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大工町公園改修の舞台裏 その8

長編となってしまった大工町公園の改修の記録も、いよいよ大詰めに入ってきます。

やはり起こった大問題

工事が進みながらでも変更可能な場所は、どんどん意見をぶつけていましたが、行政としては対応したくない、市民としても納得できないという部分が出てしまいました。それは、前の担当者のときには、邪魔にならない場所に移設すると言ってくれていたはずの公園内の「電柱」です。

移設予定になっていたはずが、工事がいくら進んでも移設する様子がないのです。

工事初期。電柱はそのうち移設されるのかな?
おや?電柱がいつまでも移設されない。。

これは怪しいと担当者に確認すると、引き継ぎ漏れなのか、後任の判断なのかは定かではありませんが、設計担当者は、「安全性に問題がないので移設不要と判断しました。もう動かせません。対応できません。」の一点張りです。

我々としても「移設すると言っていたのにやらないとはどういうことだ。その経緯の説明も相談もない。安全と言うが広場の端でも邪魔だし子供がぶつかりそう。通路のど真ん中にかかる電柱もあるし、安全性には大いに問題がある。イベント時にも邪魔で使いにくい。民間はこれでは稼ぎにくい。イメージパースにも電柱はない。詐欺だ。」と、大問題に発展していきました。

行政としても、工事が進んでいて今さら変更をかけたくないのは分かりますが、これを認めたら、今後30年は改修工事はありません。
私としても、ここまで何年もかけて関わっているのに、電柱なんかを残して半端に工事を終わらせてはならないと思いました。ここで折れたら、責任もうやむやになって、もう二度と電柱が移設されることはないのは明白でした。闘うなら私が市民側の代表をしている今しかありません。

進退をかけて闘う決意

一応、市民側の代表として動いていた私は、それなりに発言力がありました。それでも通じないのなら、地区の代表を出すしかないと、ワークショップのときから味方になってくれている新区長(世代交代があり前の副区長が後任です)にも相談して、これはおかしいと言ってくれて、一緒になって交渉してもらいました。

私は、「予定と違う使いにくい状態で完成ということにして、あとは民間が自分たちで稼いで公園を維持してくださいというのは、到底受け入れられない。電柱を移設しないなら、公園協議会なんて仕組みはやめて、最初から行政が自分で管理すべきだ」とまで言いました。

公園協議会で管理をする前提で改修工事がされているので、これを言われるのが一番効くと思ったからです。そんなことも冷静に思いながらも、実際に本心でした。使いにくいものを行政がつくって、最後は民間に押し付けて後はよろしくなんてことは許されない。こんなこと本当は言いたくないし、言わせてくれるなという感じでした。そして、ここまで言ってしまうと、行政と私の関係は最悪になるだろうことも分かっていました。それでも、次世代のためには、いい公共空間をまちに残すほうがいいと思いました。

そして、猛抗議に押される形で公園緑地課が「検討します」と言ってから数ヶ月が経ったころ、公園の改修工事がほぼ終わろうとしているとき、「電柱を移設することが決まった」と連絡をもらうことができました。

見逃していた他の大問題

さて、電柱の移設は決まりましたが、その決定の連絡が来るまでの数ヶ月間、私には、ある想いが浮かんでいました。

それは、自己犠牲で、何でも我慢して受け入れてしまっては、長く続けられる仕組みにはならない。この際、無理のある仕組みは、すべて変えなければならない、というものです。移設しない電柱を我慢しないのと根は同じ話です。実は運営の仕組みにも色々と無理があることに気づいていたのです。

木下斉さんのアドバイス

気づきをくれたのは、電柱問題が起こる1か月ほど前に、たまたまいわきに講演で来ていた木下斉さんです。私は、都市経営プロフェッショナルスクールのOBでもあるので、活動に興味を持って遊びにきてくれたのです。
木下さんのnoteには、このときのアドバイスを元にした話が痛烈に書かれています笑。要約するとこんな内容です。

「面倒な行政との調整なども何でも受け入れて、不利な条件でも盲目的にやってしまう自己犠牲の人が、まちづくりの現場にはたくさんいる。」
「あくまでビジネスでやれるかどうかが、まちづくりに関わる判断基準」
「エリアにこだわりすぎるな。無理なところではやらない方がいい。」
「大工町公園周辺の土地でも持っていないなら、私ならやらない」
「公園が良くなって利益がある人にちゃんと動いてもらえ」

