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実に胸糞悪い夢をみた。昭和の体育会世界。

実に胸糞悪い夢をみた。しかしよく出来た夢だった。

夢の中、わたしは山野楽器や新星堂などのレコード店を営業で回っていた。たぶん若い頃の仕事の記憶からそんな夢を見たのだろう。そこの店長さんから誘われままに飲み会にお呼ばれした。そこはとても広いお座敷であった。大勢の人で埋め尽くされていた。わたしはしばらく店長さんたちと歓談していたのだが、突然座敷の隅で呑んでいる人たちから「布施をこちらに寄越すように」と伝令がはいるのだった。

何事かと恐る恐る、その部屋の隅のほうへといくと、わたしの所属する体育会の部員、先輩たちの顔があった。わたしは大学生の頃、自分の価値観とは全くそぐわないのにも関わらず大学では体育会に所属していたのだ。この夢はそのときの経験によるものから派生したものである。わたしの顔をみて主将がいった。「布施にビンタしろ」。わたしはキョトンとした。一体わたしが何をしたというのだろうか。何一つ悪いことをしたという自覚がなかった。理由は、酒の席で楽しそうに歯を見せて笑っていたということであった。わたしは、またかと思った。またこんな詰まらない理由でお仕置きを受けるのかと呆れ返った。

席にいた6,7人の同期や先輩たち、一人ひとりが、わたしの頬をひっぱたくことになった。強くひっぱたく者もいれば、かなり弱々しい者もいた。その張り手の強弱は、主将の厳命と彼が言い募る価値観にどれだけ共鳴しているか、従順であるかを示すものであった。またそのなかには他部の先輩もいたのだが、彼はわたしを殴るどころか、まるで優しく撫でるかのような、ジェントルな平手打ちであった。普通であれば主将がその度を超えた手加減に憤激するはずなのだが、彼は他部の所属である。うちの部活の封建制度とは全く無縁の存在であったのだ。彼の度を超えた手加減は、この制裁に|与≪くみ≫しないことへの表明であり、殴られている私への|憐憫≪れんびん≫の情を示すものであった。

これで何度目だろうか、こんなバカバカしい制裁を受けるのは。そもそも部活の理念、その家父長的封建主義をわたしは受け入れていないのだから、こうしたことが延々と起きるだろうと思った。もう何度も経験していることなので絶望ということではなかった。そこにあった感情は諦念であった。自分の席に戻ったわたしの横には、いつも部活を共にしている同期がいた。彼は根は優しいものの、この歪んだ封建的世界に夢中になり没入していた。わたしは彼が強く抗弁してくることが分かっていながらも、「もう辞めたわ」といった。そしてもう一度自分に言い聞かせるように「辞めるわ」と云った。

夢はここまである。実際にわたしは四年間、部活を辞めなかった。大学の体育会ではあるものの、小さな部でしかなく恥ずかしいことに競技レベルも相当に低かった。練習もいい加減であった。ただし上下関係というか、一般に揶揄されるような、四年神、三年貴族、二年平民、一年奴隷というような歪んだ封建的世界、バンカラな世界だけをきっちりと守っているような部であった。わたしが大学にいたのは80年代初めから中盤である。周りにそんな世界の価値観なんてとうに失なわれていたのだが、わたしのひとつ上の世代が、OBの先輩の指導ものと、ものの見事にこの封建的世界の再現に成功したのだ。ある意味すごい才能だと思う。※彼らの努力の目的は、あくまでも競技としての部活を再生することにあったことは言及しておきたい。

体育会系における歪んだ封建主義、つまり上級生は神であるということは、上級生がもし間違った判断を犯したとしても、全くもって自浄効果の望めない暴力的組織であることを意味する。そうした絶望感を夢のなかでビンタを受けながらひしひしと感じたのであった。そもそも孔子は、こんな歪んだ組織をつくるために儒教を広めたわけではないだろう。

3年あたりだっただろうか、辞めたほうがいいのかなとうっすら思うことが何度もあった。しかしあまりにもわたしの大学生活は見すぼらしいものだった。ゼミは少人数でしかなく友人は殆ど数えるほどにしかいなかった。お金も全くなかったので、80年代というネアカ全盛期なのにも関わらず、みんなのように享楽に耽ることができなかった。当時流行っていた、"カフェバー"というものが何であるかも知らなかった。わたしはそうした世界とは無縁であった。また勉学に勤しみたい気持ちは強かったのだが日本の大学の文系においてそうした学究的なカリキュラムを組んでいる学校は少なく、私の学校もその例外ではなかった。勉強するとは独学に頼るしかなかった。大学でなくても良かったわけだ。就職活動が思わしくないので院生として残ろうかとも思ったことがあったが、中1の頃に受験のシステムの矛盾に憤りを感じ「受験勉強を一切しない」と親に宣言して以来、中学、高校を通して全く勉強のべの字もしてこなかった私が、院生になれるようなレベルに悲しいほどに達していなかった。世界史や思想史についても音痴甚だしいし英文の文献をスラスラと読みこなせなかった(現在進行中)。もし基礎体力となる学力があったと仮定しても、あの大学で院生になってどうするんだろうとも思う。そんな環境にあって、体育会も辞めてしまえば、大学生活はなんとも見すぼらしいものになるように感じた。それで自分の価値観と著しく相容れなくても体育会に残ること、その不条理のように響く世界で自分がどう折り合いをつけるかという行為がひとつの修練になるかもしれないと考えた。社会人になっていくうえではこの葛藤は有効な経験になるのではないかと思ったのだ。それで4年間体育会にいたわけだが、社会人になってそれは役に立ったのだろうか。たしかに日本酒の一気飲みやビンタは無くなったが、そこにはそれとは別の不条理、極めて理不尽な世界が横たわっていた。

【昭和な体育会を知らない方に】


確かに体育会においてアスリートとして鍛錬することは、肉体だけでなく精神面でも鍛えられますね。立ち向かう勇気や簡単に諦めない精神力。もちろん、わたしもそれは否定しません。わたしが上に掲げた話は、それとは全く位相の異なるお話なのです。高校の体育会とは違い、大学の体育会というのはバンカラ的な世界、価値観で構築されております。※いまは相当良くなっているとは思いますが。

さきの夢のなかで見たように、笑っているだけで犯罪行為と認定されるような世界なのです。親分が右といえば右、左といえば左。それが正義となり、それに従わなくてはなりません。口をはさむことは許されないのです。無慈悲極まりない戦前の狂った家父長制をそのまま反映したような世界なのです。競技なんてどうでもよくて後輩イビりとその軍隊的世界が展開されます。飲み会では、酒をつがれれば酒が飲めなくても日本酒を一気呑みしなくてはいけません。飲み干したコップには即座に日本酒がなみなみと注がれます。それをまた一気呑み。それが延々と続くわけです。どれだけ後輩をつぶしたかを先輩たちが笑って競うような世界なのです。わたしの場合、酒はなんとかクリアしましたが、やはり自由に思想することが許さないという掟だけはどうにも我慢がなりませんでした。わかりやすくいえば、3,4年前の日大アメフト部の問題。あれはヘッドコーチの話ですが、同じような狂った世界観が部活内の上下関係のなかにあるわけです。

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