参道で、細い道の先には鳥居があり小さな祠がありました

お寺でもなんでもない場所でしたが大きな鯱が2つ置かれていました

山の辺の道から鳥居があり、鳥居の横には狭井神社と書かれた石柱がありました

狭井神社の鳥居をくぐった先には鎮女池という池があり、そこにかかる橋の向こうにあった市杵島姫神社です。日本の神道の始まりと言われる宗像の神様を祀っています

狭井神社の鳥居はもう一つあり、奈良のこの地域でよく見かける柱が両側に二本あり、その間にしめ縄が渡されているものでした

狭井神社(正式には狭井坐大神荒魂神社)でこの受付所の左側から三輪山に登山してお参りする登拝のスタート地点です

神社が集まっているエリアにあった道標です。左は檜原神社に狭井神社、右は大神神社です。左の天理方向から来ましたので右の桜井方向に進みます

大神神社の拝殿です。普通の神社だと本殿が後ろにありますがご神体が三輪山なので後ろには三ッ鳥居があるだけで、後ろの三輪山を拝むことになります。その三ッ鳥居が本殿に変わるものになります

少し角度を変えて拝殿を正面から撮影した写真です

この大神神社の境内に一番近い鳥居は左右の二本の柱にしめ縄が渡されたものでした

大神神社の二の鳥居です。山の辺の道を歩いて来るといきなり境内に近いところにでてしまったので、本来の参拝の鳥居に一度戻って撮影しました

山の辺の道は神社を繋いで歩く道の様ですが、ここには三輪山平等寺がありました

お寺の入り口の山門で、古くから残っている唯一のものです

とても大きな建物が見えてきました。本堂(座禅堂)でした

いちばん奥の方にある建物で2004年に800年ぶりに再建された新しい建物は二重塔(釈迦堂)です

金谷の石仏は金谷という集落のはずれにあり2枚の石板に掘られた石仏で平安時代のものと言われています

収められている石仏で石板が2枚見えます。掘られているのは弥勒菩薩です

ここで『山の辺の道』は終わりにして、もう一つの目的の長谷寺に向かいました。長谷寺に着いて拝観料を収め階段を登る右側にあったのがこの普門院で不動堂という説明がありました

さらに進むと山門(仁王門)が見えてきます。門の両側に仁王像があるので仁王門と呼ばれ明治時代に再建されたものです

仁王門をくぐると屋根のある階段が続いていて、長谷寺は下・中・上の三つの廊下があり、ここは下登廊で天井には丸い灯籠が吊るされています

下廊下を登ってきて中廊下に曲がるポイントで中廊下を下から撮影してみました

中廊下と上廊下の間で横に行くような階段がありましたが、廊下を行くのが参拝の道筋のようなので写真だけ撮影しました

下・中と登って来た廊下もこの上廊下が最後です。この廊下の先には鐘楼があり本堂につながっています

仁王門から登廊を幟本堂の手前には鐘楼があり、鐘はどこかと探したら頭上にありました

本堂の横に赤い幟りがたくさんあった大黒堂で、お堂の前には一対の打ち出の小槌がありました

長谷寺の本堂は断崖絶壁にあり舞台がしつらえていて、有名な清水の舞台と同じ造りです

断崖絶壁に作られた本堂は国宝に指定されています。TVのCMで「奈良、長谷寺ハレ詣で」というCMが流れていて、そのCMがこの写真のようなアングルの映像で、それを見て来たくなり日帰りで山の辺の道も歩けるという事で計画した旅でした

本堂は舞台造りになっていて、その舞台から五重の塔が見えました

本堂から五重の塔に行く途中の道で雰囲気がよかったです

本堂から本坊に向かう時に途中にある五重塔に寄っていくことにし、遠くに塔が見えてきました

長谷寺の五重塔は昭和の戦後に建てられたもので赤い色と青空とのバランスがとても綺麗でした

4月なので境内には桜が綺麗に咲いていました

本坊と大講堂のある場所の手前にある朱雀門で江戸時代の建築で国指定の重要文化財です

大講堂は明治の終わり頃に火災で消失し大正時代に再建されたものです。再建された建物も国指定の重要文化財に指定されています

大講堂の入り口から暗い廊下の向こうに庭が見えていました。ちょうど額縁に縁どられた絵画の様でした

本坊と本堂は谷を挟んで向かい合っています。本堂は国宝に指定され舞台のような所が有名です。全体の雰囲気がわかるように広角で撮影しました

本坊は谷を挟んで本堂と反対にあり、国宝の本堂を遠くから見られる場所で、少し距離があるのでズームして撮影しました

長谷寺の本坊・大講堂の所にある中雀門を内側から撮影したものです。この門は江戸後期の物で国指定の重要文化財です

長谷寺から長谷寺駅までの参道の両側は普通のお店が並んでいます。左の電信柱の所に「梅もち」という看板が見えますので、これがお土産なのかも知れません

通りにはお店の他に普通の家と思われる建物があり、この写真の2軒は古そうな感じです。手前の家の二階の手すりなどは木製でいい感じです

道の両側はお店が並んでいますが旧家のような門があり食事処と書かれていました。入ろうかと考えたのですが食事時間でもないし帰りの新幹線もあるので入り口から素敵なお庭が見えていたので少し撮影させていただきました

通りに合ったこの家も古い感じです。一階の入り口の格子もいい感じですし、何と言っても2階の窓の格子の白い枠のはまった所が素敵です。二階は蔵になっているのかも知れません

「山の辺の道」+「長谷寺」の最後は近鉄の長谷寺駅から電車に乗って帰ります

長谷寺駅から大和八木で乗り換え京都まではすぐ帰りの新幹線に乗る京都駅に着きました。駅の所からは京都タワーが見えます

京都駅の中も見ごたえがある建物です

ここの階段も色々な表示があり見ていて飽きないです

京都に着いたときに早い新幹線の指定席があいていたので変更しました。出発前なら無料で変更が可能なので便利です。京都で食事をしてから最初に予約した列車に乗っても良かったのですが、早く帰れるとお弁当を買って車内で食べました

自宅に戻って今回の旅のGPSのログを地図に落としたものはこれです。赤は山の辺の道です。地図の右の出っ張ている青の部分は長谷寺です。

【5】まとめ
・朝早い新幹線に乗ると京都には8時には着き充分日帰りが可能
・山の辺の道は13kmでウォーキングにちょうど良い距離だった
・スマートExは直前で予約出来タッチで乗車できるので便利
 さらに、予約列車の出発前なら何度でも無料で変更でき便利
・山の辺の道は古墳の宝庫で歩いていて楽しかった

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