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大工町公園改修の舞台裏 その1

はじめに

私が2016年から6年ほど関わってきた大工町公園が遂に改修工事を終えたので、経緯や苦労話、実現できたことやできなかっこと、どうすればもっと良かったのかなどを振り返りつつ、今後のまちづくりついても考察していきたいと思います。

トップ画像にある今の大工町公園の出来上がった結果だけ見ると、シンボルツリーと芝生の緑が綺麗な小さな公園です。でも、仕組みは今までとは全然違う公園で、行政が初期整備費を出していますが、つくられた後は地元がお金を出したり利用料を稼ぎながら清掃や芝の管理などの管理運営をしている、いわゆる公民連携のスキームによる公園です。公民連携は、人口減・税収減で市民サービスがどんどん出来なくなっていくこれからの時代でも、市民サービスを充実させていく手法として、大きく注目されています。

へー。そんな公園ができたのね。公民連携でやれば、行政にお金がなくてつくれないような芝生の公園もつくれるのか。じゃあ私の地元でもこんな仕組みにして綺麗な公園にしたいよね!みたいに思う方も出てくるでしょう。でも、この説明から見えているのは、表面の「美談」の部分で「裏側」の話は何も見えていません。私も裏側を知らない一人でした。そして知らないまま勢いでやったので、大変な苦労をすることになりました笑。

実際やってみて分かったのは、初めから決まった姿があるものでもなく、多くの人が立場や価値観の違いによって衝突したり、数多くのトラブルや失敗があっても、それをなんとか乗り越えて、地域の実情に合わせて生まれるものだということです。

その裏側の物語は、誰かが語らない限りは、時間とともに関係者もいなくなり、いずれ消えてしまう言わば「舞台裏」の話です。ただ、そのまま無かったことにするには、いい経験やノウハウが蓄積されずにあまりに勿体無いし、また同じような失敗も各地で繰り返してしまいます。プロセスにこそ、学ぶべきことが沢山あるのです。

だからこそ、最初からずっと関わってきた自分が、意味のある記録をきちんと残すべきだろうという想いでシリーズを書くことにしました(全8回ほどを予定してます)。

そんな意図なので、今後のまちづくりに取り組む人にとって参考になるように、失敗やトラブルも伝えたいし、生生しい現場の臨場感も伝えたいと思うのですが、あくまで私個人として感じたことや経験を元にしてますので、立場が違えば違う意見も出るかと思います。失敗談なんて書いてほしくないという関係者もいるかと思います。ただ、それを残す意義や趣旨を理解して頂きつつ、必要な人だけが読んで頂ければと思います。

全国の名だたるカッコいいプロジェクトと比べると、なんともスケールの小さい地方都市の小さな都市公園を舞台にした話ですが、そこから見えてくるのは、地方の現状や、行政と市民や民間のあり方などなど、どこのまちでもある課題の縮図だなあと思います。ぜひ、自分の地元に置き換えて読んで頂くと、とても参考になるのではと思います。

前置きが長くなりましたが、それでは、地方都市の小さな公園からまちを変えようと奮闘した一人の人間による、まちづくりの記録をご笑覧くださいませ。

ここから大工町でのまちづくりが始まった

大工町公園は、いわき駅から徒歩3分ほどの中心市街地にあります。残念ながらあまり賑わっているとは言えない、よくある地方都市の駅前です。大工町公園のある大工町も駐車場だらけで寂れていて、関わり始めた2016年時点で昼間の人通りはほとんどありませんでした。

改修前の大工町公園

大工町公園は、改修前はこんな公園でした。土がむき出しで、大きな木が1本だけ生えていて、あとは、角刈りのツツジがぐるっと外周を囲んだような、良く言えばシンプル、悪く言えば殺風景な公園です。座る場所も全然ないので、あまり人に使われず、いるのは猫くらいでした笑。誰も掃除をしないのでゴミだらけだったし、植栽も伸び放題で、簡単に言うと管理できずに荒れた公園です。夜も非常に薄暗い。この雰囲気の悪い公園があることが、寂れたエリアをさらに寂れた印象にしてしまう、地域にとっては存在自体がマイナスの公園という状態だったと思います。

改修前の大工町公園

そもそも私が大工町に関わるようになったのは、2015年に中心市街地活性化基本計画の関連で行われた日建設計と建築家の西村浩さんをコーディネーターにしたワークショップでした。

寂れたいわき駅前をどこから変えていくべきかという中で、西村さんたちは、大工町公園とその周辺エリアに寂れているからこそ可能性を感じたらしく、私を含む地域の若手たちは、ワークショップを通して巧みに乗せられ、まんまと大工町公園から始めようとやる気になりました笑。

公園が良くなれば、周りの寂れたまちも少しずつ変化するかも知れない。半径200mの範囲で核になる場所をつくり、連鎖的にプロジェクトを起こし変化をつくり、まちを変えていく。西村さんが関わる佐賀のまちの変化も教えて頂き、いわきの寂れた昼間のまちなかも、なんとか変えることができるかも知れない。そんな可能性を感じてワクワクしてしまいました笑。そして、大工町公園でクラフトイベントをやったりしながら、大工町でのまちづくりがスタートました。

当時の行政と地域の温度感

しかし、ワークショップに参加していた当時の公園緑地課の担当者からボソッとでた一言は、今でも覚えています。「地区の意見があり、管理しやすいように土がむき出しの公園から平板ブロックをしきつめた公園にしようかという話があり、もうブロック発注しちゃったけどどうしようかな。。」です。

その当時は、その担当者の発言の意味するところを理解しきれてませんでした。ふーん、くらいで聞き流していました。

でも実は、公園を中心にまちづくりをしようと思って、いくらやる気のある若手が頑張っても、これが地区の代表である高齢の役員たちと意思決定者の公園緑地課の温度感であり、大工町公園は管理しきれない迷惑施設で、ここ数年のうちに予定されている公園の改修工事では、「管理しやすいように、人が集まらないように、地面はゴムチップなどで固めて木も緑もなくしてしまいたい」と思っているということ意味していました。しかも、結構その後向きな方向でやることで話が進んでしまっている。公園を中心にまちを再生させていこうなんて話して盛り上がっているワークショップに参加していた若手たちとは真逆の思想です。

まちの将来を憂う若手たちは、自分たちが、そんなステークホルダーたちの後ろ向きな状況を、前向きな方向にひっくり返す闘いを始めることになるとは、この時点では、よもや思ってもいませんでした。

次回に続きます。

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