布施 譲

現在の空疎な社会のなか、時代にはそぐわないかもしれませんが、切実に生きていきたいと考え…

布施 譲

現在の空疎な社会のなか、時代にはそぐわないかもしれませんが、切実に生きていきたいと考えます。心に触れたものを中心に言葉に残していきたい。文学、旅、映画、芸術、人情、ネコ、滑らない話、そして突然急死してしまった母について。たまに世相や政治を交えて。無類のエンタメ嫌い。

マガジン

  • "反俗的生き方"のススメ

    もうみんないい加減、気がついたのではないだろうか。コロナ禍での利権の祭典・東京オリンピックやアベノマスク。かつて無いほどの綻びがあちこちに見えないだろうか。消費ばかりをうつつを抜かし享楽的な生き方ばかりをもとめて俗物として生きるのではなく、俗物を嫌い、確固とした個を貫き、"超人"を目指そう。本業のマーケティングに興味を失ったオヤジの批評空間。

  • 魂の文学を求めて - 遅読者の読書彷徨

    魂に響く書を求める遅読者の読書彷徨記。読書歴はたかだが10年、さらに小説は僅か2年前ほどと浅学だけど、書かずにはいられない読後の感情を記していきたいと思います。該当の書を読んだことがなくても、楽しめるようなエッセイ、知的興味を喚起できるようなエッセイにしたいと考えます。

  • "魂の映画"彷徨記

    心に響く「魂の映画」を求めています。エンタメは大の苦手。人間を描いた映画が中心になります。映画の良し悪しばかりを判定したりあらすじばかりを追うエッセイにはしたくありません。映画に点数を与えたり星印をつけて映画に順列を与えるような破廉恥は行為はしません。ただただ心に響いた部分にフォーカスしたいと考えます。映画を観てなくも映画に詳しくなくても映画に特に興味がなくても、楽しめる読み物にしたいと思います。読んでいただいた方に何かしらの刺激や知的興味を喚起できれば。 ※社会人になったと同時に映画ファンを辞めて20余年。10年前から再び映画を見始めたものの映画館で観ないことに決めているので、映画体験は乏しく映画評も殆ど読みませんので、大きな見当違いがあればご指摘いただければ幸いです。またコメント等も自由ですので気になることや共有したいことがあれば書き込んでいただければ。

  • 下戸の酔いどれ放浪記

    お酒が弱いのにお酒の味が好きというジレンマを抱えたオヤジが、人情を求めて独り酒場を放浪した記録です。

最近の記事

イスラエルは、未来永劫変わることが出来ないのだろうか。

多くの人達が、人質となったイスラエル人や米国人の行く末に、または電気や水を止められたパレスチナ人の行く末に気を揉んでいるのだろうが、わたは、それとはまた別な点も杞憂している。イスラエルの未来のことである。 今年の春だった。「こんな光景を見たことがない!」とNY Timesのイスラエル駐在の特派員は興奮を押さえきれずにレポートしていた。イスラエル中の市民によって大きなデモが展開していたのであった。それは建国以来、初めての光景であった。市民の訴えは、ネタニヤフ首相の行き過ぎた暴

    • 西村賢太『どうで死ぬ身の一踊り』を読んで。

      すっかり忘れていた「西村賢太」昨年の2月頃だっただろうか。突然、まるで発作のように「西村賢太」のことを思い出した。早速アマゾンで購入しょうと「西村賢太」で検索してみると、初期の小説ばかりか最近の小説までもが絶版となっていた。しかも中古本はとんでもない値段がふられていた。これは諦めるしかないなと思った。こんなに人気なのかと驚くとともに、最近の作品ですら重版もせずにあっさり絶版にしてしまう出版社の堪え性のなさに怒りを覚えるばかりであったが、この品切れが実は、西村賢太の急逝によるも

      • 『ザルドス』“空飛ぶ顔面岩”と死の一回性

        『ザルドス』が4Kになり劇場公開されると聞いて、何が何でも観たいという感情を捨てきれず高い入場料を覚悟の上に劇場に向かったのであった。わたしはどうしてもあの”空飛ぶ顔面岩”が気が気でなかったのだ。あの”空飛ぶ顔面岩”は一体何であったのだろうか、それをどうしても突き詰めたかったのだ。この映画は、中学生の頃にTVで観たものの、淫欲に溺れていた中学生の頃である。淫靡なシーンばかりに熱中し中身は全く観ていなかったのであった。 ※1974年劇場公開から僅か3年後の1977年にTV放映

