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大工町公園改修の舞台裏 その9

電柱問題を契機に、無理のある仕組みはすべて変えようと決意した前回の続きです。一番大きい変更は、公園協議会は、私がトップで動かす組織にはしないというものでした。(理由は前回参照)

公園緑地課の反応

まずは、公園緑地課に話をしにいきます。誠心誠意今の状況や理由を伝えたつもりですが、彼らとしては、協議会設立のボトルネックになっていた電柱の移設を決めたので、すんなり協議会の設立をしたかったようですが、トップ候補の私が抜けるだけでなく、他にも色々と仕組みの大改造を申し出てきたのですから、まあご立腹です笑。冷静に会話すらしてもらえません。

人事異動ですべての人が変わってしまい、ワークショップからの信頼関係もなければ、これまでの裏の私の努力など全く知らないので、私の個人の事情など関係ないという感じで、散々に非難されました。そもそも、私の家庭の状態も知っていてもトップに推していたのも行政なのに、そんなことはお構いなしです。

例え仕組みをより良くする提案でも、一度決めたことを変えたくなかったのでしょう。彼らにとっては、せっかくまとまりかけていたものをひっくり返して、仕事を増やしている存在にしか見えなかったのでしょう。

「こんなこと始めから分かっていたでしょう!」なんて言われました。

(いやいや、私に言わせれば、始めから分かっていることなど何もないのです。行政は、何か最初から答えがあって、淡々とこなすのが事業の作り方だとでも思っているんでしょうか。または調整と資料づくりをしていれば事業ができると思っているのでしょうか。そんなことはありません。限られたリソースと情報を元に試行錯誤しながら、最適解を模索していくプロセスに今もいるだけ。それが事業を立ち上げるということなんだけどな。。)

「何度も確認したでしょう!」とも言われました。

(いやいや、確認だけしているのが仕事と思っているのでしょうか。以前は、行政も含め関係者の誰もが疑問に思っていなかっただけですよね。それが何度も検討がされ考え続けた結果、その間違いに気づいたのが今だったというだけ。ある時点で正しいことが、ずっと正しいとは限らないのです。深く考えていなかった行政は落ち度ゼロですか?)

行政の常識では、こんな変更はあり得ないことだろうことも分かるので申し訳ないなとは思い、言いかけた反論は、くだらない喧嘩になるだけなので、その場では飲み込みました笑。

でも、私も、もう心を決めてしまっているので出来ないものは出来ないし、この変更でよりよい仕組みになるはずだと、私のいない新しい仕組みで動いてもらうように話をしました。

後日、私の所属する団体がすべて悪くてこうなったというような文書が関係者に回りました。担当者も何かのせいにしないといけなかったのでしょう。でも事実関係は間違ってはいけません。これは私が個人として、しかも孤軍奮闘で、ずっとボランティアでやってきた話です。仲間まで悪者扱いするのはやめてくれと私もさすがに怒り、決裂は決定的なものになりました。私は、彼らにとっては永久戦犯扱いでしょう笑。

公園協議会の責任者交代

そして、公園協議会の責任者には、公園周辺の地権者でもある、まちづくり会社の役員の方に担ってもらうことにしました。公園が良くなることに一番インセンティブのある方です。そもそも、協議会の仕組みを考えたときに、すでに私の妻の闘病中だったので、「妻の病状次第では、いつ私も動けなくなるか分からないが、そのとき交代してくれるなら、この仕組みでいく」という約束をしていたので、すんなり交代してもらえました。

公園協議会は無事に設立される

かくして、数ヶ月遅れではありましたが、私がいなくても公園協議会は設立され、公園の管理運営も動き始めました。そう、私くらいがいなくなっても、大した影響はないんですよね。残された人でなるようにしかならない。いっとき摩擦が起こったとしても、長く続く正しい仕組みにすることの方がよっぽど大切です。それを摩擦や批判を恐れて、我慢していい人でいることは、誰にとっても良くない。どうせいつかは誰もが引退して誰かに任せることになります。突然、死ぬことだってあります。それが遅いか早いかだけですから同じ話なんです。ちゃんとした仕組みにして次世代に渡すことが責任の果たし方です。今でも、あのときの判断は間違っていなかったと思います。

電柱問題の後日談

半年くらいかかりましたが、無事、電柱が移設されました。移設後の姿があまりにも当たり前にあるべき姿で普通過ぎるなので、電柱ひとつとっても誰かが闘っていたなんて誰も思わないでしょう笑。

移設工事
移設後1


移設前2
移設後2

終わりに

ちょっと後味が悪い感じもありますが、こうして、大工町公園は、最低限は素敵な公共空間と運営の仕組みとして未来に残せることになりました。私も最低限の目的と役割は果たせたかなと思っています。

これだけやってきたんだから関係者から労いの言葉の一つ位あってもいいんじゃないかなーと思いましたが、そんなものはなく笑、淡々と世界は進んでいきます。諸行無常よね。ま、別に感謝されたくてやってた訳でもありませんので、いいんですけど。

9回に渡って続けたシリーズも、事実を書くパートはいったん終了です。これでも、起こったことの全ては書ききれないほど、沢山のドラマがありました。それでも、まちづくりの現場のリアルとして、色々と伝わったことがあれば幸いです。

一つ言えるのは、私も行政も地域の人も、良し悪しは置いておいて、それぞれの目の前のことを、それぞれの当たり前の価値観の中で、真面目に一生懸命やっていた。それは確かです。

それでも、間違ったものを一生懸命やれば間違った結果になります。そこには一生懸命にやるだけではダメな構造的な問題が隠れているのです。
その構造とは一体なんなのか?そして、こんなトラブルが頻発しないためには、本当はどういう風な考え方や進め方をしなければならなかったのか?何が出来ていなかったのか?

次回は、このシリーズの最終回として、そんな反省や考察をする総括編を書いて終わりにしたいと思います。

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