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やり続けないとできなくなるという話

気づいたらバナナが食べられなくなっていた

基本的に食べ物に好き嫌いはありません。
二つだけ、夕顔の煮物クジラ(イルカ)肉の味噌汁はめちゃくちゃ嫌いです。食べられません。
そんな私ですが、突然バナナが食べられなくなりました。

バナナの思い出

大学まで野球部を続け、社会人になってからもしばらくクラブチームで野球をしていた私にとって、補食というと、ウィダーかおにぎりか、バナナでした。たぶんこれが原因でバナナが苦手になったんだろうという思い出が一つだけ。
高校時代、夏の甲子園県予選が終わり、秋の県大会に向けた地区大会の最中。気温30度を超える猛暑の中、朝一の試合に勝ち、午後にもう1試合というスケジュールで、昼食をとっていました。
食事中にキャプテンが言います、「おにぎりが粘っこい」と。腐っていました。マネージャーが用意してくれた補食のバナナもいつもよりかなり柔らかい気がしました。
この時の、普段よりかなり強まったバナナ臭が手についたこと、やけにバナナが柔らかかったこと、そして母が握ってくれたおにぎりもやっぱり粘っこかったことを今でも覚えています。

何年もバナナから離れていた

結婚して子供が産まれ、離乳食などでバナナがでてくるまで気が付かなかったのですが、高校時代以来、バナナの皮をむいて食べるという経験が全くありませんでした。無意識に、およそ10年もの間、バナナを食べなかったのです。
するとどうでしょう、バナナの臭い、感触、すべてが嫌になり、子供にバナナをむいてあげる時ですら、あげ終わったら手を洗うようになっていました。
食べられないわけではないけれど、バナナがバナナの形を保ったまま出されるとちょっときつい、という感じです。ヨーグルトに和えてあったりすれば全然平気です。

継続は力なり

できていたこともできなくなる

バナナの話で終わりそうでした。
毎日やっていないことは、いずれできなくなります。かつてできていたことも、今となっては、という物事は誰にでもあると思います。結局、やらなくなったからできなくなったではないかと思います。
たぶん私も、根っからバナナ嫌いではなく、何年も食べないうちに、負の思い出だけが残り、苦手意識をもつようになったんだと思います。
逆に、寝転がって天井に向かってボールをまっすぐ放ってキャッチ(野球部の人なら思い浮かぶでしょうか)という動作、練習がうまくなっていることに最近気づきました。暇なときにやっていたからです。学生時代はイップスで、これが全くできませんでした。
結構自分では感動したのですが、野球を離れて数年が経ち、イップスが直っていました。たぶん、週に何度か天井セルフキャッチボールをしていたからです。

小事が大事を生む

子供たちに口を酸っぱくして言っていることがあります。「やらないとできなくなるよ」です。まさにバナナ苦手意識現象はこれですし、イップス克服もこれです。
苦手だろうが、嫌いだろうが、得意、好きならなおさら、継続してやり続けていないことはできなくなるし、反対にできるようにもなります
毎日キーボードに触って文字を打っているからいつの間にかブラインドタッチができるようになっています。反対に、もしかしたら自転車に乗れなくなっているかもしれません。はたまた、肘掛けのない椅子だと収まりが悪い感じがしますし、食事は椅子に座っていてもあぐらをかいて食べるのが一番食べやすいです。
習慣にも通じる部分もあると思いますが、毎日続けること、やめてしまっていること、無意識の行動がいかに大切か。30歳を過ぎてようやく思い知らされました。



バナナ食べられませんから子育ての話まで膨らみました。楽しい。

本日も最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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