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Instagramをやめたら色々と調子がよくなった話

ついこの間、楽しみにしていたデートに行った。どれくらい楽しみだったかというと、事前に当日着るためのワンピースを買ったり、長いこと切らしていたお気に入りの香水を調達したり、化粧水すらサボりがちな私が朝晩かかさずルルルンの顔パックをしていたくらいだ。

恋というのはすばらしいと思う。「あの人に一番可愛い私を見てもらいたい!」という一心で、いつもだったら重い腰もひょいと上げられてしまう。なんならデート本番よりも、デートを心待ちにしている時間の方が楽しい。私の中で、デートは始まった時点で、ほぼ終わりに近いのかもしれない。

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そんな訳で当日を迎えたのだが、結論から言うとあまり楽しくなかった。いや、あまりどころか結構楽しくなかった。詳しいことは割愛するが、とにかくその夜帰宅した私は(これまで何に向かってがんばっていたんだろう?)(これから何を楽しみに生きていけばいいんだろう??)という途方もない喪失感に苛まれていたのだった。

まぁ何もする気が起きないので、とりあえず布団にくるまりながら脳死でYouTubeを眺めていたのだが、不覚にもある動画がツボにハマり、涙が出るほど笑っていた。(ちなみにそれは「踊れないカレーパンマン」というタイトルの動画なので暇な人は見てみてください)

そのときふと思った。
(あれ…、今デートしてたときより全然楽しいな…??)

あれほど楽しみにしていたデートよりも、今動画を見て一人でだらしない寝巻き姿でゲラゲラと笑っている方がよほど楽しい。もちろん、それとこれとで比較できるものでもないが、単純な楽しさという尺度ではかるとしたら、圧倒的に今の方が高い。

そのとき、人の目を気にせず腹がよじれるまで笑ったのなんて、久々なことに気づいた。簡素なワンルームのシングルベッドの中で、わたしはどこまでも広がる自由を感じたのだった。

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そして思った。幸せって、本当はこんなに単純なものなんだなと。私はいつも他人からの見られ方を気にしすぎていたのかもしれない。本当は自分が楽しいと思えさえすればそれで良いのに、「他人から見て楽しそうな自分」を演じて、自分で勝手に疲弊していたのかもしれない。

なぜそんなことをしていたのだろうと考えると、原因は一瞬で思い浮かんだ。Instagramだ。私は超が付くほどの自意識過剰である。一度ストーリーをあげれば誰が既読をつけたか必ず確認するし、そのとき少しでも好意を抱いている人がいるときなんて、数時間おきにその人が既読したかを確認してしまうほどだ。そして「このストーリーを見た彼の目に、私は魅力的に映るだろうか?」という視点で延々と思考してしまう(自分で言っててマジでキモイ)

まぁ要するに最近はその傾向が結構極端になっていたので、一度Instagramをやめることにした。やめるといってもアカウントは残してあるので、またいつか気が向いたら始めると思う。

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やめて数日がたったが、今のところ調子はとてもよい。今まで暇さえあればInstagramでストーリーを垂れ流すのが癖になっていたが、最近は好きなチャンネルのYouTubeを見たり好きな作家さんの本を読むようになった。コンテンツとしてそちらの方がクオリティが高いから面白いというのはもちろん、何より好きな物に触れているとき、私は自分をより好きになれている気がする。

そんな訳で、私みたいに自意識過剰な人は、たまにSNSをシャットダウンしてみると、自分の"楽しい"に愚直に敏感になれて、自分も好きになれてハッピーになるかもしれないですね、という話でした。

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話が変わるのですが、ここ3日間広島県の江田島という所に旅行に行っていました。めちゃめちゃ楽しくていい思い出なのに、Instagramをやめたせいで写真をストーリーにあげられないのでここに載せさせてください!!

いつもは3日も地方にいれば、徒歩圏内にコンビニがない不安から東京に帰りたくてしょうがなくなってしまうのですが、今回は羽田に着いてちょっとさみしいなと思ってしまうくらいよいところでした。

おしまい

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