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僕たちは、可哀そうじゃない!~孫息子の「卒業式」と、ばあばの「気付き」

孫息子の卒業式が執り行われた。

どうなるのかな~と思っていた孫息子(中学)の「卒業式」は「各家庭1名の参加」という事で、無事に行われた。
「余計な事」は割愛し、例えば、来賓は参列しない、祝電は読まない等々…そのお陰で、本当に中学の3年間を共に過ごした人たちだけで、卒業を祝った感じが「良かった」と娘(孫息子の母)が言っていた。

簡素化したとはいっても「下級生」が「卒業生」を校庭で見送る「花道」は、寒い雨が降る中、みんな傘をさしながら、行われた。

当然「ばあばの私」は参列できなかったわけで、娘(孫息子の母)がLINEに送ってくれた「動画」や「写真」を見ただけだった。それでも「卒業式」が出来たことが嬉しかった。

毎日の生活と仕事で、心身ともに疲弊している娘が、仕事を一所懸命、調整し、母親として「絶対、卒業式には出席する」と、豪語していた。
娘は、一人で孫息子を産んで、今日まで育ててきた。その息子の「義務教育」が、終わったのだ。

ここまで無事に成長したことが「奇跡」の様にも思える。

まさか、感動すると思わなかった。

娘が、「答辞」を読んだ「卒業生代表の生徒」の動画を撮っておけば良かったと言った。

「なんで?」と尋ねると、「その内容が本当に素晴らしくて、こんなに感動すると思わなかった。」と言った。

「どんな内容だったの?」と聞くと、娘が要約して話してくれた。

「原文」とは、違うと思うけれど、こんな内容だった。

中学になったら、どんな学校生活が始まるのだろうと「大きな希望」を持って、3年前の4月この学校に入学した。

ところが、中学校が「どんな場所」か、よくわからないまま、9月頃から、通常通りでない学校生活になってしまった。そして「学校閉鎖」となり、再開されたと思ったら、中学1年の3学期が突然、終わってしまった。

2年生になっても、学校は、なかなか始まらなった。
「クラス替え」で、どんな人と同じクラスになったのかも、よく分からないまま、自宅でのリモート授業になった。

「学校行事」が減らされ、楽しみにしていた「3年生」で行われる「職業体験」が無くなった。恒例の職業体験の「発表」のために用意されていた時間に、やることが無くなってしまった。

だけど、僕たちは「可哀そうだ」と、思われたくない。

何故なら、「職業体験発表」の時間を、代りに何をやったらいいのか、みんなで考え、意見を出し合い「通常ではない事」が出来た。

そして、自宅でリモート授業をする中、一番感じたことは、学校に給食があって、「食事が用意されている事の有難さ」だった。
食事が用意されているって、本当にありがたい。
こんなこと、今まで感じたことは、無かった。でも、それが分かった。
(※区立中学校には給食がある)

さらに「修学旅行」にも行くことが出来た。
僕たちが「修学旅行」に行かれるために、色々と頑張ってくれた先生たちには、心から感謝している。
きっとこの事も、通常通りだったら、こんなに感謝することは、なかったかもしれない。
だから、僕たちを「可哀そうだ」と思って欲しくない。

コロナ禍で通常通りでは無かった中学時代を過ごした僕たちは、いつもだったら、分からない事に「気が付く」ことが出来た。
そんな僕たちは、ちっとも可哀そうじゃない。

娘の話を聞いて、私まで感動してしまった。

「職業体験」とは、地域の協力を得て、実際にその場所に行って「仕事を経験」させてもらう事で、孫息子も、ずっと楽しみにしていた「行事」の一つだった。

中学生になって、私がびっくりする程、孫息子の食べる量が増えた。「学校給食」に、成長期の孫息子は、どれだけ支えられてきたか、でもそれは、他の子ども達も、同じだったんだ。

孫息子は、「可哀そうじゃない」と気付いた

代表を務めた生徒と、孫息子は「同じ小学校」だった。
「ひと学年1クラス」の学校だった。だから小学校の時から、良く知っている子だ。

こんなに「立派な言葉」を言えるように「成長」したんだ。
この言葉を聞いた他の卒業生たちも、きっと、この3年間を振り返り、その通りだと思ったに違いない。

孫息子は、中学生になって「20cm」背が伸びた。
身体だけでなく「心」も成長したんだ。

「母子家庭」で育った孫息子は、私からすると「可哀そう」でならなった。小学校の頃「学童」が終ると、誰もいない家に帰ってきていた。暗くなっても母親が、なかなか帰宅しないと「ママがまだ帰ってこない」と私の携帯に電話をしてくる事もあった。私は、何もしてあげられなかった。寂しくても、「寂し」という言葉を「言うこと」すらできなかった。

仕方がないと思っても「母親である娘」には「憤り」しか、私は持てなかった。

だけど、この3年間、いつも通りでは無い「中学時代」を過ごした中で、成長した孫息子を「可哀そう」と思うのは「違うんだ」と気が付いた。卒業式には、参列できなかったけれど、娘から聞いた「卒業生代表の生徒の言葉」に「ばあばの私」は大きな「気付き」があった。

これから大人に成っていく彼にとって「中学校の思い出」は、この先、きっと「自尊心」を支えてくれるだろうと「ばあばの私」は思った。

学校の「お友達」やお世話になった「先生方」には、心から感謝申し上げます。卒業おめでとう!




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