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この淡い感情に蓋をしたい。<たぶんエッセイ>

今日で家を出る。

22歳になって初めて、住み慣れた故郷から離れることになった。

これまで当たり前にあった景色も人も、これからは当たり前の存在ではなくなるのだろうか。


家を出る前に部屋の整理をしていた。

小さいころに遊んでいたぬいぐるみや過去のよくわからない書類、勉強に使おうと思って買ったが結局使っていない本など、一つ一つのモノに思い出を想起させられた。

その最中、ある手紙を見つけた。母からの手紙だ。

中学のときに、所属していたサッカークラブの卒団式で渡されたものだ。

ずっと前のことだったから、内容の一つも覚えていなかった。


改めて封を開けて読んでみると、以下のようなことが残されてあった。

「頑張る」ということは「努力する」という意味合いだけじゃなく、「我を張る」という意味もある。
「がんばれ!」と言われたときは、「自分らしく!」と言われてると思いなさい。
最後まであきらめずに、自分のペースで進みなさい。

悔しくも母の願った通りの人間になろうとしていることがわかった。


前の記事にも書いた記憶があるが、自分は「がんばる」や「努力」という言葉が好きではない。

根性論みたいだし、自己満足感があるし。
「がんばる」って自分が使うときは口だけで、実際頑張ることはなかった。

でも、この手紙を読んで、自分の中で、「がんばる」が変わった。

これまで好きじゃなかった「がんばる」が好きになった。


これまで、自分らしくいること、自分の軸を持つことは、とても意識していたけど、
今日からは、「がんばる」という言葉をきっかけに、自分らしさを意識することがさらに増えるだろう。


これからも、自分らしく頑張りたい。


家を出発する際、両親が見送ってくれた。

両親は、少し寂しさがあるのか、いつもの言葉にプラス一言を添えて送り出した。

しかし、自分はいつも通りの「いってきます。」で家を出た。

本来なら、このタイミングで感謝の言葉を述べたりするのだろうが、そうしなかった。というよりできなかったのかもしれない。


「これが最後かもしれない」「これまでが当たり前じゃなくなる」って考えるとなんだか心が揺らいでしまう。

自分の感情を抑えるために、「またすぐ帰ってこれる」って自分に言い聞かせて、自分の過去の価値を下げようと必死になっている気がする。

素直になれない自分を、どうにか素直にさせようとして、感情の蓋を開けて、文章にしている。

ほんとは、すかした感じでかっこつけたいけど、この感情に蓋をして隅に置いておくのは、あまりにももったいないし、自分に誠実じゃないなと。

自分の裸の心をここに残しておこう。

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