知らないほうがいいかもしれない「ターニングポイント」の話
「ターニングポイントとは成果ではない。成果、事象に対する意識の問題である。」という言葉を当時の上長から聞いて3年。仕事は基本的に無機質なもので、他者への貢献、すなわち成果がすべてだとしばしばいわれる。
僕も1年目に聞いたそんな仕事の本質を信じていて、だけど漠然と充実した社会人生活を送りたいと思っていた。
成果は基本だけど、「果たして本当にそうだろうか」と当時感じていて。上長から聞いたこの言葉は、今も記憶に残り続けているんだと思う。今日はターニングポイントの話。
ターニングポイント(分岐点)とは
仕事や人生において、「あの時があったから、今があるんだな」「この出来事があったから、自分ができたんだな」みたいに思える出来事がある。ある人は原体験と呼ぶのかもしれない。
その場所を歩ているときは気づかないんだけど、振り返ってみると確かにそこに選んだ分岐点がある。そんな感覚になる"ある過去の一地点"のことをターニングポイントと呼ぶ。
冒頭の言葉の通り、そういう感覚になる"ある過去の一地点"は、大きな成果によって胸に刻まれるわけではないと思う。成果とはある程度の関係はありつつも、完全な因果関係はない。大きな成果が伴わなくとも、逆に成果が出なかった体験だったとしても、例えば修羅場をくぐったような体験は、ターニングポイントになりえる。
ターニングポイントには自意識が伴う
よってターニングポイントには、自意識が不可欠ということになる。その体験を自分の中でどのように認識したかによって、ターニングポイントになる場合とならない場合に分かれる。
共通の仮想敵を倒すような体験をすると、集団の中に共通のターニングポイントが生まれる。これが組織の一体感にもつながる。つまりマネジメントにおいても、テーマになり得たりする。
意図的にターニングポイントを作れるか
では意図的に、ターニングポイントは作れるのかという話。結論から言うと、意図的に作るのは難しいと思う。
3年間、そんな風に仕事ができたら幸せだろうと思って、たまに振り返ってターニングポイントを探してみたけど、そう簡単にできるものじゃない。目標を立てて、意味づけをしても、それがターニングポイントになるのかどうかはわからない。
そんな僕にもターニングポイントは何度かあったと思う。初めは小学生のころ、学生の間に4回くらいあった。圧倒的に駆け抜けたなと感じる時間。それはある種のゾーンに近い。一心不乱に向き合っていて、夢中になっていて、高い集中力を持続している。
逆に意識をすると、集中力が途切れてしまう。勝った姿も負けた姿も想像しない。目の前の事象に向き合い続けた先に、ターニングポイントは現れる。
でも一つだけ希望があるとすると、誰かのターニングポイントは作れるということ。その人がその感覚を楽しめそうならば、ゾーンに入ることを支援することはできる。
逆説的だけど、この時ターニングポイントの話はしないほうがいい。ゾーンに入ろうとすると入れなくなってしまうから。
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