        • 【殴り書き映画鑑賞メモ『チーズとうじ虫』ドキュメンタリー】

          昨年観たときの映画鑑賞メモ。 また今日も怠惰に時間をすごしてしまい、やらなくてはならない様々な事柄を犠牲にして夕方からの映画に行くべきか悩んだ。しかしパンフレットには、2005年年山形国際ドキュメンタリー映画祭での小川紳介賞と批評家連盟賞をダブル受賞とフランス・ナント三大陸映画祭ドキュメンタリー部門グランプリを書いてあった。そんなにすごい映画なのか。これを見逃すといつになるのかわからないということで思い切って映画館に言ったのだが。 結論。映像表現の難しさを思い知らさえるば

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        • "反俗的生き方"のススメ
          3本
        • 魂の文学を求めて - 遅読者の読書彷徨
          4本
        • "魂の映画"彷徨記
          5本
        • 下戸の酔いどれ放浪記
          4本

        記事

          【ドキュメント映画『「奇跡の丘」のためのパレスチナ巡礼』】

          すぐに忘れていしまいそうなのでメモ程度の所感ですが。 マタイの福音書を描いたパゾリーニの『奇跡の丘』のロケハンのドキュメンタリー。映画のロケハンとしてイスラエルの地を訪れたものの、そこでは大きな失望が待っていた。ゴルゴダに始まりナザレなどイエスゆかりの地を次々に訪れるものの、そこに展開される光景は近代化された建物や夥しい電信柱などで埋め尽くされていた。1964年の時点で、すでに2,000年前を再現することが困難であったのだ。 当時のままだと思われるところもあったのだが、あ

          【ドキュメント映画『「奇跡の丘」のためのパレスチナ巡礼』】

          20年待ち続けてきたパゾリーニとの対面スタート!

          この機会を20年近く待っていた。遂にこのときが来たのかと感銘をおぼえる。9日間で短編も含め私の未見の映画ばかり17本、すべての前売りを購入した。本日から緊張と興奮の怒涛の映画体験がスタートする。 わたしの好きな映画作家は、実存的な葛藤や苦しみから逃げることなく正面から対峙し、己の問題意識と主体的に格闘し、その格闘の痕跡を作品に残すような作家である。つまり面白いかとか、泣けたとか、そんな些末なことは全く関係ない。自分の人生と自分の残した作品が一直線上にあるような作家である。分

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          上島竜兵の"孤独”を考える

          当然のことにわたしは「上島竜兵」という人間のことを知らない。 知っていたとしても、それはあくまでもテレビを通した姿でしかない。 そもそもわたし自身、エンタメを苦手としていてあまりテレビを観ないし彼のファンでもない。そればかりかテレビに上島竜兵が出ているのを観てチャンネルを切り替えた経験は一度や二度だけでない。上島竜兵の姿を観ては低俗な番組と勝手に決めつけ彼の出る番組を避けていたのだ。 そんなわたしなのに、何故だろうか。彼の孤独の一端が理解できるように感じて仕方がないのである

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          実に胸糞悪い夢をみた。昭和の体育会世界。

          実に胸糞悪い夢をみた。しかしよく出来た夢だった。 夢の中、わたしは山野楽器や新星堂などのレコード店を営業で回っていた。たぶん若い頃の仕事の記憶からそんな夢を見たのだろう。そこの店長さんから誘われままに飲み会にお呼ばれした。そこはとても広いお座敷であった。大勢の人で埋め尽くされていた。わたしはしばらく店長さんたちと歓談していたのだが、突然座敷の隅で呑んでいる人たちから「布施をこちらに寄越すように」と伝令がはいるのだった。 何事かと恐る恐る、その部屋の隅のほうへといくと、わた

          実に胸糞悪い夢をみた。昭和の体育会世界。

          ロシアウクライナ侵攻 興味深い河東哲夫氏の視点。インタビュー勝手な要約|videonewscom

          もう一ヶ月半前に見たビデオなのだが、非常に面白い見方だったのと、いまの時点でも参考になる内容だったと思うので、わたしなりに纏めてみました。50分近いビデオを観るのも大変なのでさくっと以下にまとめたつもりです。※ビデオのリンク先は記事の最後に記載しました。 ※もともとFacebookのグループ用に要約したのですが、アクセスが少なくもったいないので、わたしのnoteのコンテンツとは異質ですが、掲載することにしました。 なお私自身は、西側東側にどちら側に立ち位置を置こうとするも

          ロシアウクライナ侵攻 興味深い河東哲夫氏の視点。インタビュー勝手な要約|videonewscom

          【悲しみよ こんにちは】朝吹登水子訳

          「悲しみ」と「こんにちは」、まるでN極とS極を強引にくっつけたようなこのタイトルが昔から気になって仕方がなかった。 子どもの頃、日曜洋画劇場で映画の予告編を家族で観たことがあった。僅かに1分ほどの映像を見ながら、父も母も、ともに悲しい物語だと歎息たんそくしていたのが強く印象に残っていた。それ以来、映画でも本でも構わない、いつかこの物語に接したいと願っていたのだが、そうした気持ちも大学生になった頃にはすっかり忘れたままになっていた。 やっといまさらながらにこの本を読み始めた