いやぁ相変わらず厳しい!と思いましたが笑、ほんとその通りな話なのです。

私自身も、自分の地元であるがゆえに、どうにか良くなってほしいという想いが先行して、なんでも良かれとお節介を焼きすぎて、ドライなビジネス思考の判断ができなくなっていたと思います。まちづくりには、どちらも必要で、右手に情熱、左手にはソロバンです。情熱がなければ誰も動かせないけれど、ビジネスにならなきゃ続かない、そのバランスを取ることが必須なのです。そのことをグサリと指摘され、目が覚める思いでした。

決断

さて、そんな木下さんからの金言もあり悶々としていた中での電柱問題。私としては、厳しいことも言いすぎて行政との関係もすでに悪くなっていたので、もう遠慮する必要もありません。腹は決まっていました。

一番の決断は、自分が代表になることを前提に進んでいた公園協議会の仕組みから降りる、というものです。

私がトップにいることで、まちの人は、あいつが黙っていても動くから、自分は動かなくていいと、どこか他人事な感じにもなっていたように思います。私自身が、まちの人が自分たちでちゃんと動かない原因になってしまっている。これがまず良くないと実は思っていました。行政からも是非代表をやってほしいと言われ、言い出しっぺの責任も感じて引き受ける覚悟で動いてきたのですが、私が地域の自立を妨げるなら、本当はやらない方がいいのです。

思えば、ずっと一人で動いてきました。ときに協力を得られることもありましたが、面倒なことは大抵一人。ワークショップの瓦版も一人で数百件にポスティングしていたし、改修案への賛成署名も一人で集めていました。個別でも地域の説得にあたり、設計案にも無償でアイディアを出し続け、仕組みや運用ルールをつくり続け、やってきるときは夢中でしたが、冷静になるとボランティアの限度を超えてやり過ぎていました。木下さんの言葉を借りるなら、地域にも行政にもいいように使われているだけの状態でした。

また、活動を始めたときには、ichiというリノベーション物件も公園の目の前でやっていましたから、当時は公園の利害関係者でもありましたが、3年の期間満了を経てお店はすでに終了し、もう公園が盛り上げることの利益を得られるポジションでもありません。私には、自分の地元を盛り上げたいということ以外のメリットやモチベーションがないのです。地権者でもないので、ビジネスで関われる要素が何もない。これも良くないと思いました。

そもそも、「公民連携とは、ボランティア頼みではなく、何らかインセンティブがある人たちで組織するからこそ長く続く」仕組みにできるのに、そのトップはボランティアでは、やはりおかしい。その辺りがこれまでのまちの組織とは根本的に違うはずなのに、これまでの延長で考えているから、誰も疑問にも思っていなかったんだと思います。当て職でなる役職と実務の責任者は全然重みが違うのです。ちなみに、大工町公園の公園協議会は、自ら稼いで公園を維持管理していく組織にはなっていますが、役員に給与を出せるほどの見込みではないのです。なので他にインセンティブが必要なのです。

そして、最大の私自身の変化は、妻との死別です。実は、2017年にichiを始めてすぐ子供が生まれ、そして妻にはステージ3のガンが見つかりました。妻の闘病を支えながら、生まれたばかりの娘を育て、メンタルも相当やられていました。そうした中でも、私がやらねばと気を奮い立たせてやり続けていたのが公園ワークショップからの一連のこの大工町公園の活動でした。

どうして、あの状況であんなに力が出せたのか、それは、妻も応援してくれた公園から始まるまちの再生だったからかも知れません。未来のまちに残す価値のある公共空間にする、というのは、妻の願いでもあったのです。

その妻が2021年に他界し、今は4歳になる娘と二人暮らしです。優先順位は人それぞれでしょうが、シングルファザーをしながら、責任あるポジションはやはり無理だと思いました。子育てをしているので、よくある会合などは全く参加できないのです。立ち上げ期の組織のトップがそれではいけないはずです。

色々な角度で考えてみても、公園協議会は私がトップで動かす組織ではないと思いました。逆に私がトップでいることのマイナスの方が大きく、迷惑をかけてしまう。公園協議会には、長く続けるための、本来のあるべき姿になってもらおう。私の役割は、公園の立ち上げまでだったのだなと思いました。あとは、次の人たちを信じて、ちゃんと託そうと思いました。

私としては、私が抜けることの正当性もメリットもあり過ぎて、皆話せば分かるだろうと思っていましたが、まあ、そうはいかないんですよね笑。

次回に続きます。






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