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大工町公園改修の舞台裏 その4

公園緑地課に任せていたら、残念ながらワークショップの意図を反映した設計案が出来そうもないので、もう自分たちでつくるしかない!となった前回の続きです。

ワークショップの意見を本当に反映した案を自分たちでつくる

3回目の最後のワークショップの開催も迫る中、若手で集まって議論して、ギリギリで完成したのが以下の設計案です。ワークショップ後にちゃんと行政に設計まで反映してもらうには、イラストと要望する仕様の詳細がセットになったものが必要だろうと、割と立派な設計提案書の体裁にしました。(この辺りはワークショップをやる分の予算しか貰っていないので、完全にボランティアです)

ワークショップ最終案資料1

この案の設計趣旨を簡単に説明すると、シンボルとなっている大きな木は残し、芝生広場を囲むような構成です。大事にしたのは、「緑や座る場所が沢山あり、子供も遊べ大人も居心地がよく過ごせること」「まちの賑わいを取り戻すための公園にすること」「日常時もイベント時も使いやすいこと」「柵などで仕切らない、まちと一体になるデザイン」です。

ケータリングカーが入れるようになっている舗装された道や、イベントもやりやすいように電源もたくさんあり、ベンチにもなる広いテラスなどもあります。夜には間接照明の足元の灯りがあり夜でも雰囲気よく過ごしやすい。

ワークショップでは、子供が遊べる場所がほしいということで色々なアイディアも出ましたが、壊れやすい遊具や、メンテナンスの大変な水辺、防犯上懸念のある土管やツリーハウスなどは、最終的には案から外しました。
また、大工町公園は、まちなかの小さな公園ですから、遊具を置いても大したものにならず子供が遊ぶには半端になってしまう。それなら、遊具は郊外の広い公園に任せようと割り切りました。その代わりに、芝生の広場で、子供も大人も様々な使い方や遊び方をして過ごして貰おうに考えました。

なぜ芝生なんだと問われると、言語化はなかなか難しいのですが、簡単に言うと「芝生には圧倒的な魅力と集客力があるから」です笑。例えば、ワークショップにもアドバイザーで来て頂いた青木純さんが関わる「南池袋公園」はこんな感じです。

とある日の南池袋公園

ヨガをやったり、寝転んだり、ピクニックをしたり、子供と遊んだり。こんなにも気持ちよく自由度が高く人の活動を喚起する装置はなかなかないのではないでしょうか?

ちなみに南池袋公園は、もともとは誰も寄り付かない薄暗い公園でしたが、改修によってこんなにも人が集まる公園になったそうです。そして、そんな南池袋公園の周りにはお店も増えていき、ブルーボトルコーヒーまで出店したそうです。そう、南池袋公園は、エリアの価値を爆上げした公園なのです。これは管理を楽にするために何もなくしてしまうという発想では絶対に生まれない公園です。人が過ごしやすく、人が集まり、それによって公園自体も管理運営費を捻出できるし、まちも発展させる、そういう設計思想です。もちろん立地も規模も違うので、そのまま真似は出来ませんが、中心市街地にある大工町公園が目指すのはこっちの方向であるべきだと思いました。

また有名なニューヨークのブライアントパークは、こんな感じです。やはり気持ちのいい人が集まる公園には、緑が欠かせない。

ブライアントパーク

青木純さん曰く「生の芝生には圧倒的な集客力がある。人工芝は汚れるし夏は熱くなるし劣化して張り替えも発生する。生の芝は芝刈りさえできればずっと使えるし費用対効果が実は高い」とのことでした。

世界や日本の事例を見ても、緑や芝生がまちづくりに有効そうなことはわかった。でも、前向きなことばかり言っても、ついて回るのは維持管理をどうするか、つまりお金の話です。ここがクリア出来ないと絵に描いた餅になってしまいます。

公園運営の新しい仕組みを考える

市民がボランティアで全部やりますでは信頼性も継続性もない。そうではなく、いかに継続できる仕組みをつくれるのか。これをクリアしない限り芝生の案は実現しません。

行政は、税収が減っていくなかで小さな公園に回せるほど予算はない。また、これまでの管理を担ってきた区内会による公園愛護会も、震災による人の流出や高齢化によって活動ができなくなっている。結果として、誰も管理しない雑草も生え放題の寂しい公園になっているし、だからこそ行政も地域の役員たちも、管理しやすい何もない公園にしたがっている。今までのまちの歴史や流れを見ると、何もないのがいいというのも一つのまちを思っての意見です。そこに悪意がある訳じゃないんですよね。だからこそ、芝生でもちゃんと管理できますよということを示さないといけない。

これを踏まえて新しい仕組みを考えました。

ワークショップ最終案資料2

まず、公園協議会への管理主体の移行です。今の単一地区が担う愛護会だけに公園管理を任せるという形ではなく、中心市街地にあることを踏まえて、公園に隣接する複数の商店会、行政、まちづくり団体などを構成委員とする協議会形式にする。H29年に都市公園法が改正されて、このような協議会での公園運営が可能になっています。責任を1つの町内会だけにせず、特に中心市街地にある公園なので、公園が良くなることのメリットを享受できる関係者みんなでやっていこうよ、という体制です。

また、公園協議会の体制では、独自の公園運営ができるようになるので、どうやって稼いで、どうやって管理するのかも協議会の権限になりますので、多様な収入源の確保や管理手法も取ることができます。

想定した収入源としては、商店会などの構成委員からの協賛金(会費)や公園に接する地権者からの景観維持費、ケータリングカーの出店料や公園のイベント貸し出しなどです。この収入を予算として必要な維持管理を行っていこうという計画です。公園に面する商店会や関係団体の代表たちからも、事前に説明もして協力の約束を取り付けました。

管理体制としては、民間のまちづくり会社が有償で行う毎日の清掃活動や定期的な芝刈りをベースにしながら、市民がボランティアで地域の自治や美観維持の見守りを行っていくことにしました。
まちづくり会社には、清掃を担ってもらえることは、もちろん裏で取り付けましたし、大工町公園サポーターズという市民ボランティア組織もつくって、若手を中心に公園の清掃活動も始めました。

最終ワークショップでは、若手の意見でまとまったが。。

そうしてワークショップの3回目である最終回では、緑が溢れ、座る場所の沢山ある公園の未来図が提案されました。また、懸念であった管理運営の仕組みの話もして、参加者や隣接地域の商店会長たちからも、新しくできる公園協議会への協力を約束してもらえました。そして、ワークショップとしては、この案で行こうという合意形成がされました。

本当の闘いのはじまり

真逆の提案をしていた当時の大工町の区長は、最終ワークショップにも来ず、結局、一度も参加して貰えませんでした。

しかし、問題はここからでした。区長には、維持管理する仕組みまで考えても全く聞く耳を持ってもらえないだけでなく、そんな仕組みは絶対にできないと反対に回ってしまいました。「俺が反対すれば、行政は何もできないんだ」と言っていたのが思い出されます。そして区長の意見に従がう形で他の役員たちも反対し始めます。中には若手を応援すべきという役員もいましたが少数派で、区としては役員の多数決で「ワークショップの案には反対」ということを突きつけられました。

こうなるとワークショップを何回も重ねる中で、市民の本当の意見に気づき始めていた公園緑地課は、ワークショップ案での新しい仕組みが可能なことは分かりつつも、地区の代表である区長が反対している案は実行できない。(この構図にも、そもそも問題がありますが、それはまた改めて)

この状態を打開して、いかに市民が本当に望む公園を実現させるのか。ここからが本当の闘いの始まりでした。

次回に続きます。

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