          【悲しみよ こんにちは】朝吹登水子訳

          『日本文化史』家永三郎著 横溢なる批評精神による日本史観

          むかし、『R25』なるフリーペーパーが流行った。創刊したのが2004年あたり。もう15年以上も時を経過しているのかと時の流れの早さに驚くばかりだが、このフリーペーパーについて記憶に残っている人も少なくないだろう。社会人若年層をターゲットにしたリクルート発行のフリーペーパーで、発刊から数年はかなり流行っていた。当時勤めていた職場でもよく目にしたものである。どんなものが書いてあるのかなと中を覗いてみると、その頃の時事ネタ政治ネタの解説記事が並んでいる。若いサラリーマン層に向けてい

          『日本文化史』家永三郎著 横溢なる批評精神による日本史観

          初めての任侠映画『総長賭博』

          お恥ずかしい話、はじめて任侠ものの映画を見た。しかし、いきなり冒頭のシーンでわたしは激しく動揺してしまった。わたしの知らない日本人の姿がそこに映っているかのように感じたからなのだ。この映画が公開されたのは1968年。当時わたしは僅か4歳だ。その頃の世相も、スクリーンに向かっていた当時の日本人の心情も、わたしに知る由はない。わたしは冒頭から、名状しがたい違和感のなかにあった。わたしの感情は、単に昔日の日本の姿に郷愁をそそられたというものではなかった。とにかく私の知らない日本人の

          初めての任侠映画『総長賭博』

          『神曲 地獄篇』 読後の違和感とその正体とは。

          いろんな本を読み漁っていると、どうしてもダンテの『神曲』やゲーテの『ファウスト』の引用が目につく。無学で何も知らない私は、少しはその手の古典に触れておいたほうが良いのではと手にしたのだが、全くと言っていいほど興が乗らなかった。欧米圏では文学史上最高傑作と評されることもしばしばある『神曲』だが、世界史音痴で浅学なうえ、当時のフェレンツェの歴史を知らない。そもそも西洋の言葉で書かれた詩句を日本語に直すこと自体、無理があるではと思ってしまう。いくら読んでもわたしにはこれが詩のように

          『神曲 地獄篇』 読後の違和感とその正体とは。

          京都初のひとり呑み④ 最終日 京都人お勧めを食す | 下戸の酔いどれ放浪記

          二泊三日の夢のような京都旅行も最終日。今日は伏見に行く予定である。幕末の志士に全く興味を示さないわたしの目指したものは平等院であった。幼い頃からずーとそれとはなしに見続けてきた10円玉に刻印されたその意匠をどうしてもこの目で確かめてみたかったのだ。 ポケットのなかにはメモが忍ばされている。メモには昨日呑み屋で知り合ったグルメなお兄さんから教えてもらったお勧めランチ2箇所が書かれているのだが、本当に時間をとって行けるかどうかは定かでない。マイレージで訪れた京都なので、帰りも飛

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          初の京都ひとり呑み 高齢な女将との交歓 ③|下戸の酔いどれ放浪記

          西院で呑んだあと一旦ホテルへチェックインし、次の目的地である京都駅へと向かった。時間はもう11時近くになっていた。 京都駅近くに、昭和の佇まいを残す呑み屋街があるとはとても想像ができなかった。目的地に向かいながらも、本当にあるのだろうかと訝しむ気持ちが募る。スマホの地図を見ながら近くまでこぎつける。本当にあるのだろうかと小道の先を覗いてみると、ビルに挟まえるようにして小さく明かりを灯した古びた建物が見えてきた。奇跡的に潰されずに残っている昭和的な佇まい。その愛らしい姿に感嘆

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          初の京都ひとり呑み 雪辱戦 ②|下戸の酔いどれ放浪記

          さて今日はどこで呑もうか。昨日河原町の隣客のおばさんに教えてもらった角打ちのお店に行くべきだろうか。運良ければ彼女とも再会できるだろう。それとも別のところにするべきだろうか。 朝方、ネットで古い昭和の趣を残している飲み屋街はないかと検索すると、 心を良さぶるほどに郷愁を駆り立てる写真に出くわした。そこに行きたい、そこに行かなくてはと思った。その呑み屋街は西院という場所にある。 京都はまったく不慣れなものの、若いころ毎月のように出張で訪れていたのは実は西院であった。あんなと

          初の京都ひとり呑み 雪辱戦 ②|下戸の酔いどれ放浪記